【開催報告】 国際日本学とトランスナショナリズム −「日本」を超えて、「日本」を捉える−(2023年6月24日)2023/07/18

【開催報告】
国際日本学とトランスナショナリズム
−「日本」を超えて、「日本」を捉える−


■開催日時 2023年6月24日(土) 14時〜17時30分

■会場 法政大学 市ヶ谷キャンパス 大内山校舎 7階 Y703教室

■報告タイトル・報告者
「インターナショナルからトランスナショナルへ」
安孫子信(法政大学国際日本学研究所客員所員、本学名誉教授)
「トランスナショナルな日本研究とは何か?」
髙田圭 (法政大学国際日本学研究所専任所員・准教授)

■司会 横山泰子(法政大学国際日本学研究所長、理工学部教授)

■コメンテーター
星野勉 (法政大学国際日本学研究所客員所員、本学名誉教授)
桑山敬己(法政大学国際日本学研究所客員所員、関西学院大学教授)

「国際日本学」が立ち上がってから20年余りの時が経ち、この間、「国際」も「日本」も様々に変化してきた。人や情報の移動の速度は飛躍的に上昇し、多様性と流動性はより一層高まる中で、包摂と排除を繰り返しながら、世界も日本も揺らいでいる。本研究会では、こうした認識のもと国際日本学研究所のこれまでを振り返りながら、「国際日本学」の新たなかたちを探っていくことを目指し、安孫子信と髙田圭の研究報告をおこなった。共通するキィワードとして、「トランスナショナル」を掲げたが、これは国際日本研究コンソーシアムの支援を受けて法政大学国際日本学研究所とアルザス欧州日本学研究所との共同で開催してきたワークショップのここ数年のテーマでもある。2021年度の「日本研究とトランスナショナリズム」、2022年度の「日本のトランスナショナリズムと帝国」各ワークショップでは、日本のトランスナショナリズムに関連した魅力溢れる多様な実証研究、そして理論、方法論を巡った白熱した議論が展開されたが、これらはフランスで開催する主に英語でのワークショップであったため、今回、改めて日本語でトランスナショナルな日本研究の可能性を検討する機会を設けた。


会場の様子

最初に安孫子信氏による「インターナショナルからトランスナショナルへ」と題した講演がおこなわれた。まず長年の国際日本学研究所での活動経験から、研究所が当初から持っていた「インターナショナルな日本研究」の理念について説明がなされた。それは、ナショナルに閉じこもりがちな伝統的な国内の日本研究に対して世界各地で展開するソトの日本研究をぶつけることで日本・海外の双方の日本研究をお互いに照らし出し、ソトに開いた学問領域へと発展させていくことを目指したものだったという。安孫子氏曰くこの「開く」という視点が国際日本学にとって極めて重要であり、その点について、フランスの哲学者アンリ・ベルクソンの「閉じた社会」と「開かれた社会」に引きつけて論じられた。自己保存的でソトへ向かって戦闘的な「閉じた社会」に対して「開かれた社会」は、人類全体を包み込むような社会であり、それは「国民」を持たず、個人のアイデンティティを断続的に「創造していく」ものだという。安孫子氏は、こうしたベルクソンの議論をインターナショナル、グローバル、トランスナショナルといった概念と照らし合わせ、近年注目されるトランスナショナルの概念が唯一閉じたナショナルなものを打ち破る「開かれた」社会のあり方を体現するものだと主張する。こうしたように、安孫子氏の報告は、これまでの「インターナショナル」な国際日本学を更に一歩「開いて」いくための方法論として「トランスナショナル」な日本研究の有用性を概念的に説明するものであった。


安孫子信(法政大学国際日本学研究所客員所員、本学名誉教授)

髙田圭による二本目の報告「トランスナショナルな日本研究とは何か?」では、安孫子氏とはやや異なった視点から理論的、方法論的な整理が試みられた。ここで中心的に問われたのは、日本というナショナルな存在をトランスナショナルな視点で捉えるという一見矛盾にも感じられるそのアプローチが意味するものについてであった。人文社会科学においてトランスナショナルな視座からの研究は既に20年以上の蓄積があるが、近年それを地域研究に応用する動きが見られる。ただし、国民国家そのものを対象とする地域研究において国民国家を相対化するトランスナショナルな方法論は、この学問領域の存在意義さえも脅かしかねない。では、地域研究の特質を活かしながらトランスナショナルな視点で地域を分析するのはいかにして可能か?この問いに対して、報告の中で髙田が提示したのは、これまでのトランスナショナリズム研究のように国民国家を分析の視野から外すのではなく、むしろ国境の越え方(または制限)、そして越えた結果が社会や文化にもたらす影響などを見ることで、揺らぎ変容するそれぞれの国のカタチが浮かびあがってくるのではないかという仮説であった。それは、要するに「国民国家をトランスナショナル研究に再導入する」ことの重要性である。また、こうした「トランスナショナルな日本研究」の背景には、現在、日本社会が加速する国境を越える動きに立ち向かう中で、日本のアイデンティティの再構築が求められているという時代的な要請があることも主張された。


髙田圭 (法政大学国際日本学研究所准教授)

これら二本の報告の後、哲学者の星野勉氏と文化人類学者の桑山敬己氏からそれぞれに対してコメントや質問が出された。星野氏からは、本研究会のテーマを受けて、「国際」と「日本」の関係性については、国際日本学(研究)が立ち上がってから繰り返し議論されてきたことが指摘された。そして、トランスナショナルな日本研究が考察を深めていくべき具体的なポイントとしてマルチカルチュラリズムや国境を越えたアイデンティティの問題などが提起された。また、星野氏は、丸山眞男が論じた「執拗低音」、「古層」といった日本思想史の特徴を引き合いに出し、丸山自身も十分に説明しきれなかった日本思想の独自性が生じた原因や理由をトランスナショナルな日本研究がどのように答えられるのかというこのアプローチの本質に関わる重要な指摘がなされた。

続いて桑山氏は、「トランスナショナリズム研究にネイションを再導入する」というアプローチに賛同を示しつつ、このテーマでの論集を作ることを提案された。加えて、トランスナショナリズム概念の理論的な問題について、人類学からのいくつかの貴重なコメントが提示された。まず、ネイションの訳語は、「国民」だけでなく「民族」もあるが、その意味でトランスナショナルを考える場合に「民族を超える」といったことがどのような意味になるのかという問いかけであった。また、オンラインでのトランスナショナルな実践が容易になった昨今の状況を踏まえて、国境を越える経験における「身体」の問題を改めて問い直す必要があること、そしてトランスナショナリズム論とコスモポリタニズム論の関係性はどのようなものか、といった今後のトランスナショナルな日本研究の発展を考える上で重要な論点が示された。

こうした二名のコメンテーターからの問いかけは、多岐にわたり、また簡単には答えられない難問ばかりで、残された僅かな質疑応答時間では十分な応答は叶わなった。「トランスナショナルな日本研究」は端緒についたばかりであり、提示された論点を念頭におきながら、引き続き考察を深めていくことが求められる。ただし、今回の研究会から改めて感じたことは、その際に重要なのは、人文社会科学を広く横断し、多様な面からトランスナショナルな日本に光を当てること、そして、自身を「開き」、国境を越えながら、比較の視点を用いて日本のトランスナショナルなカタチを探っていくことであった。


左から
髙田圭    (法政大学国際日本学研究所准教授)
安孫子信(法政大学国際日本学研究所客員所員、本学名誉教授)
星野勉 (法政大学国際日本学研究所客員所員、本学名誉教授)
横山泰子(法政大学国際日本学研究所長、理工学部教授)

報告の元原稿については下記からダウンロード可能。
安孫子信 「インターナショナルからトランスナショナルへ」
髙田 圭 「トランスナショナルな日本研究に向けて」(『国際日本学』第20号)

髙田圭(法政大学国際日本学研究所専任所員・准教授)

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