【開催報告】国際日本学研究所主催 新しい「国際日本学」を目指して(9)公開研究会 「故郷にとっての移民――占領期の広島と在米広島県人の貿易業者」(2021年2月24日)2021/05/31

法政大学国際日本学研究所主催
新しい「国際日本学」を目指して(9)公開研究会

「故郷にとっての移民――占領期の広島と在米広島県人の貿易業者」

  2021年2月24日(水)14時~15時30分 オンライン(ZOOM)にて開催されました。

■報告者     川口悠子 (法政大学理工学部准教授)

■コメンテーター 根津朝彦 (法政大学国際日本学研究所客員所員・立命館大学産業社会学部准教授)

■司会      横山泰子 (法政大学国際日本学研究所長・理工学部教授 )

【報告内容】

第二次世界大戦直後、広島が原爆による壊滅的な被害からの復興に立ち上がり、平和運動や被爆者運動が芽生える過程をつぶさに見ていくと、外国の人々との交流があったことが分かる。この交流と、それが生み出した国外への/国外からの関心は、「ヒロシマ」が世界的に知られる契機となり、また広島の地域社会でも、原爆被害に対する認識に影響を与えた。本報告では日系アメリカ人、とりわけ広島県出身の貿易業者に着目して、彼らが広島と日系人コミュニティをどのようにつないでいたかを明らかにし、あわせて、壊滅的な被害を受けた広島にとってその存在がいかなる意味を持ったのかを検討した。その主な目的は、移民史と接合することで、広島の地域社会が原爆被害からの復興を進める過程をグローバルな文脈に位置づけることである。同時に、戦後の日系アメリカ人、とりわけ一世が日本とのあいだでトランスナショナルな活動をおこなっていたことを明らかにして、日系アメリカ史研究にも貢献することも目指している。

明治時代以来日本最大の移民送出県のひとつであった広島県とアメリカの日系人コミュニティとのあいだには、人や情報、物資の緊密なネットワークが存在し、広島市・県の当局や地域社会にとっても大きな意味を持っていた。1941年12月の日米開戦でこの結びつきは途切れ、1945年8月の日本の敗戦後も、占領軍により、日本と海外との交渉は管理されていた。しかし日系人コミュニティと広島の双方でお互いへの関心は高く、くわえて占領には二世兵士の日本駐留など、日米間の交流を促進した一面もあった。こうして戦前のネットワークはわずかずつ修復され、原爆被害に関する情報も伝えられていった。

日本と外国とのあいだの貿易は、占領開始直後は限定的におこなわれていたが、米ソ対立が深まり、占領政策が「逆コース」へと転換したことにともなって、1947年夏に民間での貿易が再開した。広島の経済界はこれを歓迎し、輸出に大きな期待をかけたが、最初の数年は期待ほどの回復がみられなかった。この不安のなかで、広島県内の貿易関係者が期待したのが、広島県出身者を中心とする日系人貿易業者だった。

広島県出身者(とりわけ、強制収容の影響が小さかったハワイの移民)は、民間貿易再開初期においては、広島を訪問する貿易業者の大部分を占めた。また貿易相手として手堅い存在でもあった。彼らはおもに、日系人コミュニティ向けの食料品や雑貨などを購入したが、これらの郷土産品は既存の生産技術や設備を生かすことができ、軍需産業の生産停止の影響も小さかったため、この時期の広島では輸出商品として期待されていたためである。くわえて貿易業者が支出する滞在費用は貴重な外貨収入源だった。さらに貿易業者は情報流通の担い手でもあった。アメリカの市場動向を広島に伝えたことに加えて、広島市・県の当局者らが支援を希望していることを、ハワイやロサンゼルスの日系人コミュニティに伝えたのである。これは広島県出身者を中心として1948年から1949年にかけておこなわれた、広島救済の募金運動のきっかけとなったが、この運動の中心にも多くの貿易関係者がいた。

貿易業者が救済運動の仲立ちとなった理由として、第一に、原爆投下から2,3年という、民間人としては早い時期に広島を訪問できる立場にあり、しかも市長ら役所の幹部や商工界の有力者を含む人々と話す機会が多かった点が挙げられる。二点目として、広島まで赴いた貿易業者の多くが広島県出身の一世や二世であり、戦前から続く大手の商社を経営していたため、親戚・友人や、戦前からの取引先など、故郷の人々とのあいだに広い人間関係を築いていた。第三に、業者らはしばしば日系人コミュニティにおける有力者でもあり、故郷の様子を気にかけていた在米県人を大きく動かす力を持っていた。

以上のように、広島県出身者を中心とする貿易業者は、第二次世界大戦で分断された広島と日系人コミュニティを再びつなぐ役割を果たした。彼らの存在は経済や情報の流れを促進し、広島救済運動にもつながったという点で、広島側にとって重要だった。このように、広島が原爆被害から復興を果たしていく過程は、戦前以来の移民史とも結びついている。広島の歴史を長い時間軸で、また地理的な広がりのなかで検討することは、戦後のローカルな歴史を異なる角度から照らし出すのである。

【記事執筆:川口 悠子(法政大学理工学部准教授)】

 

お知らせ一覧へ戻る