【開催報告】アプローチ(4)2014年度第2回勉強会(2014.12.19)報告記事を掲載しました2014/12/23
「国際日本学の方法に基づく〈日本意識〉の再検討−〈日本意識〉の過去・現在・未来」
研究アプローチ(4)「〈日本意識〉の三角測量−未来へ」
2014年度 第2回勉強会
19世紀日本における「作者」の諸相
日 時 2014年12月19日(木)18:30〜20:30
会 場 法政大学市ヶ谷キャンパス 58年館2階 国際日本学研究所セミナー室
講 師 ニコラ・モラール
講 師(ジュネーブ大学文学部東アジア研究所講師 /日仏会館フランス事務所研究員)
対 話 中丸 宣明 (法政大学文学部教授)
司 会 安孫子 信 (法政大学国際日本学研究所所員・文学部教授)
今日、「作者」という概念からは一般的に「個性的な創作者」というイメージが喚起されるであろう。それはロマン主義の思想が現代に至るまで通念としていかに定着してきたかを物語っている。文化製品市場が拡大し、著作権侵害行為が増加する現代においても、文芸創作の美学・法律的な基盤が揺るがず、むしろ逆に固まっていくようである。
西洋では、その近代的な作者概念の形成と崩壊が古くから研究者、評論家、作家たち自身の目線を集めたのである。「作者」概念は近代前衛(マラルメ、ヴァレリー、プルースト、シュルレアリスム、ロシア・フォルマリズム、ニュークリティシズム、構造主義、ポスト構造主義など)によって徐々に非神聖化され、1960年代後半になると、ロラン・バルトなどによってその死が宣言されるほどである。それ以来、「作者」という概念の歴史性が問われ、いつ頃から如何にして作者が文学作品の生産・流通・享受に中枢的な地位を得たかという課題が浮かび上がってきた。
日本の文学史を19世紀という枠組みで捉える意味は、まさに木板と写本を中心とした近世的パラダイムから、活版印刷による新しいメディア(新聞・雑誌など)が登場した近代的パラダイムへという転換が俯瞰で取れることにあると思われる。
本研究は、その問題意識を出発点に据えながら、美学(オリジナリティー)や法学(著作権)に限らず、文学(作者の自己表象)・社会学(作者の職業化)・哲学(個性の誕生)・経済学(作者の収入)など、様々な観点から、日本の19世紀的な「作者」象を追及することを目的とするが、今回の発表では、作者の図像学ともいえる分野に焦点を合わせた。
寛政の改革を経て、全国出版市場の基盤が固まって初めて、山東京伝、曲亭馬琴、十返舎一九などのように、一種のプロ作家が現れると言われているが、彼らは出版市場の中で生き延びていくには、以前よりもまして、自己宣伝を迫られている。作家のイメージ(抽象的な意味でも、具体的な意味でも)がますます重要な役割を果たすようになる。その流れで、作家の肖像に注目する意味が大きいと思われる。発表では、作家がいかに表象されたか、どのきっかけでその肖像が作成されたか、それがいかに世間に流通されていたかなどの問いに答えることを試みた。
答えの方向性は、大きく二つに分けられる。私・公的空間における作家肖像の流通と、テキスト世界の中における作者のイメージ作成である。
一方、肖像画、草双紙、浮世絵、肖像伝記集などから、写真の発明以来、新聞や文学雑誌、全集の口絵まで、様々な資料から作家の肖像が見られる。その中から、葬儀というプライベートなイベントの際に作成された肖像画(例えば、山東京伝と京山の供養像)、仲間同士という小グループの中から発生した、お祝いの気持ちを込めた寿像(例えば、巌岳斎雪旦による「滝沢馬琴肖像並古稀自祝之題詠」)、煙草屋を開いた際に作られたと思われる山東京伝象(鳥文斎栄里画「江戸花京橋名取」)、そして作家の私生活に関する情報とともに流された文芸雑誌(「文章倶楽部」、「文章世界」など)の写真、いずれも19世紀を通して私・公的空間の捉え方がいかに変更していくかを考察するには興味深い資料である。また、木村黙老の『戯作者考補遺』(1845年)などという肖像伝記集から、作家の写真や草稿を乗せた近代作家の全集(例えば『透谷全集』1902年)までの資料にも、ある作品群が一つの固有名詞(作者名)とその肖像のもとで統一されていく言説が成立する過程が確認できた。
他方、絵を豊富に取り入れた江戸後期の文学作品に、つまりの物語世界に作者がいかに表象されているかという問題も作者の図像学的研究から浮かび上がる。黄表紙では作者を主人公として登場させる作品が数多く存在する(例えば、朋誠堂喜三二『亀山人家妖』1787年、山東京伝『作者胎内十月図』1804年、式亭小三馬『戯作花赤本世界』1846年)。その中から、書斎の中で作品を書いている姿、机に頬杖を突いたり寝込んだりして、作品世界を想像する姿、あるいは出版社が訪問して作品を依頼される姿、というような類型的な肖像が目立っており、常套手段として、坪内逍遥の『当世書生気質』(1885-86年)までに使用される。言うまでもなく、作者が作品世界に登場する行為は、視覚な次元にとどまらず、言語空間にも現れる。例えば、「作者曰く…」という表現を通して。自然主義中心の近代小説の成立過程で、作者と語り手が区別され、作者の突入もいったん制限されていくのであるが、作者が作品世界から完全に姿を消したわけではない。しばらくして、作家・作者・語り手をほぼ一致させる、「私小説」という日本独特の文学ジャンルにおいて、主人公として再登場するようになるのである。
このように、19世紀を包括して、作家と作品との関係が再構築される時代として把握することによって、20世紀の文学論者を悩まされた作者概念を再考するための出発点が得られることになるのである。
【記事執筆:ニコラ・モラール(ジュネーブ大学文学部東アジア研究所講師/日仏会館フランス事務所研究員】
ニコラ・モラール(報告者) |
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