【開催報告】2016年度アルザスシンポジウム「人間の試練にさらされる〈自然〉」(2016.11.3-11.5)報告記事を掲載しました2016/11/14
2016年 国際シンポジウム 『人間の試練にさらされる〈自然〉』(アルザスシンポジウム2016)
日 時 2016年11月3日(木)- 11月5日(土)
会 場 アルザス・欧州日本学研究所 (フランス)
主 催 法政大学国際日本学研究所(HIJAS)
フランス国立科学研究学院UMR8155:東アジア文明研究センター(CRCAO)
ストラスブール大学人文学部日本語学科
アルザス・欧州日本学研究所(CEEJA)
会場の様子
1.シンポジウムの概要
2016年11月3日(木)から11月5日(土)まで、フランスのアルザス欧州日本学研究所(CEEJA)において、国際シンポジウム「人間の試練にさらされる〈自然〉」(アルザスシンポジウム2016)が開催された。主催機関は、法政大学国際日本学研究所(HIJAS)、フランス国立科学研究学院東アジア文明研究センター、ストラスブール大学人文学部日本語学科、CEEJAであった。 アルザスシンポジウムは、2005年に行われた国際シンポジウム「日本学とは何か――ヨーロッパから見た日本研究、日本から見た日本研究」から数えて満11年となり、会場をCEEJAに移した2007年の国際シンポジウム「翻訳の不可能性」以来10回目となる。2010年から2014年までの5年間は「日本意識」を軸として行われたアルザスシンポジウムは、2015年から「中心と周縁」と「環境と自然」を議論の枠組みとして設定し、今回も「人間と自然」をシンポジウムの主題とした。 環境問題や公害問題、あるいは人間と自然の関係は、現在の人類共通の課題として国際的な議論と取り組みの対象となっている。今回のシンポジウムでは、日本と欧州、そしてブラジルという異なる知的伝統を持つ研究者が一堂に会し、人間による自然の利用や収奪、あるいは東洋と西洋による自然観の相違という枠組みに留まらず、今日の喫緊の課題となっている諸問題に対して新たな道筋を切り開くことが期された。そして、思想、歴史、文化、政治、環境といった側面から、日本側5名、欧州側4名が報告を行い、さらにその報告について総括の討議を行った。
2.各発表の概要
今回の報告者9名による発表の概要は以下の通りであった。
2.1. 第1日目 (1)安孫子信(法政大学)/西周の哲学における自然と人間――近代科学の受け皿の問題 Philosophyを「哲学」と翻訳した西周が、哲学の背景にある西洋の自然観と人間の間の断絶を捉えるために「哲学」を検討したことを手掛かりとし、西が西洋の思想や文化、技術を導入する際の日本の人々の心持ちを「長いものに巻かれる」ような「忠良易直」と考えたこと、さらには「人生三宝論」(1875年)の中で健康、知識、富有の「三宝」によって理法を超えられると論じたことが考察された。
(2)黒田昭信(ストラスブール大学)/自然の創案――自然の技術性と技術の本性 「作る自然」と「作られる自然」という両義的な自然のあり方から出発し、フランスの哲学者シモンドンが提起した「参加することを可能にするものが技術である」という思想と三木清の「自然も形を作るものとして技術的である」という考えを念頭に、技術とは与えられた自然の中に新しい自然を作るものであって、自然破壊は技術と技術的存在としての人間にとっても自己破壊的であるとともに、人間が自然の中の創案的要素であることを示していることが検討された。
(3)米家志乃布(法政大学)/19世紀の蝦夷地――北海道の地図における自然表象 18世紀から19世紀にかけて作成された蝦夷地の地図を対象に、それぞれの地図における山や川、あるいは特徴的な地形が作成者の都合に従って表現されるだけでなく、作成された時期の政治的、社会的な背景と地図の内容が密接に関係していることが各資料の実証的な検討によって明らかにされるとともに、19世紀に作られた伊能忠敬や松浦武四郎による蝦夷地の地図が20世紀に至るまで北海道開発に影響を与えたことが示された。
(4)小林ふみ子(法政大学)/山水画を通して自然を眺める/近世後期の文人趣味の流行 1830年前後に、浮世絵の一つの種類として風景そのものを描く風景版画が登場した理由を、(1)近世後期における旅行の普及、(2)寛政の改革後の地方経済の発達と富裕化による文化水準の向上、(3)文人的価値観の普及、の3点から検討し、山水画を自らものとして摂取し、享受することで、自ら文人としての意識を高めるというあり方が、当時の文献や図像資料に基づいて実証的に検討された。
2.2. 第2日目 (5)アンドレア・フロレス・ウルシマ(京都大学)/人間性に囲まれた都市――戦後日本における都市拡大の議論 戦後の日本の都市計画は戦災からの復興と人口の増加に対応するため都市だけでなく郊外も開発することで「都市」の範囲を拡大させるとともに、佐藤栄作内閣が21世紀の日本の姿を建築家や都市計画の専門家らの有識者に諮問するなど、都市のあり方を政治家だけの意思によって決定することが限界に達していたことが議論された。
(6)オギュスタン・ベルク(フランス社会科学高等学院)/高度成長時代において、日本はどうやって自然破壊のチャンピオンになりえたのか 伝統的に人間と自然とは共成するものと考えてきた日本人が高度経済成長期に世界最大の自然破壊国となった理由を、自然との調和を目指す日本の風土性を対象に検討を行い、自然が「じねん」と「自ずから然り」という二つの意味を持っていたために大資本が「自ずから」を独占することで大規模な開発が可能となり、日本人は自らの風土性を破壊したと指摘された。
(7)ヨハネス・ヴィルヘルム(ウィーン大学)/土着知識、期間、世界観、そして環境保護主義 内海延吉の「漁師は山ばかり見ている」という言葉から出発し、知識を「経験的知識」、「制度的知識」、「模範・範例的知識」に分類しつつそれぞれの知識のあり方を漁師の実例に基づいて検討することで、山の神と自然界及び人間の関係がどのようにして成り立っているかが検討された。
(8)小口雅史(法政大学)/日本古代東北地方を襲った災害の実相とその復興をめぐって――3・11東日本大震災の前史としての貞観大地震を中心に 貞観11(869)年5月26日夜に陸奥の国で発生したマグニチュード推定8.3以上の貞観地震と、延喜15(915)年7月13日に発生した日本最大の噴火である十和田噴火を例とし、朝廷が災害後の復興策をどのように講じたか、また古代の人々が災害の前後でどのような対応を行ったかが、文献と考古学上の知見から実証的に考察された。
(9)鈴村裕輔(法政大学)/日本の環境政策の転換点としての1970年――「公害国会」を中心に 1950年代から1960年代にかけて日本において深刻な社会問題となっていた公害について、政府が14の公害対策関連法案を成立させた1970年のいわゆる「公害国会」が開催されるまでの経緯を、当時の佐藤栄作内閣が置かれた内政と外交の課題、当事者の日記や回想、さらには同時代の新聞の報道などを通して検討した。
3.シンポジウムの成果と意義
シンポジウムの第3日目に黒田昭信氏(ストラスブール大学)がシンポジウム全体の総括を行い、(1)「自然」の多様性と「自然」の表象の多様性の区別、「自然」とnatureの共訳不可能性という「テーマの問題」、(2)学際研究を実りあるものにするための方法論の確立、特殊性の不当な一般化の回避という「日本学の対象の多様性」、(3)知の重層化による対象の析出や「物自体」、「対象」、「表象」の違いを顧慮する「学問間の時間的尺度の違いと対象の現れ方の違い」の3点が今後の研究の課題として提示された。黒田氏による問題の提起は「人間と自然」を考える際に重要な観点であるばかりでなく、各研究者がそれぞれの専門分野に立脚しつつ課題に取り組む国際日本学という分野の枠組みそのものに関わる根本的な問題を含んでいると考えられた。一方、9件の報告を通して、「自然」あるいは「人間」という言葉が多義的であるばかりでなく、何物かを生み出す自然と何者かに作り出される自然、あるいは主体である人間と従属する人間という、「自然」や「人間」の両義性が明確化されたことは、今回のシンポジウムの最大の成果であるといえた。 なお、2011年から始まったストラスブール大学日本学専攻の大学院修士課程の学生による聴講が今回も行われ、2日間で延べ23名が参加した。これは毎年2月にストラスブール大学とCEEJAで行われる法政大学哲学科生との「国際哲学特講」合同ゼミ(両大学生にとって正規授業)に向けた準備の一環でもあり、このシンポジウムが有する教育的意義を証していよう。さらに、会場の都合により今回は実現しなかったものの、一般からも聴講の希望があったことは、本シンポジウムが市民社会に開かれた催しであることを改めて示すものであった。 今回のアルザスシンポジウムの成果については、2017年に刊行されるHIJASの研究成果報告集『国際日本学』第15号に特集として掲載予定である。
【記事執筆:鈴村裕輔(法政大学国際日本学研究所客員学術研究員)】
開会の挨拶をする安孫子信氏(右)と黒田昭信氏(左)
参加者の集合写真