【開催報告】法政大学国際日本学研究所主催 公開研究会 『三木清の満洲体験と共生社会論-東亜協同体理念の光と影-』(2024年7月20日(土))2024/10/17
【開催報告】
三木清の満洲体験と共生社会論
-東亜協同体理念の光と影-
■日 時: 2024年7月20日(土) 14:00-16:00
■会 場: 法政大学市ヶ谷キャンパス 大内山校舎5階 Y506教室【対面式で開催】
■主 催: 法政大学国際日本学研究所
■報告者: 宮島光志(法政大学国際日本学研究所客員所員)
■コメンテーター: 菅沢龍文(法政大学文学部教授)
■司 会: 横山泰子(法政大学理工学部教授・国際日本学研究所長)
この公開研究会では、今年度から本研究所の客員所員として招聘された宮島光志氏(元富山大学教授)が登壇し、自己紹介を兼ねて、目下の研究課題と本研究所で実施予定の研究活動について報告した。
横山所長の開会挨拶に続いて、宮島氏は冒頭で本研究所への招聘に謝意を表明し、本学に所縁のある三木清(1897-1945)に関する研究を展開する上で市ヶ谷図書館所蔵の「三木清文庫」の存在が極めて重要であることを強調した。また、本研究所が継続的に取り組んでいる「トランスナショナルな日本」に関する研究プロジェクトを強く意識して、宮島氏自身も国際的な視点に立った三木清研究を展開したいという抱負が語られた。
(横山所長の紹介を受ける宮島氏)
今回の研究会では、三木清が日中戦争の困難な状況下で主唱した「東亜協同体論」が取り上げられた。三木の年譜や評伝にも詳述されていないが、彼は中国東北部の満洲を3度も訪問しており、その実体験を活かして《日本・東洋・西洋の歴史と文化》に関する総合的な思索を展開した。「東亜協同体論」はそうした思索に裏打ちされているが、日本の傀儡国家「満洲国」の成立と崩壊という現実を前にして、三木が思い描いた「東アジア諸民族の協同体」というヴィジョンは淡い夢に終わった。宮島氏は「三木清文庫」の実地調査を踏まえて東亜協同体論の《光と影》の両面を際立たせ、三木の苦闘を「共生社会の哲学的基礎づけ」として再評価する必要性を強調した。それは三木の「東洋的ヒューマニズム」理念を国際日本学の見地から再考する試みである。
(宮島光志氏)
以下では、当日の報告内容から、「三木清文庫」の調査結果に関わる話題をいくつか紹介してみたい。三木清文庫には満洲に関連する図書が25冊ほど含まれているが、そのうちまず矢内原忠雄『満洲問題』(岩波書店、1934年)が注目に値する。同書では随所にうっすらと線引きの跡が残されており、三木が同書を熟読したと推測されるからである(ちなみに、三木はある随筆で述べているように、総じて蔵書への書き込みを慎んでいた)。例えば、簡潔な「序言」を結ぶ「余の提供せんと欲するところはただ一の批判的精神にあるのみ。蓋し批判の欠乏するところ、盲目の危険は最も大であるが故に。」に傍線が引かれている。同書を貫く矢内原の「批判(的精神)」に三木は注目し、共鳴したものと思われる。
そして同書の最終節(附録六)「満洲国の展望」では、随所に傍線が引かれている。それらは「協同」概念に関する記述に集中しており、一例を挙げれば「満洲国と日本との親善関係を百年に亘って期待する為めには、満洲人との協同関係の維持し得る様今日に於て既に其の出発を為さねばならない。」という一節が含まれている。三木が東亜協同体論を構想し彫琢する過程で、同書のみならず、広く矢内原の社会思想から受けた影響を精査する必要があろう。
次いで三木と満洲在住の日本人知識人との交流を物語る著作が2つ目を引いた。衛藤利夫『満洲夜話』(吐風書房、康徳8[1941]年)は中表紙に「三木清先生/衛藤利夫/奉天にて」という献辞ある。三木が奉天を訪問し、同地の図書館長(大同学院の教員でもあった)と面会した際の記念であろう。同様に藤原 定『近代支那思想』(満鉄弘報課編、1941年、中央公論社)にも「三木清先生/著者」と献本署名が記されている。三木清は満鉄と太いパイプで結ばれており、法政大学哲学科の教え子(藤原)が満鉄調査部に就職する世話をしたのであろう。
(コメンテーターの菅沢龍文教授)
さらに三木清文庫には三木の東亜協同体論が次第に崩壊して(大東亜共栄圏論に変貌して)いく過程を跡づける文献も含まれている。まず民族問題委員会『東亜民族対策報告書』は表紙に「厳秘」と銘記されており、そこには「K・M君述」の「東亜協同体の再検討」(昭和15年5月10日口述)が採録されている。その末尾では「では東亜協同体は如何にして実現し得るか。/勿論悲観論もある。が、出来ない事はない。それには我国の体制を変えることが絶対に必要である。国内体制を東亜協同体に即応すべく変えよ。(…)東亜協同体論はその根底をなす協同主義の哲学によって同時に国内改革の原理である。(…)」と述べられている。それに先立って三木は、「東洋、殊に日本を考える時、革新は二重の革新でなければならない。二重の革新とは、一方には封建的残存物を克服し同時に他方近代自由主義を超克するという二重の課題をもつのである。」と力説している。
最後にもう一点、同文庫に残された冊子『春季大學講義案』(昭和十八年三月、日本外政協会学生部)には、三木による講義「南方の文化政策」の骨子が記されている。丁度その頁に、1枚の原稿用紙に綴られたメモ(おそらく、三木の手書き講義案)が挟まれていた。手書きと印字された講義案とでは若干のずれがあるが、三木は「大東亜共栄圏」を正当化し、その推進策を説いている。
(会場の様子)
以上、かなり細部にまで立ち入ったが、本報告は全体として、新たな「デジタル人文学」の威力を認める一方で、旧来の(アナログ式)文献調査の重要性を再確認するケーススタディとなった。具体的には「三木清文庫」の資料的価値を再評価し、三木清研究の新生面を拓く可能性が示唆されたと信じる。
ちなみに、宮島氏の報告を踏まえてコメンテーターの菅沢龍文先生が丁寧に要点を整理して下さった。さらにはフロアの参加者との間で活発に質疑応答が行われた。それらを通じて、人文学研究の現代的な課題として、従来どおり精緻な学術性を旨としながらも、一般市民の関心に応えうる親しみ易さと広く国際社会に情報発信する果敢さが浮き彫りにされた。報告者はこの機会に、国際日本学研究所の一員としてそうした課題に挑む決意を新たにすることができた。
最後に本公開研究会を陰で支えて下さった国際日本学研究所の事務担当者各位に感謝を申し上げます。
[謝辞]本研究はJSPS科研費JP21K00006の助成を受けたものです。
宮島光志(法政大学国際日本学研究所客員所員)