【開催報告】法政大学国際日本学研究所主催 「トランスナショナルな日本」研究会 (4) 「クィア」から見る日本文化 “Queering” Japanese Culture 2024年6月13日(木)2024/08/09

【開催報告】
「トランスナショナルな日本」研究会(4)
「クィア」から見る日本文化
“Queering” Japanese Culture

 

■日時:2024年6月13日(木) 17:30~20:00
■会場:法政大学市ヶ谷キャンパス 新見附校舎3階 A305教室 【対面式で開催】
■主催:法政大学国際日本学研究所

■報告者:
チエリー・オケ(パリ・ナンテール大学)
ピエール・ニーデルガング(パリ・ナンテール大学)

■司会:髙田 圭 (法政大学)

国際日本学研究所では、トランスナショナルな視点から日本の社会・文化・政治を捉える研究会を開催してきた。今回は、フランスから二人の研究者をお招きし、境界を超える「クィア」な視点から、日本の文化・芸術作品やコミュニケーション文化を分析していただいた。また、限られた時間内で充実した二本の報告と活発な議論をうながすため、報告者には、日本語か英語で講演いただき、質疑応答も含めて必要に応じて通訳を介入するという柔軟なかたちで開催することにした。

まずパリ・ナンテール大学教授のチエリー・オケ氏が「日本をクィアリングする−身体とアイデンティティのVerfremdung [異化]」と題する報告を日本語でおこなった。オケ氏は、一般的に性的マイノリティを連想させる「クィア」という概念をより広く包括的な概念として捉えることを提唱し「固定されたアイデンティティに異議を唱えることを目的とした手法」と定義付けた。こうした女性/男性や異性愛/同性愛といった二元論を忌避することを通じて「クィアリング」は、想定されるアイデンティティの幅を広げ、人間の新たな可能性を開くことを目指すものだという。こうした概念を通じてオケ氏は、現代美術家・森村泰昌の写真「エルダーシスター」、松本利夫の映画『薔薇の葬列』、三島由紀夫の小説『禁色』、田亀源五郎の漫画『弟の夫』など多種多様な日本の「クィア」な文化作品を取り上げ、分析した。とりわけ森村泰昌自らが「女装」して撮影した写真「エルダーシスター」の分析は示唆的であった。オケ氏によれば「エルダーシスター」のクィア性は、サイエンス・フィクションにも似ている。SFの世界は、経験的または客観的な証明が欠けているものの、そうした世界が存在する可能性は否定しきれない。それ故、SF的な想像性には現実を「異化」し、より良い未来を探求する力がある。そして、「クィアリング」もこうした「異化効果(Verfremdungseffekt)」を持つ可能性に開かれたアプローチであることが強調された。

ピエール・ニーデルガング氏による二つの目の報告「『クィア』な視点から見る『間』」は、クィアと規範(norm)の関係性を「間」と言う日本的概念から分析を試みるものであった。ニーデルガング氏によれば人と人同士の「間」にはさまざまな規範が横たわっている。そしてフーコーが指摘するようにそうした規範は、ニュートラルなものでなく、そこには「生政治」が潜んでいる。要するに、「間」は社会的に構築されているわけだが、ニーデルガング氏は、そうした人々に介在する「間」はヘテロセクシュアルな規範によって形作られているのではないかと問うた。これまでのクィア研究では、セクシュアリティには特有の規範があり、その規範は(ヘテロセクシュアルな)支配の結果である。そのためすべてのセクシュアリティに関わる規範は批判され、一掃されなくてはならないと言う考えが主流であった(反規範的クィア理論)。ニーデルガング氏はこうした考えを排して、規範を葬り去るのではなく、クィアの間には特有の規範性、いわばクィア規範性と言えるようなものが存在しているのではないかとし、それは端的に性的同意といったコミュニケーションに表れるものだと主張した。また結論として、そうしたクィア規範性の特徴として批判的(critic)、共同性(communitarian)、そして、活動性(vital)の三つのキィワードを示した。

こうした両者の報告は、日本の文化や思想と欧米の理論を交錯させながらクィアの新たな概念化をはかる極めてユニークな試みであった。さらに、クィアを単に支配的な文化や規範を解体するためのアプローチとして捉えるだけでなく、クィアリングの視座を採用することでありうる別の可能性を提示する開かれた方法論となっているように感じられた。二本の報告の後、多様なバックグラウンドを持つ参加者を交えての日本語・英語・フランス語を通じた活発なディスカッションが展開された。日本と西洋のクィア文化の違い、1970年代から現代にかけてのクィア・イメージの変遷、現代日本のクィア・コミュニケーションの可能性や「間(ま)」と「間(あいだ)」の概念的な違いなど、理論、歴史、比較分析など多様な視点からのコメント・質問が投げかけられ、セミナーらしい相互に学び合う場となった。

髙田圭(法政大学国際日本学研究所専任所員・准教授)


【チエリー・オケ氏】

【ピエール・ニーデルガング氏】

【チエリー・オケ氏・髙田 圭氏】

【会場の様子】

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