研究アプローチ①第1回研究会(2010.10.9)
・日 時:2010年10月9日(土)13時00分〜17時15分
・場 所:法政大学市ケ谷キャンパス 80年館7階 中 議室
・報告:吉田真樹(静岡県立大学国際関係学部 准教授)
・報告:小林ふみ子(法政大学キャリアデザイン学部 准教授)
・司会:田中優子(法政大学社会学部 教授)
吉田真樹 倫理学・日本倫理思想史の観点からみた「日本意識」
倫理学・日本思想史という学問は、特殊を媒介として普遍を捉えようとする立場を取るため、日本研究ではない。しかし、普遍性に重心を置くなら「日本意識」は国家意識のひとつとしてのローカル意識となり、特殊性に重心を置く場合には、「この私の問題」となり、その拡張形態が「日本意識」となる。
「日本意識」という語を他の類義語と比べるなら、次の通りとなる。すなわち、「日本精神」は「日本人のみが持つ民族精神」のことで、特に戦時中に強調された。「大和魂」も「日本精神」とほぼ同義で、本来は「理論知に対する実践知」の意だが、日露戦争以降は、「文明以外の部分としての日本人の精神力」という意味で捉えられた。「日本思想」は「日本という地域にあった思想」のことで、近代特有の捉え方を示す学術用語である。一方、「日本意識」は、「日本に対する意識」「平時の考え」「主体が曖昧」という特徴を持っている。しかし、日本「国家」の意識に限定されず、主体は日本国民であるため、「日本精神」や「大和魂」よりも幅の広い語であると言える。
「意識」とは常に対象を持つもので、「日本意識」という場合の対象は日本である。そして、対象が主体であれば自己意識となり、「日本意識」は「自己としての日本」を意味し、対象が客体の場合は他者意識となり、「日本意識」は「他者としての日本」となる。そのため、「自己としての日本」という捉え方がいつ現れ、確立したかが問題となるだろう。
倫理学・日本思想史の分野では、和辻哲郎が『日本倫理思想史』の中で「国民的自覚」を分析しているが、これは、日本人による「自己としての日本意識」を徹底させたものである。和辻は、「意識」ではなく「自覚」という語を用いており、想定される自覚の主体は最初から間柄存在であり、個人ではなかった。そのため、『日本倫理思想史』は一貫して「国民的自覚」ないし「国民的全体性の自覚」という観点から叙述されている。そして、和辻は「国民」を「国家」に先行するものと考え、潜在的な「国民」としての全ての人々、すなわち間柄存在が「国民的自覚」の主体であると理解し、「国民的自覚」が顕在化する過程を描こうと試みた。従って、和辻の考えに基づくなら「日本」という外枠の問題は解決されたことになる。「日本意識」の研究においては、「国家」を形成した、天皇を中心とする上層部から下層部の国民の間に広まった「日本意識」の展開を丁寧に跡付けることが必要となる。
【記事執筆:鈴村 裕輔(法政大学国際日本学研究所客員学術研究員)】
小林ふみ子 「和らぐ国」というアイデンティティ
日本人は、自分たちをどのような人々として認識し、その国をどのような特徴をもつものとして考えてきたのでしょうか。幾多の日本論・日本人論が世に出され続け、消費され続ける今日であっても、その認識を歴史的な視野をもって把握し、変化をたどろうとする研究対象は明治以後、戦後のそれに限られています。それ以前の時代の、日本人の自画像はどのようなものだったのでしょうか。
本発表では、その問題について言説上の表現の次元で考察しました。「和国」という日本の呼称を訓読するところから生まれた「和らぐ」「和らかな」国という表現が繰りかえされることで、「和」という言葉の含意の幅でこの国を理解する認識が生じていた可能性を指摘しました。
たしかに『日本書紀』継体天皇の条に日本(やまとのくに)が「やわら」いだという記述、同じく推古天皇の条に十七条憲法に「和なるを以て貴」とされたという記述はあります。しかし基本的には古代中国の史書以来確認できる「倭」の別表記に過ぎなかったこの「和」なる漢字が生みだしたに過ぎない認識です。ところが中世の『古今和歌集』仮名序の注に「やまと歌」を「大きやはらぐ」ものとして解釈する例などが確認でき、近世にいたって、日本がこのような表現によって「やわらかい」言葉を話し、平和で穏やかな気風を持つ国として表されている種々の例、またこれがたびたび好色文学の口実にも用いられた例など少なからずあることを概観しました。
当日の議論でも出ましたが、好色の正当化は『源氏物語』や『伊勢物語』のカノン化とも密接にかかわる問題ですし、一見して、さもありなんと思われる議論かもしれません。しかし一方で、近世日本においては武家政権が長らく支配してきた「武国」であるとする認識があったことも事実で、「大和魂」なる言葉が近世の段階ですでに潔さや負けん気の強さを表す言葉にもなっていたこと、近代にはさらに過激な意味をこめて使われたことを考えると、「和なる国」は忘れられたもう一つのアイデンティティ表現と言えないでしょうか。
本発表では、幕末から明治にかけてこの表現がどうなっていったのかについては扱いきれませんでしたが、これをさらに深めアルザスで報告したいと思います。
【記事執筆:小林ふみ子(法政大学 キャリアデザイン学部 准教授)】