第6回東アジア文化研究会「支え合う近代~日中二百年の再検証~」(2008.9.18)

学術フロンティア・サブプロジェクト2 異文化としての日本

2008年度第6回東アジア文化研究会
「支え合う近代〜日中二百年の再検証〜」

報告者    劉 建輝 氏 (国際日本文化研究センター准教授)     

  • 日 時   2008年9月18日(木)18時30分〜20時30分 
  • 場 所    法政大学市ケ谷キャンパス 58年館2階国際日本学研究所セミナー室
  • 司 会   王 敏 (法政大学国際日本学研究所教授)


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劉先生は遼寧大卒業後、神戸大大学院博士課程を修了され北京大副教授を経験されて、99年から国際日本文化研究センターに移られた。今回の研究会では日中比較文学・文化、文化史の視座から持論を報告された。近代の日中関係は侵略と被侵略の対立の目で捉えられが、これは一面的な見方で、影響しあった近代化というもう一つの面に光をあてるべきだとする。これは日中双方の近代史の空白を埋めることになるという。以下は概要である。

 

日本文化の特殊論がはやったりしているが、二本立てに特徴があると見るべきだろう。日本文化には神話的な古層があり大陸文化の影響を受けつつ出来上がった。たとえば「古事記」の記述にある「いざなぎ」「いざなみ」の左回り・右回りにしても大陸の影響とみられる。「国風」文化という言い方があるが、影響されない純粋なものと考えるのは間違っているだろう。文化が形成される過程は複雑だと思う。近代史は逆に日本から中国への一方通行とみなされがちだが、相互に支えあった交流が文化レベルにあった。極めて多面的に日中の文化は刺激しあったのである。

近代西洋文明の導入では中国が先んじた。多くは広州、上海が窓になり、日本からだと「近代は上海からやってくる」と見られたに違いない。最初は洋書も、日本人は漢訳本で触れるのがふつうだった。西洋情報を得ようと晩清5誌(「遐迩貫珍」「中外新報」「六合叢談」「香港新聞」「中外雑誌」)を求めた。19世紀30年代にはイギリス宣教師で中国語に精通したロバート・モリソンの名が日本で知られていたのはそれだけ漢訳に西洋知識を求めていた状況を物語るものである。

明治維新に成功した日本が近代化のため、漢訳に親しんだ成果を生かして西洋思想と科学技術における日本製の漢語を創り出した。欧米語に触れた19世紀の中国における英華や華英の字典を活用したに違いない。中国にはたとえば「‥‥性」「‥‥化」「‥‥的」という新しい使い方が伝えられた。梁啓超は率先して近代日本語に触れて習得し著述を通して広めた。近代中国語における西洋関係の漢字は8割が日本より借用したと推定される。

西洋の新概念の理解に漢字が適応したことは大きい。文化の相互交流にも結びついた。旧「満州」を舞台に、日本語の総合分科誌「芸文」や「満州浪漫」などが創刊されて、一種の国際性を帯びたことは注目すべき現象であった。

中国では日本帝国主義と結びつけ、日本では遅れた中国文化と卑下して、影響しあった面から目をそむけてきたのではないか。これでは日中ともに近代文化史の実相にせまることはできない。将来の課題である「東アジア文化圏」の再構築に向けて、支え合う日中交流を正確に見ていきたい。タブーを破ることが欠かせない。

 
【記事執筆:王 敏(法政大学国際日本学研究所教授)】