【研究所訪問】南開大学周恩来研究センター徐行教授の本研究所訪問及び「周恩来と日本」研究会の開催について(2015.8.8)2015/08/12

南開大学周恩来研究センター徐行教授の訪問及び「周恩来と日本」研究会の開催

 

20150808_jyo

研究会参加者(右奥:徐行教授、右手前:王敏教授)

日 時: 2015年8月8日(土) 13:30~16:00
場 所: 法政大学国際日本学研究所内共同研究室
参 加:法政大学人文科学研究科国際日本学インスティテュート「アジアと日本Ⅰ」の受講生ほか
司 会:法政大学国際日本学研究所専任所員・教授 王敏
通 訳:国際日本学インスティテュート博士課程  周曙光

南開大学周恩来研究センター 徐行教授が8月8日本研究所を訪問され、周恩来の日本観及び外交思想を中心に、日本と中国の現状から文化的側面についてまで、さまざまな事象に触れながら参加者と有意義な学術交流をした。
徐行先生は、南開大学歴史学科を卒業され、中国近現代史が専門である。1985年より教鞭を執り、この20年来、周恩来の研究に携わって、現在は周恩来政府管理学院の教授、中国中共文献研究会理事、南開大学周恩来研究中心の主任(注1)を兼任される。周恩来研究の第一人者である。
徐行氏が今回訪問された理由は、王敏が2013年、南開大学で開催された「第四回世界周恩来学術研究国際研究会議」で、『周恩来と法政大学』というテーマで周恩来の日本留学について発表、また同大会の成果となる論文集『周恩来と20世紀の中国と世界 第四回周恩来研究国際学術研究会論文集』(上巻、226-239頁)に掲載されたことを契機に、学術面における周恩来と日本の研究を深めていきたい希望から実現に至った。
最初に、学生側から留学について、現代と周恩来の時代の動機が質問された。 「周恩来の時代の学生は、自国の国を救う方法、日本の明治維新からの発展を学ぼうとした。一方現代の学生は、自分の教育、教養のレベルを上げたい。科学技術を学びたい。文化交流をしたい」との理由があるとされた。  今回参加した学生の多くは社会人であったが、南開大学でも在職社会人向けの授業を開講しており主に教員・公務員が多いということであった。  次に、周恩来の中国での位置づけについての質問に対して、「周恩来は中国で最も優秀な政治家とされており、近代中国以来最も傑出した政治指導者であり、大陸と台湾のいずれにおいても歴史的評価の高いのは孫文と周恩来である。政治的影響力、国際外交、世界の平和に貢献した」と言及した。
続いて徐行氏からご自身の研究成果の一つでもある『周恩来と日中関係の歴史的転換』(中国・天津社会科学院)と、「1972年9月の中日政府首脳による国交交渉略記」(中央文献研究室編『党文献』2010年4期)において田中角栄・大平正芳の日本の二人の政治家について高く評価し、周恩来は視野を広くもって友好関係を積極的にすすめたとした。中国では、「歴史を忘れずに、未来へ向かう」という考え方が、行動理念の根本にあるという。1972年の日中国交正常化の際に、日本、中国両国が互いに譲歩して歩み寄ったように、それぞれが抱える懸案事項を一端は棚上げにしても、共に未来に向かって協調姿勢で歩もうという姿勢がとても重要であったという評価は、徐先生、参加者双方からの共通認識として確認された。
周恩来の政治家としての卓越した視野の広さや開放的な意識は、日本やフランス留学時代の経験が大きな影響を与えていることは明らかであり、周恩来の提唱した平和五原則は、現代の中国のスローガンである「平和的発展」のベースとなっているということであった。
日中の外交のこれからについて、徐先生は「和而不同」という言葉を挙げて、あるべき姿勢を示された(注2)のが印象的であった。徐氏が周恩来と田中の交渉においてはお互い譲歩もしたと考えられると指摘した。中国は台湾問題を譲れなかったが、日本側に戦争の賠償を求めなかった。「和而不同」の言葉から個人の関係が有効であり、政治的見解が異なっても個人的関係に影響は及ぼさないという。周恩来は新中国の総理、最初の外交部長であり中国外交の基礎を築いた。
そのほか、南開大学のある天津という街の地理的・文化的特徴についてもお話を伺った。中国に四つある直轄市のひとつであり、北部の経済と金融の中心地である天津は、人口1200~1400万人を擁している。港があり、早くから外国租界が形成されて、北京に比べ開放的な空気が漂っているということであった。  中国の外交政策の基本は平和・共存の五つの原則からなり、それは周恩来の原則からアレンジした。と徐行氏は締めくくった。  話題が多岐にわたりテーマごとに議論はもりあがって、あっという間の2時間半であった。

 


注1)中国語の「主任」は、日本での「センター長」と同義であるということであった。
注2)「君子たるもの、ともに調和はしても、付和雷同して相手の意見に引きずられるようなことがない。」という訳が一般的である。
今回の懇談会では、「個人の関係が友好であれば、政治的見解が違って対立しても、それを個人的関係に持ち込まない」という文脈で解説された。

【記事執筆:王 敏(法政大学国際日本学研究所 専任所員)】

 

お知らせ一覧へ戻る