【開催報告】国際日本学研究所主催・江戸東京研究センター共催 新しい「国際日本学」を目指して(11)公開研究会 「東京と今和次郎―『動き』としての惑星都市論―」(2021年7月31日)2021/08/11
法政大学国際日本学研究所主催・法政大学江戸東京研究センター共催
新しい「国際日本学」を目指して(11)公開研究会
「東京と今和次郎―『動き』としての惑星都市論―」
2021年7月31日(土)14時~15時30分 オンライン(ZOOM)にて開催されました。
■報告者
クリストフ・トゥニ(立命館大学グローバル教養学部准教授)
■司会
横山 泰子(法政大学国際日本学研究所長・理工学部教授)
■コメンテーター
陣内 秀信(法政大学江戸東京研究センター特任教授)
【報告内容】
「近年、欧米を中心に『惑星』的な思考法への注目が高まっているが、そのような世界観は、戦前の日本においても、建築学者の今和次郎によって先駆的に表現されていた。」クリストフ・トゥニ(Christophe Thouny)氏は、本報告において、こうした主張を今和次郎の『新版大東京案内』などを手がかりに展開した。
「惑星(planetary)」は近年、ポストコロニアル理論・比較文学のガヤトリ・C・スピヴァクや都市論のニール・ブレンナーらによって展開されている議論であるが、トゥニ氏は、それらを踏まえながら「惑星」を「他者の空間(space of alterity)、開いた全体性(open totality)、絶え間ない動きの場(continuous field of movement)」として独自に概念化する。それは、都市を分離切断された閉じられた空間としてではなく、郊外や地方とつながった、あるいは世界各地の場所に開かれた「外部なき世界」としてとらえる視座である。また、その都市は、静的なものではなく、常に動き続ける場所であり、そこに住み、活動する人々は、あくまでも自然やインフラなどのモノと同じく、都市の全体性を構成する一要素でしかない。ただし「惑星」的な思考は、世界に開かれるとは言っても、時に「グローバル」という言葉がもたらすのっぺりとした一元的な世界観ではなく、むしろローカルが「強度化(intensify)」され、人々がすでに具体的なローカルな空間から世界へとつながっている(be entangled)ことを強調するような概念だという。
こうした新たな視点は、モダニティを越えた現代においてはじめて展開されるようになったと考えられているが、トゥニ氏は、まさに日本が近代化を推し進めていた戦前、戦後の東京を調査した建築学者、民俗学研究者の今和次郎の仕事に類似した世界観を見出した。1929年に出版された『新版大東京案内』や『考現学入門』におさめられている論考には、様々なユニークな東京の都市、風俗が描かれており、それらには今の「惑星的」な指向性が見て取れるという。人々が手作業で作り出すバラックに彩られた装飾への着目は、今和次郎が現在で言うDIY(do-it-yourself)がもたらす「偶然の美しさ」に着目した証左であった。また、井の頭公園に集う人々の行動を描いた地図からは、人が環境に「吸収されていく」あり様が浮かび上がり、今和次郎が空間を環境と人間の相互行為としてとらえていたことのあらわれと見なすことができるという。そして、銀座、新宿、上野、浅草などの人流を人々の属性に分けて数値化した「盛り場人出分析表」などは、今がまさに「動き」として東京をとらえていたことを示している。
トゥニ氏の報告は、江戸東京学、グローバル都市論を踏まえて展開された議論であると言える。そこで、コメンテーターの陣内秀信氏からは、専門的な知見に基づく鋭いコメントや質問が寄せられた。「惑星」概念は、グローバリゼーションが都市にもたらす負の側面を突き抜けるアイデアとなりうるのか、また近年議論されている都市におけるコモンズの問題と「惑星」はどう結びつくのか。そして、今和次郎と東京の問題についても、今が描いた東京は1930年代という時代的な背景が色濃く反映しているのではないかと述べ、今の仕事が再び注目される1980年代と1930年代の東京の類似性が指摘された。更には、当日参加された町村敬志氏からも「惑星」的な東京において国家というアクターがどのような役割を果たしているのかという都市社会学の視点からの質問も出された。
トゥニ氏の報告は、現在準備している書籍の一部(仮題Dwelling in Passing)であり、氏の発想には、欧米、アジアの各地の都市を自らが「動き」ながら生活をしてきた経験が反映されているという。東京をユニークな想像力で描いた今和次郎の仕事に、「惑星」論に基づいたトゥニ氏の独自の発想力が加わった報告と、それを踏まえた世代、ナショナリティを越えた開かれた議は、参加者に自由にイメージをし、考えることをうながす刺激的なものとなった。
【記事執筆:髙田 圭(法政大学国際日本学研究所専任所員)】