【研究所訪問報告】何香凝美術館の本研究所表敬訪問(2015.10.6)2015/10/22
何香凝美術館の本研究所表敬訪問
・日 時: 2015年10月6日(火)
・場 所: 法政大学国際日本学研究所
楽正維氏(副館長)をはじめとする、中国何香凝美術館一行総勢7名が10月6日、本研究所を表敬訪問され、王敏専任所員・教授と懇談した。王敏教授はプレゼンテーションを行い、法政大学の歴史、法政速成科で学習した清国留学生、法政大学と何香凝の関係などを紹介した。
1997年に開館した何香凝美術館は、中国で初めての個人名を付した国家級美術館であり、当時の国家主席の江澤民が館名を揮毫した。中国美術館に次ぐ2番目に造られた国家級現代美術館として、主に何香凝(かこうぎょう、1878~1972)の書画を収集、陳列、研究している。美術館建築面積は 5,000平米を超えている。
何香凝は中国の女性革命家及び画家として広く知られている。1903年日本に留学し、1908年東京女子美術学校を卒業した。日本滞在中の1903年春に孫文と面識を持ち、1905年7月に最初の女性会員として中国同盟会に参加した。以後も孫文の信頼を得て同盟会の活動に積極的に従事していた。夫の廖仲愷も国民党の有名な革命家であり、日本留学時期に法政大学に在学したという説もある。何香凝は同盟会の集会の接待や通信・連絡などの任務を担い、孫文の強い信頼を得たため、孫文の死にあたり遺嘱の証人の一人となり、孫文自身から宋慶齢夫人の後事を託された。日本留学期からの孫文との強い結びつきは、彼女のその後の政治家としての道を方向づけ、彼女は夫と孫文の遺志を継承することがみずからの役割であることを強く意識していた。何香凝は著名な画家でもあったが、日本留学時に女子美術学校で日本画教育を受けたことが画家としての出発点であった。また、日本で受けた教育によって彼女独自のジェンダー観と救国観が形成され、女性運動を指導する際の思想的基盤となった。ちなみに周恩来について日中国交正常化に尽力した廖承志氏がご子息である。
何香凝美術館側は上述した歴史、とりわけ何香凝と法政大学及び日本との繋がりについて大変興味を持ち、王敏教授と2時間にわたって有意義な討論を実施した。また、今後相互の資料交換などを通じて学術交流を深めていくことに合意した。
【記事執筆:法政大学国際日本学研究所学術研究員 周曙光】
法政大学の歴史及び国際日本学研究所の研究成果を紹介する王敏氏
会場の様子
左より:楽正維氏、王敏氏
参会者の集合写真