【開催報告】国際日本学研究所主催 新しい「国際日本学」を目指して(15)公開研究会「現代マンガ研究と伝承文学研究 」(2022年11月26日(土))2022/11/30
【開催報告】
現代マンガ研究と伝承文学研究
―『鬼滅の刃』竈門禰豆子をめぐる神話的モティーフ―
■開催日時
2022年11月26日(土)14:00〜15:30
■会場
法政大学 外濠校舎4F S405教室
■司会
横山泰子(法政大学理工学部教授・法政大学国際日本学研究所長)
■コメンテーター
鈴村裕輔 (名城大学外国語学部准教授・法政大学国際日本学研究所客員所員)
■発表者
植朗子(神戸大学国際文化学研究推進インスティテュート 協力研究員)
■研究発表題目
現代マンガ研究と伝承文学研究―『鬼滅の刃』竈門禰豆子をめぐる神話的モティーフ―
マンガ研究は比較的新しい研究分野であり、昨今では様々な研究視点から諸作品が論じられている。今回の研究会では「現代のマンガ研究に、伝承文学の研究手法はどのようなかたちで活用することができるのか」という事例を示し、その内容を検討するために、マンガ『鬼滅の刃』の登場人物・竈門禰豆子(かまど・ねずこ)のキャラクター特性について、「神話的なモティーフ」に着目して分析をおこなった。なお、今回取り上げたモティーフは大きくわけて3つあり、具体的には①「きょうだい」(長女から末っ子への変化)、②「口」の制約と誓約、③「植物」の超自然的な力、である。
発表者である植朗子の専門は伝承文学・神話学であり、モティーフの分析と話型の分析を中心に作品の解釈をおこなっている。19世紀にドイツ語圏をおもな対象地域として、民間伝承の蒐集をおこなったグリム兄弟の研究を起点とし、その後、作品の中に描かれているモティーフは、物語の解釈のためにその記号的な意味が議論されるようになった。これらの伝承文学分野におけるモティーフ研究の手法を現代のマンガ作品の解釈にどこまで使用することができるのか、という点が今回の主題のひとつであった。
『鬼滅の刃』は大正時代の日本を舞台としたバトルマンガで、血液を媒介して人間が鬼化するという設定がなされている。人間を喰らう鬼は、もとは人間であり、彼らは様々な事情から人間社会から阻害され、「新しい生」として「鬼」として生きる道を獲得するものの、人間を襲う怪物として、鬼殺隊(鬼を滅殺するために組織された集団)から駆逐対象とみなされるようになる。一方で、鬼になる素養がなく鬼に捕食される人間、鬼の被害によって命を落とす者たちも数多く存在する。そんな「人間vs鬼」という対立の中で、「人間と鬼」の中間の存在となった竈門禰豆子は『鬼滅の刃』の中でも特異なキャラクターである。
禰豆子の登場人物としての役割について解釈するために、伝承文学における魔物・死者・生者の設定と、仮死・擬死、蘇生とイニシエーションに関する先行研究を活用することができる。あらゆる伝承文学的なモティーフ中から、何がストーリーの根幹に関わるものであるのか、その取捨選択の基準、分析の方法について発表をおこなった。
会場からの質疑応答では、あらゆるマンガ作品に、この手法が使用できるのかという質問があがったが、伝承文学的なモティーフの使用には作者の意図、モティーフが含有する意味を共通認識できる下地があるかどうか、その時代背景などが関係し、モティーフ分析の対象となりうるマンガ作品とそうでないものがある。一様に同じように分析を当てはめるのではなく、対象作品の特徴にあった選択が必要であるというのが、発表者の見解であった(植朗子)。
また、コメンテーターからの発言として、まず国際日本学研究の観点からみた今回の報告の意義、作品の解釈のあり方、漫画・アニメ研究における手法の問題が検討された。さらに、報告でも取り上げられた「禰豆子と笑い」の持つ意味と、アリストテレスのプシュケー論を用いて禰豆子の鬼としての特徴を分析する試みが紹介された(鈴村裕輔)。
伝承文学の研究手法で日本のマンガ作品を分析する試みは極めて新鮮で、今後の展開が期待される。この方法論は魔法の杖ではない。研究者ひとりひとりが、各々の得意とする方法によって、数多ある作品から適切なものを選び、地道な作品解釈に挑戦することが大切であると実感された。
なお、ひさしぶりに対面での研究会が開催できたことは何よりの喜びでした。コロナ禍にもかかわらず、45名もの方にご参加いただきましたことを、心から感謝申し上げます。(横山泰子)
【記事執筆:植 朗子(神戸大学国際文化学研究推進インスティテュート 協力研究員)
鈴村裕輔(名城大学外国語学部准教授・法政大学国際日本学研究所客員所員)
横山泰子(法政大学理工学部教授・法政大学国際日本学研究所長) 】
【会場の様子】