【開催報告】国際日本学研究所主催・江戸東京研究センター共催 新しい「国際日本学」を目指して(7)公開研究会「東京大空襲を考える-その政治的影響を中心に-」(2019年12月4日)2019/12/25
法政大学国際日本学研究所主催・法政大学江戸東京研究センター共催
新しい「国際日本学」を目指して(7)公開研究会
「東京大空襲を考える-その政治的影響を中心に-」
■日時:2019年12月4日(水)17:00~19:00
■会場:法政大学市ヶ谷キャンパス ボアソナード・タワー25階 B会議室
■報告者
鈴木多聞(法政大学国際日本学研究所客員学術研究員・法政大学兼任講師・東京大学非常勤講師)
■司会
小口 雅史(法政大学国際日本学研究所長・文学部教授)
【実施報告書】
3月10日の東京大空襲は、原爆投下と比較すると、国際的な関心が高くないといわれている。原爆投下の影響については様々な論争があるのに、東京大空襲の政治的な影響については、わかっていない部分も多い。戦争末期の研究は専門が細分化されている。空襲や戦争の記憶の継承をめぐっては、各地で様々な取り組みが行われている。国内的には東京大空襲の研究蓄積はかなりの量がある。
報告者は今回の報告準備のため、夜中に東京の下町を歩いてみた。消えてしまった空襲警報の音、炎、焼失してしまったもの、シンボル、戦争遺跡、過去の経験など、歴史として、どういう表現や方法で、次世代に継承すればよいのか。空襲の傷跡を生々しく伝えているイチョウの木もある。言問橋の西側には東京大空襲戦災犠牲者追悼碑がある。言問橋の欄干と縁石の一部は、現在、江戸東京博物館の前にある。
さらに今回の発表準備のために、様々な先行研究を読んでいたところ、『朝日新聞』(1942年10月2日)の記事を知った。見出しには「虎視眈々・米空軍東京空襲を企図/綿密なる調査を了し 模型で爆撃の猛訓練 本土防衛寸刻も怠るな」とある。
東京大空襲を語るとき、近衛文麿の「近衛上奏文」について言及されることが多い。京都における、高松宮と近衛文麿の会談も有名だ。このとき「最短距離は照宮成子内親王」という趣旨の会話を耳にしたという人もいる。
『昭和天皇実録』には「侍医塚原伊勢松は近く出産予定の盛厚王妃成子内親王を拝診のため、鳥居坂御殿に数日来勤務中、この日の空襲により私邸を焼失し、妻及び子女三名を喪うにつき、特に思召しを以て天皇・皇后より金三千円及び料理・菓子・缶詰を下賜される」「午後1時20分、盛厚王妃成子内親王は鳥居坂御殿において分娩し、男子が誕生する。天皇は御文庫において内大臣木戸幸一と御用談中、その報に接せられ、内大臣より祝詞の言上を受けられる」(3月10日)という記述がある。
日暮れ頃、東久邇宮盛厚王は、千葉街道をとおって、千葉から都内にはいった。このとき、どのような臭いをかぎ、何を見たのか。のちに、東久邇宮盛厚王は、昭和天皇に対し、本土決戦の見通しに関して「色々具体的な報告」をしたといわれる。
昭和天皇の空襲罹災地への行幸は3月18日のことであった。『昭和天皇実録』には「去る10日の東京都内における空襲罹災地のうち、深川・本所・浅草・下谷・本郷・神田の各区を自動車にて御巡視になる」「御視察の間、沿道の片付けをする軍隊、焼け崩れた工場や家屋の整理に当たる罹災民に御眼を留められ、しばしば自動車を徐行せしめられる。その後、神田淡路町・小川町・美土代町・神田橋・大手町を進まれ、10時、還幸される。途中、車中において侍従長藤田尚徳に対し、焦土と化した東京を嘆かれ、関東大震災後の巡視の際よりも今回の方が遙かに無惨であり、一段と胸が痛む旨の御感想を述べられる」とある(3月18日)。なお、堀田善衛『方丈記私記』にも空襲罹災地への行幸に関する記述がある。
大本営発表は、当日配布した新聞のコピーの通りである。『大本営陸軍部作戦部長宮崎周一中将日誌』には「根本対策を急速確立せざれば帝都の敗亡なり」とある。他にも様々な史料がある。
人間の言語転換力には限界がある。当日上映した映像のなかで「話を聞くと、それはまだ子どもですからね、火の海の中で死んだって言うんじゃなくて『前も後ろも上も下も右も左もみんな火だったんだ』」という証言があった。言語に転換できない部分を、どう継承すればいいのか。この点は「火」や「炎」だけにとどまらない。たとえば、ある時代には、ある言葉にあるニュアンスがともなったことがある。
歴史研究者が何にこだわるのかという点は個人差がある。また、研究テーマやアプローチ、見ている史料が、歴史研究者の歴史観に影響を与えている可能性があるといわれている。したがって、主観と客観の違いを意識するだけではなく、他の出来事と比較する視点も必要だろう。
なお報告後に質疑応答が行われた。「新聞に軍部の弱音が掲載されたことがあるのだろうか」「投下されたエネルギーや温度をどう考えるのか」「歴史記述は拡大と伸縮性が論理的に排除不可能であり、記述の目的や行為の指向性を含んだ歴史出来事の記述言語は蓋然性内包への警鐘なしには論じられない」というコメントや質問があった。
【記事執筆:鈴木多聞(法政大学国際日本学研究所客員学術研究員)】
会場の様子