【開催報告】2014年度第1回東アジア文化研究会(2014.4.23)報告記事を掲載しました2014/04/27

「国際日本学の方法に基づく<日本意識>の再検討−<日本意識>の過去・現在・未来」
研究アプローチ(3)「<日本意識>の現在−東アジアから」
2014年度 第10回東アジア文化研究会
韓国における日本観の変容


  • 日 時: 2014年4月23日(水)18時30分〜20時30分
  • 場 所: 法政大学市ヶ谷キャンパス ボアソナードタワー25階B会議室
  • 報 告: 徐 賢燮(長崎県立大学国際交流学科前特任教授)
  • 司 会: 王敏 (法政大学国際日本学研究所専任所員、教授)

 

一.韓国人の伝統的な日本観
韓国の文献で、日本に関する部分は「倭国、倭寇、倭人、倭乱」など、「倭」が冠につく。「倭」は矮小で野蛮なイーメジを含んでいるが、このような呼称は、前漢時代の『漢書』 地理志などの記述を踏襲したものと見られる。
韓国人が中華文明というプリズムを通じて日本を理解し判断したために、実際の日本と観念上の日本とは相当な隔たりがあるに決まっている。7世紀の新羅統一以後、日本は、軍事・経済面で新羅をまさる大国であった。11世紀始め世界最初の長編小説である『源氏物語』の文学性は早くから西欧で高く評価されて来たが、朝鮮では無視された。百済から漢字を伝授された日本は、日本の『日本書紀』を『三国史記』より 400年も先立って刊行している。二.日本の韓国観
日本人の歪んだ対朝鮮認識を植え付けた史料として『日本書紀』があげられる。『日本書紀』は、朝鮮半島の国々を蕃国と見なすものである。津田左右吉博士は、『日本書紀』の神代神話は、皇室の支配を正統化するため後世に創作されたものであると明らかにした。しかし、日本人の潜在意識には、『日本書紀』などに影響されて歴史認識が、これまで連綿と受け継がれてきた。
福沢諭吉の「脱亜論」が、その一例である。福沢の韓国認識は、韓国に対する蔑視、韓国史の停滞性、韓民族滅亡論に要約できる。つまり、日本はアジアの立場を離れ、欧米諸国とともにアジア諸国を侵略しながら日本の近代化を目指すという趣旨である。このような福沢の「脱亜論」は近隣諸国を見る日本の民族意識と、政府の対アジア政策に無視できない影響を与えた。三.朝鮮通信使の日本認識
朝鮮は明・清の交替など大きく変動する東アジアの国際情勢への対応を余儀なくされ、徳川幕府の要請で戦乱の終息からわずか10年後の1607年日本との関係を修復し、外交使節を派遣することに至った。朝鮮通信使の使行録は、例外なしに蛮人らを文と書で教化して国家威信を高めたという自画自賛の記述が主流だ。
1607年から1811年に至るまで200年にわたって朝鮮の名のある学者が通信使として12回も日本を訪問し、長期滞在したにもかかわらず、「小中華」を誇り、いぜんとして日本を野蛮視、日本から積極的に学ぼうとしなかった。日本を華夷思想の単眼でしか見ることのなかった当然の結果であり、当時の朝鮮の限界であろう。四.「倭」から「日本」へ
1948年8月大韓民国の建国に伴い、樹立した李承晩政権は「反共・反日」を打ち出し、国民の支持を得た。李承晩政権下では、植民地時代に持ち込まれた日本の文化は「倭色文化」として一掃すべきものとされていた。最近は、韓国で日本料理を一般的に「日食」というようになったが、1970年代初め頃までは「倭食」という言い方が広く使われていた。日本側の目に見えない努力によって「倭食」という語彙は次第に姿を消し、「日食」という言い方が一般化されたのである。
1960年4月19日の学生革命後、韓国は一時的に政治的自由化を迎えることになり、1961年4月韓国外国語大学に日本語学科が開設された。この政治的自由は長くは続かず、1961年5月16日、軍事クーデターによって軍事政権が樹立された。朴正熙政権は当初から「反共」イデオロギーを前面に押し出し、経済の再建を強調することで政治権力の正当性を主張して政治基盤を固めた。その過程において「反共・反日」のうち「反日」の文字が次第に退けられるようになり、ついに1965年に韓日国交正常化が成し遂げられたのである。

五.大衆文化交流
韓国では1990年代末まで、日本の映画・漫画等のいわゆる「日本大衆文化」の流入を、法律上規制してきたが、金大中政権が1998年段階的開放を決断した。2000 年、ソウル大学での日本学講座開設、韓国の大学修学能力試験への日本語科目参入などが相次いでいる。
韓国の日本大衆文化開放は、日本での「韓流」、韓国における「日流」をもたらした。日本における韓流と同様、韓国でも、日本のアニメや小説等を愛好する「日流」が韓国人の生活にごく自然に溶け込んでおり、両国の市民レベルの心理的距離は相当に縮まっていると言われる。  現在は、日韓の政治・外交が緊張したとしても、文化・人的交流もたちまち連動して冷え込むという構造ではなくなっている。

結びに
長いスパンからみると韓国と日本との関係は曇ったり晴れたりしながらも前を向いて発展してきたと言える。歴史的に「蕃国」と「倭国」と互いににらみ合った両国が 自由民主主義や市場経済等の価値観を共有するに至った。
両国が過去の不幸な歴史を乗り越えて、和解と善隣友好協力に基づく未来志向的な関係を発展させるため、お互いに努力することが時代の要請である。今後、未来志向的な関係を構築するためには、韓国と日本が互いに相手に対するDisregard, Distrust, Dislikeの態度から「Dis」を取り除いて Regard, Trust, Like へ発展させようとする真摯な努力が求められる。

【記事執筆:徐 賢燮(長崎県立大学国際交流学科前特任教授)】

                                         中央:徐 賢燮氏(長崎県立大学国際交流学科前特任教授)と会場の様子

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