第3回東アジア文化研究会「高校生が第2外国語を学ぶ意味(韓国語を中心として)―高校生の視野の拡大と文化理解」(2007.12.12)
第3回東アジア文化研究会
「高校生が第2外国語を学ぶ意味(韓国語を中心として)
−高校生の視野の拡大と文化理解」
- 報告者 武井 一 氏(東京都立日比谷高等学校)
- 日 時 2007年12月12日(水)18時30分〜20時30分
- 場 所 58年館 2階 国際日本学研究所セミナー室??
- 司 会 高柳 俊男 (法政大学国際文化学部教授)
12月12日(水)、18時30分から20時30分過ぎまで、58年館2階国際日本学研究所セミナー室において、第3回東アジア文化研究会が開催された。今回は、東京都立日比谷高等学校などで韓国語を教える武井一氏をお招きし、「高校生が第2外国語を学ぶ意味(韓国語を中心として)−高校生の視野の拡大と文化理解」という演題のもとで行われた。
当日の参加者は、法政大学の教員・学生のほか、高校生や一般の参加者あわせて約16人であった。外部からの参加者には、他大学や高校で韓国語を実際に教えている方が目立った。講演は、報告レジュメのほか、自ら作成した『高校時代になぜ第2外国語を学ぶのか−日比谷高校のハングル授業を中心として』と題する小冊子(全18頁)に基づいて進められた。
報告の概要は以下のとおりである。なお、本学では科目名を「朝鮮語」と呼んでいるが、ここでは報告者の用語にならい「韓国語」で統一する。
■ 高校教育における韓国語
・2005年度において、英語以外の外国語を教えている高等学校は、中国語553校、韓国語286校、フランス語248校、ドイツ語105校となっている。ドイツ語・フランス語が私立に多いのに反して、中国語・韓国語は70%以上が公立の高校である。
・韓国語の設置理由は時代により変遷してきたが、近年は異文化理解型や学校改編設置型が増えている。大多数の学校が「英語+韓国語」の、事実上の第2外国語として教えている。学校指導要領上は「学校設定科目」の扱いになる。
・第2外国語の学習は、英語で失った語学への自信を、他の外国語学習で取り戻させるという目的もある。ただし、英語が総じてよくできる日比谷高校のような場合、これには該当せず、別の授業目標を設定する必要がある。
■日比谷高校の韓国語の授業
・韓国語は1997年から開始した。2年生対象の自由選択科目の1つで、金曜日の8・9校時にドイツ語・フランス語・中国語などとともに開講されている。選択者はこの4言語で毎年50人以上、韓国語だけだと最小7人から最大40人。
・言葉の学習を主としながら、韓国の文化、歴史と現状、日韓関係、在日韓国人、日本語との比較など、地歴や公民科の話題も加味して、視野の拡大をはかっている。
・いわば「教養としての第2外国語」であり、英語と同レベルの学力が求められるセンター試験において、これを選択する生徒はいない。
■受講した卒業生へのアンケートから
・高校における韓国語学習がどういう意味をもったかを知るために、卒業生にアンケート調査を実施した。そこで出された意見をごく簡単に紹介すると—-
・受講動機では、この10年、韓国・北朝鮮をめぐる関係の変化が影響を与えているのを知ることができる。芸能人が韓国語を学んだり、サッカーワールドカップの日韓共催などが学習意欲を促進している半面、北朝鮮への関心から受講する人はほとんどみられない。
・視野を広げたり、関心の幅の拡大に役立った、という意見が多数ある。たとえば、他者と積極的にコミュニケーションを取ろうという姿勢が身についた、英語の発音にあらためて関心が向いた、韓国との比較で足元の日本を見つめ直すようになった、等々。また、大学に行ってから、韓国語の学習を継続する場合や、新しい語学にチャレンジする場合でも、すんなりと入っていけたという。
■まとめ
・総じて、必修ではなく、受験にも関係ない韓国語を、生徒たちは楽しみながら学んでいる。そのなかで、外国語=英語という図式を破ることで、言語の相対化が起きるし、文化相対主義的な見方を養うようになる。それは自らの言語や文化を、これまでとは違った目で見つめ直すことにも通じている。
・高校での第2外国語学習は、語学を通して生徒の関心を広げさせる「触媒」の役割を果たす。このような第2外国語が、より多くの学校で置かれることが望ましい。
<感想>
・以上のような武井一氏の話を聞いて、いわゆる受験校であるにもかかわらず、韓国語を熱心に教える教師と、楽しみながら学ぶ高校生がいることに、ちょっとした感動を覚えた。なにしろ私が大学生だった1970年代後半、NHKに韓国語の語学番組はまだなく、大学ですら授業のあるところはまだ少なかったのだから。
・同時に、大学における第2外国語学習の意義や、その求められる到達度についても、再考させられた。大学の場合、コマ数がもっと多く、語学としてより高度なレベルに達することが求められる。しかし、外国語大学のような専門家養成の機関は別として、多くの受講者にとっては、ここで言う「教養としての第2外国語」的な側面が強いのも事実だろう。その意味で、今回の話は、大学で語学を教える立場にある者にとっても、多くの示唆に富むものであった。
【記事執筆:高柳 俊男(法政大学国際文化学部教授)】