【開催報告】国際日本学研究所-新しい「国際日本学」を目指して(4)-アルザス・ワークショップ「ヨーロッパにおける日本研究の現状と拠点形成のために-若手研究者たちに聞く」(2018年11月2日・3日)2018/11/14

■期間: 2018年11月2日(金)-11月3日(土)

■会場: アルザス・欧州日本学研究所 (フランス)

■主催: 法政大学国際日本学研究所(HIJAS),「国際日本研究」コンソーシアム,アルザス・欧州日本学研究所(CEEJA)

今後これからの国際日本学(国際日本研究)のあり方を探るために、法政大学国際日本学研究所(HIJAS)は、アルザス欧州日本学研究所(CEEJA)、および国際日本研究コンソーシアムとの共催で、2018年11月2日―3日、CEEJAにおいて、個性的な日本研究を展開しているヨーロッパの若手研究者6名に参集してもらい、彼らから、研究内容ばかりではなく、研究が行われている環境や条件についても語ってもらうワークショップを実施した。

発表参加してくれた若手研究者は以下の6名である(発表順)。

・ピエール・ボネルス Pierre Bonnells(ベルギー、ブリュッセル自由大学)
・細川尚子 Naoko Hosokawa(フランス、ストラスブール大学)
・サミュエル・カクゾロフスキー Samuel Kaczorowski(フランス、トゥールーズ大学)
・アナスタシア・フェドロヴァ Anastasia Fedorova(ロシア、国立研究大学高等経済学院)
・ホアン=ルイス=ロペス・アラングレン Juan Luis Lopez Aranguren(スペイン、サマランカ大学)
・ノラ・ギルゲン Nora Gilgen(スイス、チューリッヒ大学)

また彼らの発表を聞き、その場での問題の掘り下げに協力したシニアの研究者は、以下の7名であった(名前のアルファベット順)。

・安孫子信 Abiko Shin (日本、法政大学)
・ヴィルジニ・フェルモー Virginie Fermaud (フランス、CEEJA-ストラスブール大学)
・黒田昭信 Kuroda Akinobu (フランス、ストラスブール大学)
・ジョゼフ・キブルツ Josef Kyburz (フランス、CNRS-CRCAO)
・レギーネ・マチアス Regine Mathias (ドイツ、ボッフム大学)
・小口雅史 Oguchi Masashi(日本、法政大学)
・エーリヒ・パウエル Erich Pauer(ドイツ、マールブルグ大学)

初日、11月2日には朝9時半から夕方18時まで、若手研究者一人ずつに、一人一時間の持ち時間で、自分の研究内容の概略の紹介から始め、そのような研究を動機づけていること、そのような研究に至った経緯、また、その研究の有する今日的な、あるいは将来的な意義までを、現在の身分とそこまでの学歴・職歴の流れ、現在の研究が置かれている社会的、経済的環境にも触れつつ、パワポ・スライドを用いて説明してもらった。二日目、11月3日には朝9時30分から昼12時まで、前日の6名の発表から出発して、ヨーロッパにおける日本研究の有する構造的ないし制度的諸問題について、多方面から、全員で意見交換を行った。結果として、日本が展開している国際日本学(国際日本研究)が今後有していくべき意味や、果たすべき役割が広く示唆されていったと思う。以下では、以上の作業の成果を、議事録的な報告書の様態からは少し離れるが、大づかみに示していきたい。

個々の日本研究が、「日本の**」についての研究ということでテーマ(「**」)を有し、そのテーマが、文学であれ、歴史であれ、政治であれ、経済であれ、何らかの学問専門領域に属すること、これは言うまでもない。このような「日本の**」についての研究は、何よりも日本で行われているとして、今日ではそれは、ヨーロッパ各地、世界各地で行われている。その場合、各地での「日本の**」についての研究は、「**」が属する専門領域に吸収されずに、多くの場合、「日本」のまわりに集まって、学際的な「日本学」を形成している。こうして形成されているフランスの「日本学」、ドイツの「日本学」…を結び、日本での日本についての諸研究と広く交流させていくこと、ここに「国際日本学」が言上げされた、当初の狙いは存在していたと言えよう。

 (会場の様子)

この「国際日本学」の現状と行く末が今回のワークショップ開催の主要テーマであった。ただ、一日目の個人発表を受けての二日目の全体討議でもっぱら問題とされたのは、むしろ、その一歩手前にある、ヨーロッパ各地での「日本学」の現状とその行く末であった。そうして論じられたのは「日本学」の身分そのものであった。「日本学」が学際性を言うとして、それは個々のテーマ(「**」)が身を置く専門領域の学問がまずはそれとして踏まえられていることが前提であって、それなしで、ただ「日本」のまわりに諸学問の断片を寄せ集めているだけの、今日のいわゆる「日本学」は、「学」とは言えず、「日本学」など存在しないとむしろ言うべきであると主張され、さらに、学生には、まず個々のテーマ(「**」)が属する専門領域での学問方法論を修めさせ、日本学科に来させるのはその後にすべきである、と提言されたのである。これに対しては、日本についての基礎知識はもとより、とくに日本語を習得するのに必要な膨大な時間を考えれば、学問専門性をまず身に着けさせ、その後で日本語を学ばせるというのには無理がある、両者はせめて並行して学ばせるべきである、と反論された。いずれにしても、「日本学」の教育や研究が真っ当な仕方で評価されていくためには、一方で、日本についての基礎知識、とくに日本語が習得されていること、他方で、個々のテーマ(「**」)が身を置く専門領域での学問方法論が学ばれていること、の二条件が満たされることがどうしても必要であろうということでは、参加者の意見は一致したのである。ただ問題はその二条件、あるいはそれに見合う諸条件を同時に満たす教育と研究をどう構築していくかであって、ここに現状の「日本学」の困難があることが議論では浮き彫りとなっていったのである。

 (会場の様子)

この困難を解く道を、今回のワークショップが二日間の議論の結果として見出せたわけではなかった。しかし、初日の若手研究者たちの話の一つ一つが、実はこの解の具体例であり、そこから、ヨーロッパの「日本学」も、また日本の「国際日本学」も、結果として多くを学び得たと考えている。むしろ、だからこそ、二日目の議論が行われたと言いえよう。実際、今回参加の若手研究者6名の内で、もともと日本学科で学び、そのまま日本研究に進んでいる者は1名だけであった。他の者たちはそれぞれが、個々の関心(「**」)から出て、それが属する専門領域での学問方法論の一定の訓練を受けることから始めており、「日本」へは、その後に至っている。ここで6人それぞれの研究対象(「日本の**」)を簡単に紹介すれば、それは以下のようなものであった。

発表者1―哲学の存在論への関心から、それの一つのケーススタディである日本の近代哲学における存在論の扱いの問題へと向かった。

発表者2―ある国語が外来語を受容するメカニズムへの関心から、それの一つのケーススタディである日本語に於ける外来語の扱いの問題へと向かった。

発表者3―アニメーションの実作を学び手掛けることから、日本のテレビ・アニメーションが行った技術革新の問題へと向かった。

発表者4―政治や社会が映画に与え、映画が政治や社会に与える影響関係への関心から、それの一つのケーススタディである日本における映画と社会との関係の問題へと向かった。

発表者5―国際政治における意思決定の合理性への関心から、それの一つのケーススタディとして日本の外交問題での意思決定における合理性の問題へと向かった。

発表者6―日本の障害者雇用制度の問題を扱ってきたが、その制度の諸外国への移出の可能性に関心を寄せている。

6名の内、発表者6だけが日本学科の出身であり、他の発表者たちはそうではなく、それぞれのテーマ(「**」)が属する領域でまず学問的訓練を受けている。それが日本と結びついて「日本の**」となっていったのはその後のことであり、確かにそのことで、彼らの研究がいくつかの点で不利を免れていないことが示されていった。まず、(a)日本人である(発表者2)とか、また、かなり長期わたって日本で生活し学んだことがあるといった場合(発表者1、発表者4)を除けば、日本語が、研究の言語として自在に用いられるに至っていないということがある。また、(b)そのテーマは各自独自の関心から出ていて、伝統的に「日本学」が扱ってきたものとは必ずしも重ならず、これらの研究のいくつかは、それぞれの場所での「日本学」の中に位置づくことができずにいる(発表者1)、あるいはまた、それが日本で提示された場合に必ずしも真剣に扱われない場合がある(発表者6)。しかも他方で、(c)これらの研究が、ケーススターディになっているもとの親学問、すなわち、それが位置づく本来の専門領域、に置き直されたとき、テーマとしての日本はそこでは新奇であって、歓迎されないことがあると言う(発表者1)。

こうして、6人の研究それぞれが険しい道を歩んでいることが縷々説明されたのであるが、他方で、6人それぞれが、さまざまな工夫と努力によって、自らの研究を着実に進めている様子も強く語られたのである。上の3つの困難に対応させて彼らの工夫を紹介すれば、それは次のようなことになる。(a)自他の事情から、必ずしも自在に日本語を駆使した研究を行いえていない状況については、通訳や翻訳に頼ること、また、資料収集や研究のコミュニケーションの場面で英語に頼ることも、忌避しないし拒否もしない。(発表者1、発表者3、発表者5の場合)。また、(b)自らの研究が、「日本学」として、それぞれの場所で、また日本で、必ずしももろ手をあげて受け入れられない現状については、「日本学」、あるいは日本に狭く身を置こうとせず、むしろ「日本学」、あるいは日本を相対化し、広い意味で批判することを目指して、比較(日本とフランス、日本とロシア、日本と中国、…)を方法として取り入れている。(発表者2、発表者4、発表者5の場合)。(c)逆に、ケーススタディとしての自らの日本研究が、あれこれの専門領域に受け入れられないことについては、日本について、その通約不可能性やユニークネスを言うのではなく、むしろ他への有益さや通約性を押し出している。(発表者1、発表者3、発表者6の場合)。こうして、まとめれば、(a)研究の言語として英語を大幅に受け入れる、(b)日本だけをフィールドとするのではなく、他文化、他社会と日本との比較研究をむしろ旨とする、(c)日本文化の唯一性ではなく、他文化へのそれの通用性をむしろ主張していくという、この3つの研究態度が、今回、若手日本研究者たちの発表から、示唆的なこととして知りえたことであり、これらは、「日本学」が今後も各方面から関心と支持とを得て発展していくための鍵ともなりうることであろうと感じられたのである。そして、これらが「日本学」を今後、さらに開いて行く方途となりうるとして、これらの方法論的態度はそのまま、「国際日本学」(国際日本研究)が今後、さらに広く展開して行くときに不可欠なこととして踏まえられていくべきこととも考えられたのである。

【記事執筆:安孫子 信(法政大学国際日本学研究所所員・文学部教授)】

 (参加者一同)

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