【開催報告】公開講演会『欧州コレクションにおける日本の宗教画と「おふだ」が伝える江戸時代の信仰』(2015.7.28)2015/08/05
「平成25~27年度科学研究費助成事業(基盤研究(B))
「在欧日本仏教美術の基礎的調査・研究とデータベース化による日本仏教美術の情報発信」
(研究代表者:クライナー・ヨーゼフ)
後援:法政大学国際日本学研究所
公開講演会
『欧州コレクションにおける日本の宗教画と「おふだ」が伝える江戸時代の信仰』-
日 時 :2015年7月28日(火)13:00~18:00
場 所 :法政大学九段校舎3階 第一会議室
司 会 :クライナー・ヨーゼフ
(ボン大学名誉教授、法政大学国際日本学研究所客員所員)
公開講演会「欧州コレクションにおける日本の宗教画と「おふだ」が伝える江戸時代の信仰」(主催:科学研究費助成事業(基盤研究(B))「在欧日本仏教美術の基礎的調査・研究とデータベース化による日本仏教美術の情報発信」、後援:法政大学国際日本学研究所)は、国内外の研究者5名の研究報告により行われた。
本講演会は、科学研究費助成事業「在欧日本仏教美術の基礎的調査・研究とデータベース化による日本仏教美術の情報発信」(研究代表者:クライナー・ヨーゼフ)の研究成果の一端を紹介するもので、チューリッヒ大学附属民族学博物館が所蔵するヴィルフリード・シュピンナー・コレクションを中心に、バジル・ホール・チェンバレンとベルナール・フランクによる日本の仏教美術品の収集の特徴が検討された。 各講演の概要は以下の通りであった。
(1) クライナー・ヨーゼフ(ボン大学・法政大学国際日本学研究所客員所員)/ヨーロッパの日本コレクションを考える-仏教美術を中心に-
シュピンナー、チェンバレン、フランクのコレクションの特徴を相対化するために、日本とヨーロッパ人たちが初めて接触した戦国時代から明治時代までの約450年間を対象として、日本からヨーロッパに文物が渡った時期が「桃山末期から江戸初期」、「江戸前期」、「幕末から明治」の三期に分けられた。
そして、献上品や貿易品を中心とし、多くの種類の品が少しずつ集められて骨董陳列室に収蔵された「桃山末期から江戸初期」、オランダ東インド会社を通じて日本の文物が流入した「江戸前期」、シーボルトやアンリ・ツェルヌスキ、エミール・ギメら研究者や実業家などが来日して直接美術品を購入した「幕末から明治」という特徴が示された。
(2) ヴェルンスドルファー・マルティーナ(チューリッヒ大学附属民族学博物館)/W.シュピンナー:コレクターとしてのスイス人宣教師
1885年から1891年まで普及福音新教伝道会によって日本に派遣されたヴィルフリード・シュピンナーは、宣教師としての務めを果たしつつ、日本国内で築き上げた人脈を活用して、日本人の宗教観や神仏への信仰、宗教的な行事に関する知識を得るとともに、100点を超える護符やおふだを収集した。
今回の報告では、日本での足跡がシュピンナーの日記を通して検討されるとともに、シュピンナーの弟子の一人であるミナミ・ハジメおよびシュピンナーに大きな影響を与えた青木周蔵らとの交流などが紹介された。
(3) シュタイネック・智恵(チューリッヒ大学付属民族学博物館・チューリッヒ大学・ジュネーブ市立民族学博物館・法政大学国際日本学研究所客員所員)/十六善神から庚申講まで:近世の信仰世界を映すシュピンナー・コレクションの本質とは何か
チューリッヒ大学附属民族学博物館に寄贈されたシュピンナー・コレクション80点、さらにシュピンナーの子孫が所有する約300点の宗教画など合計約380点のコレクションを対象に、収集の目的や意図が検討された。その結果、シュピンナーの収集には「宗教的な偏りがない」、「収集品のカテゴリーが統一されていない」、「物質的な基準が認められない」、「収集の地域や対象に偏りがある」という特徴があることが示された。
さらに、コレクションの収集に際して、シュピンナーは宗教研究という課題のために収集を決意し、シュピンナーという「外の目」が決定した収集の意図に従って日本人ミナミ・ハジメの「内の目」がコレクションとなる品々を集めて形成された。
このような特徴から、シュピンナー・コレクションは、日本の宗教研究を行うためのコレクションであり、その意味で思想史的コレクションであることが指摘された。
(4) 千々和到(國學院大學)/神仏分離と明治期の「おふだ」-B.H.チェンバレンのコレクションを中心に
フランク・コレクションとチェンバレン・コレクションを調査した経験に基づき、明治元(1868)年に政府が発出した神仏判然令によって全国各地に生じた廃仏毀釈運動とチェンバレン・コレクションの収蔵品の特徴が検討された。
その結果、チェンバレンが集めた護符の内側には神代文字で書かれたおふだが入っていたことや、明治初期の神仏分離によって梵字を使用できなくなったことで神代文字が梵字の代わりに用いられる事例が多くなったことなどが紹介された。
また、明治3(1870)年に岡山藩で作られた起請文に書かれた神代文字の分析から、神代文字に関して平田篤胤が唱えた説の妥当性が高くない可能性についても言及があった。
(5) キブルツ・ジョセフ(フランス国立科学研究院東アジア文明研究センター・法政大学国際日本学研究所客員所員)/フランク・コレクションと民間信仰の「おふだ」:元三大師と柴又帝釈天の御影を例として
今回の報告では、コレージュ・ド・フランスの日本学教授として日本仏教に関する図像学を教えたベルナール・フランクが1954年以来収集した1039枚のおふだのコレクションを対象に、江戸時代の民間信仰や民俗のあり方が検討された。また、フランス国立高等研究院東アジア文明研究センター(CRCAO)によるフランク・コレクションのデータベースが披露され、データベースに収録されている元三大師を描いた各種のおふだが検討された。さらに、エンゲルベルト・ケンペルが『日本誌』の中で元三大師を「牛頭天王」の名前で掲載していることから、ケンペルが実際に見聞した1690年代の長崎の様子や信仰のあり方も考察された。
上記の5件の報告から、シュピンナー・コレクションの特徴の概要が示されるとともに、チェンバレン・コレクションやフランク・コレクションとの対比により、シュピンナー・コレクションの相対的な位置付けが明らかにされた。なお、今回の講演会を含む研究成果は、2016年に英文の報告書として刊行される予定である。
【記事執筆:鈴村裕輔(法政大学国際日本学研究所客員学術研究員)】