加藤周一講演会「日本文化再訪—多文化主義について」

加藤周一講演会 「日本文化再訪−多文化主義について」

  • 日 時   2007年7月9日(月) 16時00分〜16時50分
  • 場 所    ボアソナード・タワー 26階 スカイホール
  • 司 会  星野 勉(国際日本学研究所所長)

広い視野のもとに文学・思想・芸術から国際情勢に至るまで、縦横無尽、鋭敏にして繊細な言論活動を展開されている加藤周一氏の講演会「日本文化再訪−多文化主義について」(国際日本学研究センター・国際日本学研究所、総長室共催)が、7月9日(月)、市ケ谷キャンパスのボアソナード・タワー26階スカイホールで開催された。

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1950年代半ばに、日本文化の雑種性をいち早く指摘され、「雑種文化」の積極的な意義を強調された加藤氏、それからほぼ半世紀後、87歳の現在も、精力的に評論活動を展開され、最近では『日本文化における時間と空間』(岩波書店)を上梓された。講演会の冒頭では、国際日本学研究所の王敏教授がエピソードを交え、現在の中国でも著名な加藤氏の紹介を行なった。

この日の講演では、思想、宗教、歴史、文学、美術、そして、国際関係など幅広い見地から日本文化論が展開された。論理的かつ個性的な独特の語りで、会場に詰めかけた約200人の聴衆は、戦後日本を代表する碩学のスケールの大きな話に、深い感銘を覚えた様子であった。

多文化主義とは、いわゆる概念体系を含意する主義・主張という意味ではなく、もっと緩い意味において、文化接触のなかで多様な文化を受け容れる立場である、という定義付けから、本講演は始められた。知識のグローバル化の進展のなかで、多様な文化(価値)を受け容れる、この方向性(=多文化主義)は現代の趨勢とも言えるが、これは、不寛容な絶対主義との対比において、激しい争いを回避しやすく、寛容と価値の相対化という点に特徴がある。しかし、加藤氏は、文化は完全に相対化されるのではなく、そこには普遍的に通用する価値と特殊な価値とがあり、したがって、日本文化においても、そのうちに普遍的に通用するものと特殊日本的なものとを探り当てることが必要である、と主張する。

ところで、日本文化は、江戸時代以前は中国の大陸文化の影響下に、そして、明治維新以降は欧米文化の影響下に形成されてきた。その意味で、もともと多文化との接触のなかで培われた多文化主義的な文化であったと言うことができる。

そこで、加藤氏は、日本文化における深層(=特殊日本的なもの)に迫るにあたって、三つの方法を提唱する。一つは、大陸文化の影響を比較的受けていない文献(『古事記』、『日本書紀』、『風土記』など)を手掛かりとして、もう一つは、時代認定が難しいという問題はあるが、考古学的資料や民俗学的資料(例えば、離島に残る風習)を手掛かりとして、それを探り当てるというやり方である。第三には、受容された外国文化(例えば、仏教なり儒教なり)がどのようなかたちで土着化(=日本化)するかということを、そのベクトル(方向性と強度)をオリジナルな外国文化のベクトルと比較することによって解明し、そこから日本固有のベクトルを探り出すというやり方である。このやり方が有効なのは、土着化(=日本化)した文化は、外国文化のベクトルと日本文化固有のベクトルの合成ベクトルだからであると説明される。

例えば、仏教について言えば、もともと仏教は来世志向のものであったが、日本化された仏教は、現世におけるご利益(りやく)、具体的には、無病息災、雨乞いなどに強い関心を示すようになる。そこには、魂の救済という観点は全くない。また、儒教、とりわけ朱子学は、もともと概念体系として構築されたが、それが日本化されると、例えば、病気に対する治療というような、具体的なノウハウになってしまう。ちなみに、江戸時代の儒者はほとんどがまた医者でもあった。

こうして、加藤氏は、日本文化に固有なベクトルとして、時間的な「いま」と空間的な「ここ」を剔抉する。そして、日本文化とは、「いま、ここ」(right now here!)の文化であるという結論でもって、本講演は締め括られた。

話題は、このように、日本文化の特質、その可能性と限界にまでおよんだばかりではない。さらに、本学の推し進めている国際日本学研究への期待にまでもおよび、その方法論の確立にとってもきわめて示唆に富むものであった。

講演会終了後、アルカディア市ヶ谷に場所を移し、国際日本学研究所所員を中心に加藤氏を囲んでワークショップを開催した。そこでは、知的な刺激に富む、活発な議論を交わすことができた。

【記事執筆:星野 勉(国際日本学研究所所長)】