【開催報告】ツベタナ・クリステワ氏 受賞記念講演「女性たちの源氏物語-翻訳が促す再(差異)解釈-」2022年9月28日2023/01/26

法政大学国際日本学研究所主催 ツベタナ・クリステワ氏受賞記念講演

「女性たちの源氏物語 –翻訳が促す再(差異)解釈 –」


開催日時:2022年9月28日(水)18時30分~20時

講  演  者:ツベタナ・クリステワ(国際基督教大学名誉教授・法政大学国際日本学研究所客員所員)

司  会:小 口 雅 史 (法政大学文学部教授・法政大学国際日本学研究所兼担所員)

会  場:法政大学市ヶ谷キャンパス大内山校舎5階Y504教室

和歌を基にした日本古典文学の特徴の一つは、あいまいさである。主語すら必ずしも持たない文章なので、誰が誰に何をなどが容易に特定できるとは限らない。源氏物語のような世界で最古の長編物語もこうしたあいまいさを含んでいるが、それこそ、その永遠の魅力の源であるとも言えよう。

だが、古代日本語が読みにくくなるにつれ、読者の「助け舟」となっている注釈が細かくなり、あいまいさをなくす傾向が強くなる。そして、ほとんどの注釈が男性によるものなので、「正しい」と認定されるのは、男性の視点からの解釈である。今さら言う必要もないだろうが、恋愛関係をメインテーマにしている作品の読みには、読者の身体感や心情などが反映されるので、女性の解釈は異なるはずである。

さらに源氏物語が学校の必須科目の枠組みで教えられるようになったことにも、裏表の効果がある。一方では源氏が一般教養の一部になっているのだが、しかしもう一方では取り上げられるテーマが絞られてきた。削除されたテーマの一つはエロティシズムである。そして、不思議なことに、そのテーマは研究からもほとんど姿を消してしまったのである。

話の狙いは、失われたあいまいさとエロティシズムの痕跡を求めて、夕顔巻における夕顔と光源氏の最初と最後の贈答歌を取り上げ、現代語訳(日本語と外国語)が浮き彫りにしている男女の「声」の響きを聞き分けてみることである。

二人のやりとりの出発点となっているのは、次の贈答歌である。
「心あてに  それかとぞ見る 白露の   光そへたる   夕顔の花」
「寄りてこそ それかとも見め たそかれに ほのぼの見つる 花の夕顔」

和歌が一般コミュニケーションの手段でもあった社会のなかで贈答歌は会話であり、二つの歌の響き合いは歌を交わした人の関係や感情を示すものである。それにしても、この贈答歌ほど、句ごとに響き合っている例は珍しい。歌を通して結ばれた二人は契りを交わすことも時間の問題だけになるが、普段行われている解釈は、歌ことばの意味、すなわち表現の詩的意味を考慮していないので、贈答歌のエロティクな意味合いに触れていない。問題になるのは、「(白)露」、「光」、「花」、「夕顔」という歌ことばである。さらに注釈者を混乱させているのは、誘いの贈歌は、光源氏ではなく夕顔がよんだ歌である。二人の関係の描写が進むにつれこの混乱がエスカレートし、ピークになっているのは、最後の贈答歌に挟まれた「露の光やいかに」という表現である。密会の屋敷でほぼ二人きりになったので、顔を隠しつづけるのは迷惑だと判断した光源氏は「夕露に紐とく花は玉ぼこのたよりに見えしえにこそありけれ」という贈歌に「露の光やいかに」を添えた。注釈は、「紐とく花」をまたも光源氏と関連づけているので、この言葉を「私の美しい顔はいかがだろうか」とナルシスト的に捉えている。果たして異なる解釈の可能性はないのだろうか。

夕顔のエピソードを描写した江戸時代の美術品をも参考にしながら異なる解釈の可能性を示した上、四つの現代語訳と四つの外国語訳(英訳三つと露訳)を比較したが、どちらも訳者のジェンダーを問わずに注釈に従っていることが分かった。言い換えれば、注釈の絶対的オーソリティのため男女の「声」の響きが聞こえなくなっているわけである。一方、どの注釈もそれぞれの時代の考え方を反映しているので、昔の注釈書を厳守することは、現代の「声」そのものを響かなくする結果にもなっている。

……………

-報告後の質疑応答-

1.「露」の詩的意味は驚くほどバタイユのエロティシズム論に合っていると評価する意見が出た。その上で、現代文学にも多様な解釈がありうるが、古典文学はどう違うかについて質問があった。
発表者は、古典文学の場合、読者の「参加」は可能性の程度を超えて、必然的な条件となっている、と回答した。

2. 光源氏が顔を隠していたという謎めいた描写は、単に暗くて見えなかったとも解釈できるのではないかとの質問があった。
発表者は、その「当たり前」の可能性について考えたことがない、と感謝した一方で、暗いなかでも視力は私達よりはるかに鋭かったのでは、と反論した。

【執筆:ツベタナ・クリステワ(国際基督教大学名誉教授・法政大学国際日本学研究所客員所員)】

 

(会場の様子)

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