第9回東アジア文化研究会(2009.12.8)

学術フロンティア・サブプロジェクト2異文化としての日本

2009年度第9回東アジア文化研究会

「宮沢賢治は日本人として生まれて損をしたのか?」


■報告者:ロジャー・パルバース 氏(東京工業大学世界文明センター長、作家、劇作家、演出家)

■日 時:2009年12月8日(火)18:30-20:30

■会 場:法政大学市ヶ谷キャンパス 58年館2F 国際日本学研究所セミナー室

■司 会:王 敏(法政大学国際日本学研究所 教授)

 

 

研究会の様子:パルバース先生          研究会会場光景

去る2009年12月8日(火)、18時30分から20時40分にかけて、法政大学国際日本学研究所セミナー室(東京・千代田区)において、法政大学国際日本学研究所2009年度第9回東アジア文化研究会が開催された。今回は、東京工業大学教授で作家、劇作家、演出家のロジャー・パルバース氏を迎え、「宮沢賢治は日本人として生まれて損をしたのか?」と題して行われた。

パルバース氏は1944年にアメリカ合衆国ニューヨーク市に生まれ、カリフォルニア大学ロサンゼルス校、ハーバード大学大学院で学び、1967年初来日。以後、数度の来日を経て現在は東京工業大学世界文明センター長を務める。この間、1976年にはオーストラリア国籍を取得したほか、1970年代から宮沢賢治の作品の英訳を行っている。2008年には、長年の宮沢作品の翻訳と研究に対し、第18回宮沢賢治賞が贈られた。

報告の概要は以下のとおりである。

 

現在では想像できないかもしれないが、1967年の初来日当時、宮沢賢治は日本の文壇において、「二流作家」として位置づけられていた。国内の扱いがこのようなものであったから、世界的に見ても宮沢賢治を研究する学者はほとんどおらず、スウェーデン人研究者のケルスティン・ヴィデーウスが唯一の例外といってよいほどであった。パルバース氏によれば、その理由は、次の8つの点に求められる。

 

1)       方言を使用したこと

2)       表現が独特であったこと

3)       宗教用語と宗教概念を多用したこと

4)       自然科学用語を多用したこと

5)       作品中に「日本」や「日本人」という言葉や要素が出てこないこと

6)       作品中に恋愛や男女の交わりが描かれないこと

7)       「20世紀的要素」がなかったこと

8)       人間と植物や動物の関係の密接さを説いたこと

 

このうち、方言については、使用頻度は決して多くなかったものの方言を利用するということ自体が中央の文壇にとっては「田舎者の作品」とみなすのに十分な証拠であった。また、表現の独自性は、他者による模倣を許さないという点で絵画におけるフェルメールと同じであったが、模倣されないがために追随者を生み出すこともなかった。しかし、生前に「一人前の作家になる」という希望を果たせなかったことは、出版社の編集者による手垢がつかなかったという点で、宮沢賢治とその作品にとっては「作品がそのまま残される」という望ましい結果をもたらした。

宗教用語と宗教概念の多用については、その道徳的な要素の強さのために、無宗教的な日本人に敬遠されることとなった。宮沢賢治が自然科学用語を多用したのは、彼が「詩人」であることを拒み、「自然の記録者」であることを望んだことの証である。しかし、これによって、宮沢賢治の作品は日本の叙情詩の伝統的な作法と異なることになり、そのため、読者や批評家たちの理解を得ることが難しくなってしまった。

宮沢賢治が生きたのは日本が軍国主義と愛国主義の渦中にあった時代であったが、そのような周囲の状況にもかかわらず作品中に「日本」や「日本人」といった要素がまったく現れなかったために、彼の作品は同時代人の理解の範疇外に置かれることとなった。同様に、何らかの形で恋愛や男女の交わりという要素もっていた当時の日本の作家たちの中では異色の存在であったたことが、周囲の理解を妨げることになった。

一方、1896年という19世紀の末に生まれ、1933年に没した宮沢賢治であったが、彼の作品には「大量生産、大量消費」といった20世紀的要素がなかった。むしろ、彼が説いたのは人間と自然の関係であり、あるいは従来の行動様式を完全に変えなければ人類は滅びる以外にないという「予言」を作品の形で残した。その点で、宮沢賢治の作品には「20世紀的要素」がなく、21世紀の問題を先取りしていたのである。しかし、それゆえに、同時代の人々の共感を得ることは少なく、彼が注目を浴びるようになったのは、現代社会が限界を迎えた、20世紀末になってからなのであった。

このように考えるとき、われわれは「宮沢賢治は日本人として生まれて損をしたのか?」というパルバース氏の立てた問いにどのように答えることができるであろうか。パルバース氏の答えは、「宮沢賢治は日本人として生まれて損をしたのではない。19世紀という時代に生まれ、20世紀に生きたことで損をしたのだ」というものであった。

パルバース氏によるこの問いと答えは、「20世紀に生きたからこそ21世紀を予見したと評価されるが、21世紀的な発想をもっていたために20世紀の人々には理解されなかった」と言い換えることができる。そのように考えるとき、今回の報告は、「大作家になろう」と志すもついにその願いを果たすことのできなかったその一生の皮肉さと無念さばかりでなく、「今日、宮沢賢治の作品が単に日本人のみならず世界の人々にも影響を与えるのはなぜか」という問いに対する答えでもあるといえるだろう。

【記事報告: 鈴村裕輔(法政大学国際日本学研究所 客員学術研究員)】