川田順造先生への感謝 安孫子信
川田順造先生への感謝
安孫子 信
(法政大学名誉教授/国際日本学研究所客員所員)
川田順造先生が昨年2024年末12月20日に亡くなられた。川田先生が90年の生涯をかけて行ってこられた文化人類学のお仕事とその意味については、すでに多くが語られている 1)。また今後も多くが語られていくであろう。以下ではお仕事のごく一端となるが、川田先生が法政大学国際日本学研究所(HIJAS)とのかかわりで果たしてくださったことを、深い感謝の念とともに、簡単に振り返ることを行っていきたい 2)。
川田先生とHIJASの結びつきは2009年にさかのぼる。結びつけてくださったのはヨーゼフ・クライナー先生(ボン大学名誉教授、HIJAS客員所員)と、ジョセフ・キブルツ先生(フランス国立科学研究センター元教授、HIJAS客員所員)である。
クライナー先生は東大留学の学生時代に、すでに川田先生と知り合っておられた。その後、川田先生はフランスさらにアフリカへ、クライナー先生は日本へと、別のフィールドを進んで行かれた。しかし「本当に偶然で、2000年のあたり、ある秋の日、夕ご飯を家内と二人でポツダムの歴史的なレストランで食べていたときに、川田先生が突然一人で入ってこれられて、ともに楽しい一晩を過ごした」といったこともあって、旧交は維持されていた。他方、ジョセフ・キブルツ先生と川田先生はともにレヴィ=ストロースを長く知っておられたが、お互いには、1980年代レヴィ=ストロースの来日の機会にともにアテンドに関わることで知り合われたという。その後、川田先生がパリを訪れる際にはたびたび会うなどしておられた。
さて、当時のHIJASの3か年(2007-2009)の研究課題は「異文化研究としての「日本学」」であり、毎年秋にフランス、アルザスの欧州日本学研究所(CEEJA)でシンポジウムを行うという、現在に続く研究体制が開始されていた。そして2009年のアルザス・シンポのテーマが『人体と身体性』と決まったとき、そのテーマに欠かせない基調報告者として、シンポ責任者の一人キブルツ先生から川田先生のお名前が挙げられ、川田先生がその招請に応じてくださって、川田先生のシンポ参加が決まったのである。
2009年秋のアルザス・シンポに先立って、7月には「勉強会」が、川田先生をお招きして、法政大学ボアソナード・タワーB会議室でクライナー先生司会の下で行われた。「人体を総合的に考える―文化を生む人間・文化に条件づけられる人間」というのが川田先生のお話のタイトルであった。川田先生がHIJASの活動に参与してくださった、これが最初の機会となった。
川田先生はそこで、自分は「人間と文化」の問題を「三つの側面」から考えるとして以下を述べられた。第一の側面とは「他の動物と異なるヒトの文化一般をヒトの身体の特徴、とくに直立二足歩行から考える」ということである。言語の発達も、二足歩行によって声帯が下がり構音器官が発達したことの結果なのである。第二の側面とは「その後の多様な地域での、ヒトの文化の多様な発展を、異なる〈身体技法〉の形成によると考える」ということである。その際、〈身体技法〉の比較考量は、日本・フランス・西アフリカの事例による〈文化の三角測量〉の方法で行われた。第三の側面とは「ヒトの社会は〈身体技法〉の共有によって形成されると考える」ということである。社会的存在としての人間のあり方、たとえば「アイデンティティ」といった言葉が翻訳不可能であり、個よりも集団への帰属が優先するという日本社会のあり方を規定するのは、ある種の〈身体技法〉なのである。そして、こうした異なる多様な〈身体技法〉に根づく文化と社会の多様性は、グローバリゼーションの名の下で平準化されてはならず、個々の文化と社会は、むしろその特殊性においてこそ普遍的な価値を持つと認めなければならない、と主張された。個々の文化と社会が有する特殊性そのものが価値であり、世界は普くそれを認めるべきなのである3)。
2009年『人体と身体性』アルザス・シンポで川田先生は、「人体の使い方と自我意識の発達」という題で報告をしてくださった。ご報告は「勉強会」で説かれた「三つの側面」のとくに第三の側面に基づくものであった。HIJASのその後5か年(2010-2014)の研究課題は「国際日本学の方法に基づく〈日本意識〉の再検討―〈日本意識〉の過去・現在・未来」となったが、アルザス・シンポは引き続き毎年秋に行われていった。そして川田先生はその5年間5回のシンポに毎回参加してくださり、毎回貴重な報告をしてくださった。毎回のご報告には、シンポのテーマに応じて、毎回新たな知見が盛りこまれていったが、そのすべては基本的には「勉強会」で話された「三つの側面」のいずれかに基づき、それを展開するものであった。各シンポでの川田先生のご報告のタイトルは以下である。
「明治維新:発明された「復古」と、再生する歴史のメタファー」
2010年『日本のアイデンティティ――形成と反響――』
« Aspects moraux et esthétiques de la mort volontaire chez les Japonais : Seppuku, Junshi et Shinju »(仏語でのご発表)
2011年『日本のアイデンティティを〈象徴〉するもの』
「人を神に祀る風習:日本のアイデンティティを考える手がかりとして」
2012年『国家アイデンティティと宗教』
「明治日本にとってのアジア」
2013年『日本のアイデンティティとアジア』
「植物資源の多面的利用と「見立て」の哲学:未来の世界への日本文化の貢献の可能性を探る」
2014年『〈日本意識〉の未来―グロバリゼーションと〈日本意識〉』
詳しくは各回シンポの報告集に譲るが、かいつまんで申せば、たとえば国家神道や忠君にせよ「見立て」にせよ、社会やモノに対して個が先立つというのではなく(遠心的ではなく)、社会やモノが環境(コンテキスト)として個に先立つというのが(求心的なのが)、日本意識の特徴であり、それは、たとえば、鋸や鉋を「押し使い」ではなく「引き使い」するといった日本人の〈身体技法〉にまでさかのぼって考えなければならないことなのである。そして〈身体技法〉の研究ということでは、歴史学や文献学だけでは不十分で、生理学や解剖学の知見も求められてくる。また〈身体技法〉を比較するということでは、東(日本)と西(フランス)だけではなく、南(西アフリカ)にもおのずから調査は及んでいく。こうして、川田先生は、アルザス・シンポでのお話を通じて、学際的で国際的であるとする国際日本学が持つべき、本来の広さとダイナミズムを毎回、徹底して示してくださったと言いうるのである 4)。
そのことに関して最後に一言申し上げたい。(中国の孔子学院に対抗して)仏語圏西アフリカに日本語教育の拠点を作るという外務省の活動に協力して、私は2011年から数回、毎回二週間ほど、日本について講演するために西アフリカのブルキナファソとコートジボワールに滞在した。その際に川田先生は、多々有益な忠告を与えてくださり、また同時に、会うべき人たちの連絡先一覧を渡してくださった。とくにブルキナファソは川田先生が長年、現地調査をされた場所である。そこが、都会を一歩出れば水や電気も通じず、マラリアが蔓延する場所であって、川田先生がそこで十年も過ごされたということにまず驚かされた。他方で、私が会った、川田先生を知るブルキナファソの人々は皆、現地の言葉、現地の道具や楽器までを操っての川田先生の生活ぶりをよく覚えていて、非常な親しみをもって川田先生の思い出を語ってくれた。帰国して、見聞の次第を興奮気味にお話したとき、苦笑いしつつ川田先生は、「安孫子さん、二週間で何かわかったつもりになられては困る。私は十年を過ごしました」と言われた。国際日本学が依拠すべき文化理解とは、文化への共感的理解でなければならず、その共感は、その文化に属する、自分のことを親しく思い出す複数の人々を得るまでのものでなければならない。川田先生の異文化・自文化をめぐるお仕事の全体は、このような人間相互の共感的理解に裏打ちされたものであり、この共感的理解をこそ教えるものであったと、そのとき私は気づかされたのである。まことに得難い教えである。そのような教えをわれわれに残してくださったということで、川田先生には、いま改めて深甚の感謝の念を捧げたいと思う。
![]() アルザスシンポジウム集合写真(2012.11.2-4) [最前列右] 川田先生 |
![]() 国際日本学シンポジウム 「〈日本意識〉の過去・現在・未来」(2014.7.26) [前列中央] 川田先生 |
1) たとえば、陣内秀信「「私」を超えた「人間」に憧れた文化人類学者 川田順造さんを悼む」(朝日新聞2025年1月14日)など。
2)以下を記すにあたっては事実関係の諸点でHIJAS所員である、ヨーゼフ・クライナー先生、ジョゼフ・キブルツ先生、星野勉先生、小口雅史先生から貴重な教示や示唆をいただいた。お礼を申し上げる。
3) この「勉強会」の概要報告はHIJAS「ニューズレターNo.12 Mar.2010」のpp.11-12に掲載されている。
4) 川田先生が参加してくださった六回のアルザス・シンポの以下が報告集である。いずれも編集・発行はHIJAS。
『人体と身体性』(国際日本学研究叢書13、2009年アルザス・シンポジウム報告、2010)
『日本のアイデンティティ――形成と反響――』(国際日本学研究叢書16、2010年アルザス・シンポジウム報告、2012)
『日本のアイデンティティを〈象徴〉するもの』(国際日本学研究叢書17、2011年アルザス・シンポジウム報告、2013)
『国家アイデンティティと宗教』(国際日本学研究叢書20、2012年アルザス・シンポジウム報告、2014)
『日本のアイデンティティとアジア』(国際日本学研究叢書21、2013年アルザス・シンポジウム報告、2015)
『〈日本意識〉の未来―グロバリゼーションと〈日本意識〉』(国際日本学研究叢書24、2014年アルザス・シンポジウム報告、2015)