【開催報告】アプローチ(4)2014年度第2回勉強会(2014.12.19)報告記事を掲載しました2014/12/23
「国際日本学の方法に基づく〈日本意識〉の再検討−〈日本意識〉の過去・現在・未来」
研究アプローチ(4)「〈日本意識〉の三角測量−未来へ」 2014年度 第2回勉強会
日 時 2014年12月19日(木)18:30〜20:30 会 場 法政大学市ヶ谷キャンパス 58年館2階 国際日本学研究所セミナー室 講 師 ニコラ・モラール 対 話 中丸 宣明 (法政大学文学部教授)
今日、「作者」という概念からは一般的に「個性的な創作者」というイメージが喚起されるであろう。それはロマン主義の思想が現代に至るまで通念としていかに定着してきたかを物語っている。文化製品市場が拡大し、著作権侵害行為が増加する現代においても、文芸創作の美学・法律的な基盤が揺るがず、むしろ逆に固まっていくようである。 寛政の改革を経て、全国出版市場の基盤が固まって初めて、山東京伝、曲亭馬琴、十返舎一九などのように、一種のプロ作家が現れると言われているが、彼らは出版市場の中で生き延びていくには、以前よりもまして、自己宣伝を迫られている。作家のイメージ(抽象的な意味でも、具体的な意味でも)がますます重要な役割を果たすようになる。その流れで、作家の肖像に注目する意味が大きいと思われる。発表では、作家がいかに表象されたか、どのきっかけでその肖像が作成されたか、それがいかに世間に流通されていたかなどの問いに答えることを試みた。 答えの方向性は、大きく二つに分けられる。私・公的空間における作家肖像の流通と、テキスト世界の中における作者のイメージ作成である。 他方、絵を豊富に取り入れた江戸後期の文学作品に、つまりの物語世界に作者がいかに表象されているかという問題も作者の図像学的研究から浮かび上がる。黄表紙では作者を主人公として登場させる作品が数多く存在する(例えば、朋誠堂喜三二『亀山人家妖』1787年、山東京伝『作者胎内十月図』1804年、式亭小三馬『戯作花赤本世界』1846年)。その中から、書斎の中で作品を書いている姿、机に頬杖を突いたり寝込んだりして、作品世界を想像する姿、あるいは出版社が訪問して作品を依頼される姿、というような類型的な肖像が目立っており、常套手段として、坪内逍遥の『当世書生気質』(1885-86年)までに使用される。言うまでもなく、作者が作品世界に登場する行為は、視覚な次元にとどまらず、言語空間にも現れる。例えば、「作者曰く…」という表現を通して。自然主義中心の近代小説の成立過程で、作者と語り手が区別され、作者の突入もいったん制限されていくのであるが、作者が作品世界から完全に姿を消したわけではない。しばらくして、作家・作者・語り手をほぼ一致させる、「私小説」という日本独特の文学ジャンルにおいて、主人公として再登場するようになるのである。 このように、19世紀を包括して、作家と作品との関係が再構築される時代として把握することによって、20世紀の文学論者を悩まされた作者概念を再考するための出発点が得られることになるのである。 【記事執筆:ニコラ・モラール(ジュネーブ大学文学部東アジア研究所講師/日仏会館フランス事務所研究員】
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