ワークショップ「翻訳不可能なこととと翻訳不要なこと――哲学・経済学の翻訳事例から――」(2007.9.28)

 

ワークショップ(学術フロンティア・サブプロジェクト1「<国際日本学>の構築」)

「翻訳不可能なことと翻訳不要なこと—哲学・経済学の翻訳事例から—」


 

  • 報告者  ジル・カンパニョロ 氏(フランス国立科学研究センター(CNRS)の常任研究員)
  • 日 時  2007年9月28日(水)17時30分〜
  • 場 所 58年館 2階 国際日本学研究所セミナー室
  • 司 会  安孫子 信(法政大学文学部教授)

 

フランス国立科学研究センター(CNRS)の常任研究員であるジル・カンパニョロ氏は、その研究テーマが経済学の認識論、および経済的合理性の解釈学の研究ということからも分かるように、経済学を中心とする社会科学分野の研究者でありながら、哲学にも造詣が深いだけではなく、また、日本の社会・経済・文化の現状にも強い関心をもつ、現代フランスの異色の若手研究者である。主著は、Critique de l’economie politique classique. Marx, Menger et l’Ecole historique, Paris, Presses Universotaire de France, 2004であるが、ヘーゲルについての研究業績もあれば、現代日本についての編著(Le Japon aujourd’hui. La puissance d’innover, Paris, Presses Universotaire de France, 2004)もある。国際日本文化研究センター(京都)外国人研究員として来日中という機会をとらえ、上記のテーマで研究報告をお願いした。

研究報告全体の問題は次のように立てられる。言語が文化の空間に閉じ込められていて、一定の世界観を前提に存在していると考えれば、翻訳不可能なことが生じてくるのは避けがたい。しかし、科学には、文化の多様性の手前に、合理的で普遍的な、人類に共通の基盤があるように見える。したがって、科学は翻訳が不要であると思われる。しかし、一方で、この科学といえども、数学的・分析的言語を使用しても解消しない、翻訳不可能な部分を抱えているようにも見える。この問題を、とりわけ哲学・経済学文献の翻訳事例に即して、次の三つの論題のもとに考察する、というものである。

1)科学(とりわけ、社会科学)、哲学、そして数学で用いられている言語について
翻訳での知らず知らずの勘違いというようなことは、ヨーロッパとアジアとの言語間だけではなく、ヨーロッパの言語間でも頻繁に起こっている。数学化があらゆる領域で進展すればこのような勘違いはなくなるであろうが、すべてを数学化することは可能であろうか。これに対するカンパニョロ氏の答えは、ノンである。数学は、その富と精度にもかかわらず、科学(社会科学)で用いられる概念の内容のすべてを汲み尽くすことができない。

2)東西の科学的交流(科学の受容)について
東洋を含む非西洋では、西洋での進んだ科学・技術の知識を取り入れることが、科学的・技術的・経済的発展へと至る道である、と信じられている。明治維新以降の日本の近代化は、そのような道の典型である。しかし、この近代化といえども、科学・哲学思想の西洋から東洋への単純な翻訳(=転移・受容)とばかりは言えない側面がある。カンパニョロ氏は、19世紀に日本の西周らが「哲学」や「経済学」をその学名さえ考案しつつ導入した経緯に説き及びつつ、翻訳(=転移・受容)の歴史的・文化的コンテクストに注目する必要性を強く主張する。

3)「文明の壁」という考え方について
カンパニョロ氏によれば、一方で翻訳や受容が行われながら、他方で言語や概念の間にまったく干渉を受けることなく「文明の壁」が立ちはだかっているというような考え方は維持できない。実際、科学の専門分野では、文明の壁を越えた一様化(画一化)の過程が目下進行中である。しかしながら、文明(もしくは文化)間にはまったくの等価性は成立しえない。そのかぎりで、一方で、経済学の領域で計量経済学がますます支配的となる傾向を強めるなかで、例えば、19世紀ドイツに由来する「文化経済学」には、大いに将来性があるとも言うことができる。

以上のように、フランス語、英語、日本語という三ヶ国語を交えての研究報告は、カンパニョロ氏の研究領域の広がりと氏の才気煥発さを伺わせる、きわめて刺激的で示唆に富んだものであった。議論も、翻訳可能性・不可能性をめぐって、三ヶ国語によって活発に行われたが、「国際日本学」のこれからのあり方を予想させる、国際的かつ学際的で、意義深いワークショップであった。

【記事執筆:星野 勉(国際日本学研究所所長・文学部教授)】

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