ワークショップ『和の国?武の国?神の国!?−江戸から見る日本人の自国認識の変容−』(2014.3.15-16)
ワークショップ
和の国?武の国?神の国!?―江戸から見る日本人の自国認識の変容
■日 時 : 2014年3月15日(土) 13:30~17:45
日 時 :2014年3月16日(日) 10:00~16:00
■場 所 法政大学市ヶ谷キャンパス 80年館7階会議室<角>
■司 会 田中優子/横山泰子/小林ふみ子(法政大学)
3月15日(土)
去る2014年3月15・16日(土・日)の両日、アプローチ(1)日本意識の変遷のワークショップ「和の国?武の国?神の国!?――江戸から見る日本人の自意識の変容」を実施した。最終年度を迎えるにあたって、これまでアプローチ(1)の研究のなかで浮かびあがってきた主な論点を網羅的にふり返って、研究のまとめをにらんで不足している部分を補いながら、全体として何が見えてくるのかを考えようというのが今回の趣旨であった。
初日のセッション【I】は「「自国」を誰が/どの範囲で捉えるか」として「自国」認識にまつわる基本的課題を共有した。はじめに、アプローチリーダーの田中優子氏(法政大学)が、領域、対外意識、危機と国難、華夷秩序と都鄙構造、裏と表といった観点からこの研究の見通しを示し、その今日的意義を論じた。続いて、米家志乃布氏(法政大学)による「人びとにとっての近世日本のかたち」では出版図を中心に検討を行い、江戸と上方で普及した地図の精度の差、また大黒屋光太夫の日本図を例に節用集などの日用書類の影響力の大きさなどの興味深い論点が指摘された。横山泰子氏(法政大学)は、アイデンティティ・帰属意識と国との距離感の多様性を論じる旧稿「ナショナルか、ローカルか、もしかしてネイティブ?」を紹介するとともに、「怪物ではない〈日本の私〉―『和漢三才図会』の外夷人物をめぐって」と題して、東アジア漢字文化圏の外に広がる「外夷」を他者として、その内側の文明に帰属する、奇異でない「自分たち」という自己認識のあり方を指摘した。大木康氏(東京大学)の「華夷意識が無限に作り出す「夷」の存在」は、中国において確立された華夷意識のもともとのあり方について確認したのち、そういう認識の相対性とそこにおける日本の位置、それが国内においても都鄙構造のなかで連鎖する関係についても論じた。中国を専門とする大木氏との質疑においては、「神州」としての自国認識は中国にもあること、また日本刀など武器への美術工芸品的関心に、東アジアでいえば日本の特異性がある可能性の指摘などもあり、今後のさらなる課題として残された。
セッション【II】は「〈周縁〉を/からみる」として、「みちのく」と琉球からの視線、それらと日本認識の問題を考察した。津田真弓氏(慶應義塾大学)の「「みちのく」からのまなざし」では、外国船来航などによって対外的な危機意識の高まる19世紀初頭に仙台藩で作られた新作能『神皇』を素材として、その時代に日本と仙台藩を二重写しにして造型する意識について考察が加えられた。ヤナ・ウルバノヴァー氏(法政大学大学院生)の「オモロと琉歌における「大和」のイメージ」 では、17世紀諸島の薩摩侵攻以前の琉球の歌謡オモロとそれ以後の琉歌において「大和」の描かれ方に顕著な相違が見られることが明らかにされた。内原英聡氏(法政大学國際日本学研究所学術研究員)の「近世琉球人は日本をどう見たか」では、近世琉球の人びとの身分階層、立場、琉球王府との距離などさまざまな要因によって見え方が異なるという問題の複雑性が指摘された。小林ふみ子(法政大学)「「支え」にされた琉球」では、琉球が、従来指摘されてきたように政治レベルで日本型華夷意識を支える朝貢国と位置づけられてその行列が民衆への示威に利用されたというだけでなく、それを受け止める人びとの側でも「日本に憧れる琉球」の物語が享受されたことを論じた。
田中優子氏 |
米家志乃布氏 |
横山泰子氏 |
大木康氏 |
津田眞弓氏 |
ウルバノヴァー・ヤナ氏 |
内原英聡氏 |
3月16日(日)
二日目のセッション【III】は「「和」の国・「武」の国イメージの普及」。竹内晶子氏(法政大学)の「謡が広めた豊かで平穏な国のイメージ」では、世阿弥の「幽玄」において日本的であることがいかに重要であったかということと、そこで行われた平穏な国としての表現が近世日本に大きな影響力をもったことが論じられた。小林ふみ子「「和」らかな色好み=好色の国」では、「和国」という文字が「色好み」の王朝文学の古典化と結びついて好色を国風とする近世中期以降の通俗神道の言説が説得力を持つに至ったことを提示した。また韓京子氏(慶煕大学校)の「浄瑠璃による「武国」イメージの流布」では、対外関係を意識したときに近世前期のある時点までは「知恵の国」という表現が先に立っていたところに、徐々に神功皇后や三種の神器のうちの剣の威力の逸話などによって「武国」イメージが強化されたことを指摘した。さらに金時徳氏(ソウル大学校)による「異国戦記と武国日本の可視化」では、いわゆる朝鮮軍記物の系譜に連なる作品群を例として、とくに19世紀に入って挿絵の戦闘場面の増加と血生臭さの強調が顕著になることを具体的に提示した。大屋多詠子氏(青山学院大学)「曲亭馬琴の日本魂と「武の国」」では、馬琴作品における「日本魂」の用例を検証して忠孝との関連を確認したうえで、漢を排斥する国学者とは異なって儒仏一致の思想のうえにたって双方を肯定し、武国日本の、文国中国からの文明移入を儒仏肯定に援用したと論じた。このセッションの議論では一見相反するかのような平穏な「和の国」イメージと、武士の武威によって統治される「武の国」言説が、武による和の実現という文脈でつながっていくことが確認されたことも重要であった。
セッション【IV】「「神の国」―近代をつくった自国認識の登場」では、まず林久美子氏(京都橘大学)による「浄瑠璃による神国意識の普及」では、近松門左衛門以前の古浄瑠璃の時代からみられる記紀神話に取材した演目の数々は、金平浄瑠璃と同様に、当時の観客の嗜好を意識したものだと考えられることを指摘し、そこに間接的に山崎闇斎の垂加神道の影響力が見られることを論じた。福田安典氏(日本女子大学)の「平賀源内と「神国」」では、源内が士分にある者として表向きは林家の思想に立ちながら、谷川士清に私淑して日本神話と古代中国の伝説の習合を否定する、国学的な考えをもっていたことを指摘した。川添裕氏(横浜国立大学)の「開国期の神さまと異国形象」では、当時の不安な心性のネガとして異形の異国人物の見世物がもてはやされたこと、そこでは異国の具体的な軍事的脅威という圧倒的な非対称の関係に対して、いわば異次元の、想念のレベルで「神の国」として対抗し、その非対称を解消しようとする意識を提示した。横山泰子氏の「国難と神国思想」では、自然災害を「神軍(かみいくさ)」として捉える思想を指摘、かつての蒙古襲来の記憶「ムクリコクリ」という名で恐ろしいイメージとして残ったこと、安政のコレラ流行が対外的な危機と結びつけられて理解され、それに対応して単数の神ではなく、あらゆる神々がいわば総動員されたことを鑑み、神国思想は単数の「神の国」ではなく「神々の国」という理解が一般的であったことが論じられた。このセッションでは、神国思想を単純に神道や国学の枠で理解するだけでなく、儒学や仏教、民俗信仰との関係のなかで検討し直す必要、また時期による変容を考える必要が浮かびあがった。
全体討論のなかでは、上記に加え、地域性をどう考えるかということが課題として指摘された。東北の問題だけではなく、とくに上方では、幕府との距離感や出版業のありかたなと江戸とは違った認識が見られるはずだとして、今後追求すべき課題として残された
【記事執筆:小林ふみ子(法政大学文学部准教授)】
竹内晶子氏 |
小林ふみ子氏 |
金時徳氏 |
韓京子氏 |
大屋多詠子氏 |
林久美子氏 |
福田安典氏 |
川添裕氏 |
3月15日(土)会場の様子 |
3月16日(日)会場の様子
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