第4回東アジア文化研究会 『「東アジアから考える」はいかにして可能か?-日中思想交流経験を中心として-』(2013.7.4)

「国際日本学の方法に基づく〈日本意識〉の再検討−〈日本意識〉の過去・現在・未来」
研究アプローチ(3)「〈日本意識〉の現在−東アジアから」

2013年度 第4回東アジア文化研究会
「東アジアから考える」はいかにして可能か?
-日中思想交流経験を中心として-


  • 日 時: 2013年7月9日(火)18時30分〜20時30分
  • 場 所: 法政大学市ヶ谷キャンパス ボアソナードタワー26階A会議室
  • 講 師: 黄 俊傑(国立台湾大学人文社会高等研究院長、教育部国家講座教授)
  • 通 訳: 周 曙光(法政大学国際日本学研究所学術研究員)
  • 司 会: 王 敏 (法政大学国際日本学研究所専任所員、教授)

 

一、はじめに
二十世紀のアジア知識人におけるアジア観には主として二つの見方があった。脱亜論と興亜論である。この両者は共に東アジア文化の主体性の問題に連なるものであった。脱亜・興亜ともに、その言論の核心にあったのは東アジア文化の主体性の解消か、構築かという問題だったからである。

二、「東アジア」とは
(一)政治システムとしての「東アジア」
ところで、東アジアは一つの政治的単位である。その意味で東アジアは四つの歴史的発展過程を歩んできた。第一段階は二十世紀以前の中華帝国を中心とする華夷秩序、第二段階は二十世紀上半期の帝国日本を中心とする大東亜共栄圏、第三段階はアメリカを中心として東アジアに構築された冷戦秩序、第四段階は中国の改革開放以後に形成された大中華経済圏である。
この四段階の歴史的変化から見ると、数千年にわたる東アジアの政治的交流と影響関係とは、権力の「中心」国家と「辺境」国家という不対等状況において行われてきたと言うことができる。また、各段階において、権力の「中心」が衰える度毎に新興の政治・軍事的エネルギーがそれぞれの政治的言論を生み出し、政治的軍事的行動を引き起こして、それ以前の「現実の東アジア」を将来の「理想の東アジア」へと転化しようとしたことも見てとれる。

(二)文化システムとしての「東アジア」
また、東アジアはより広義には一つの文化システムでもあり、その意味での東アジアには発展の全体性・構造の類似性もあった。十四世紀以降、東アジア地域の読書人達は朱子学を基礎とする儒学の共通価値を分かち合い、仏教も中国を経由して朝鮮や日本へと伝わって東アジア民衆の信仰の一つとなった。また、近世東アジア知識人の文化的素養こそは漢字であり、「気」論を基礎とする伝統医学も共有されていた。
文化システムとしての東アジアという観点から見ると、中華文化は朝鮮・日本・ベトナムといった周辺国家にとって、数千年にわたって「重要な他者」の役割を演じてきた。しかし近代になると、ヨーロッパ文化が「不在の重要な他者」として、各国の文化と思想動向とを揺り動かすことになる。
二十一世紀に入った今、そうしたヨーロッパ文化による東アジア文化支配という構図について再考しなければならない。そこに「東アジアから考える」ことの重要性を訴える必要が生じるのである。

三、どのように「東アジアから考える」のか?
(一)中西比較文化史的視点
「東アジアから考える」という問題の提示方法には、比較文化史的視点が潜在している。比較という観点においてのみ、我々は伝統的な中国思想家が「特殊性」から抽出した「普遍性」がある種の「具体的普遍性」であることを確認することができ、また、「東アジアから考える」ことでその意義を獲得することが可能になるのである。

(二)東アジア文化の「普遍性」と「特殊性」
また、「東アジアから考える」という問題提示は、東アジア各国の文化と思想の間の類似性と差異性とに関係している。東アジア各国文化共通の文化的要素から見ると、東アジア文化圏は確実にヨーロッパ文化の一体性や類似性とは異なる。しかし、中国・日本・韓国といった各国文化間の差異性から見る時、東アジア各国の共通点もその相違を覆い尽くすことはできない。それは、東アジア文化圏が思想・制度が錯綜し、諸民族が相互に競争しつつも交流し合い、多くの国家や民族が敵対し協力し合う空間でもあるからである。東アジア文化圏における価値概念や哲学的政治的命題は、それが中国に由来するものであっても、朝鮮・日本への伝播後、各地域の特色を具えた思想や文化へと発展して相違が生じることになる。
したがって、我々の言う「東アジアから考える」ことは、東アジア各国文化の普遍性を通観するのみならず、各国文化の特殊性を理解することによって、始めて偏見のないものになるのである。つまり、東アジア内相互の影響と衝突から考えることで、始めて同時に東アジア各地域文化の普遍性と特殊性とを把握することができるのである。

結論
二十世紀における東アジア各国の人文社会科学研究は、問題意識や研究方法の点で欧米における学術典範の支配を受けてきた。さすれば、「東アジアから考える」ことは、二十一世紀の東アジア研究者が深慮すべき課題であろう。筆者は嘗て東アジア文化交流史研究は交流の静態的結果のみならず、交流の動態的過程をも重視すべきだと主張したことがある。本文では、東アジア文化交流史の過程を東西比較及び東アジア内各国の比較という脈絡において検討を加え、各地の文化的伝統の普遍性と特殊性とを同時に把握することで、文化的政治的民族主義に陥ることを免れ得るとも指摘したのである。

【記事執筆:黄俊傑(国立台湾大学人文社会高等研究院長、教育部国家講座教授)、
日本語訳:工藤卓司(致理技術学院応用日語系助理教授)】

講師:黄俊傑氏 (国立台湾大学人文社会高等研究院長、教育部国家講座教授)

通訳:周 曙光(法政大学国際日本学研究所学術研究員)

司会:王 敏(法政大学国際日本学研究所専任所員、教授)

 

会場の様子