【開催報告】「古代シルクロードへの旅人―日本の学問僧」共催講座(2016.05.13)2016/05/31
「古代シルクロードへの旅人―日本の学問僧」共催講座の開催報告
・日 時: 2016年5月13日(金) 20時~22時
・場 所: 日中友好会館後楽寮内
・報告者:楼正豪(浙江海洋大学東海発展研究院専任講師)
公益財団法人日中友好会館所管の学際的総合研究の一環としてのセミナー「後楽講堂」と本研究所の王敏研究室の共催により、標記の講座を開催した。
シルクロードの始まりとしての唐の都、長安は仏法を修める聖地として、周辺の国々にあこがれられた。東方の国、日本もそうであった。日本からは仏法求法のため多くの僧が海を渡り、とくに遣唐使に便乗した留学僧が国命によって派遣され、修養した。学問僧として成長を果たし、仏法を日本に持ちかえって伝えた。
報告者の楼正豪氏は数多くの学問僧の中から、空海・最澄・惠萼・道元・心地覚心を選んで映像を使って人文交流の史実を語った。
たとえば、空海が長安の青龍寺で「投華得仏」という試験を受けたが、その成果について現代における意味を分析した。また、惠萼が五台山で観音像を迎えて、明州から帰国しようとした途中、舟山群島で「霊威事件」に遭って観音像を安置するために、不肯去観音院を普陀山に開くことに至った。その背景に何が考えられるか、その深層を探っている。続いて入宋僧である道元は日本の曹洞宗を開山したことで知られるが、尺八や味噌など、のちの日本の生活にかかわる部分を持ち帰ったことがあまり中国では知られていないことを講じた。
いうまでもなく、唐代の留学僧や入宋僧によって持ち帰られた仏法は日本の中世文化に大きな影響を与え、禅宗や五山文化を生み出し進化させる原動力となった。日常生活をみても現代の欠かせない醤油や味噌はすっかり日本に定着した。中国では消えた尺八は中日両国の文化交流の歴史の生き証人といえる。
唐から宋にかけての日中の文化交流は従来から社会的な関心も強く、すでに広く認知されている。東アジアレという広域レベルにおいてもクローズアップされている。時代や世代を超えて日中の文化交流は普遍化すべきものと思われるが、若い世代における関心は薄れていく傾向が懸念される。
今回の講座は、世代間の教養カテゴリーを還流・循環させ、交流の再生産及びその重要性を認識させてくれたようである。
【記事執筆:王敏(法政大学国際日本学研究所専任所員、教授)】
参加者の集合写真
(中央は楼正豪氏、その左は日中友好会館留学生事業部部長の夏瑛氏、右は王敏氏)