【開催報告】近世日本における北方イメージ シンポジウム開催報告記事を掲載いたしました(2017.7.23)2017/09/25
「近世日本における北方イメージ」
■開催日時
2017年7月23日(日)、13時00分から17時30分(予定)
■会場
法政大学市ヶ谷キャンパスボアソナードタワー25階B会議室
■プログラム
開催趣旨 | 横山泰子 |
絵地図における<北方>へのまなざし-「みちのく」から「蝦夷地」へ- | 米家志乃布 |
規範と実感と-奥州人による奥州の狂歌 | 小林ふみ子 |
近世中期諸国説話集と「東国」 | 真島 望 |
「辺境」に生き、「辺境」を語る-会津の奇人と近世説話 | 伊藤龍平 |
青森の異才が描く北方イメージ-建部綾足と平尾魯仙の場合 | 横山泰子 |
総合討論 |
去る7月23日(日)午後、平成28年度三菱財団助成金による共同研究「近世日本における〈北方〉イメージ―絵地図とテキストに探る多様性の研究―」(研究代表・横山泰子)の一環としてシンポジウム「近世日本における北方イメージ」を開催した。代表者および共同研究者の米家志乃布・小林ふみ子に加え、怪談・説話を幅広く研究されている伊藤龍平氏(南台科技大学)および地誌・説話研究の若手、真島望氏(成城大学非常勤講師)に助力を仰いで、近世の日本において〈北方〉、つまり奥羽や蝦夷地がどのようなイメージで描かれたか、当地の人びとの認識と外からの眼差しを交錯させながら多角的に検討した。
最初の米家志乃布「絵地図における<北方>へのまなざし-「みちのく」から「蝦夷地」へ- 」では、中世に遡って日本図における東北・蝦夷地の描かれ方をたどったのち、「分国図」つまり地域別地図のうち当該地域のものを概観した。寛文の「扶桑国図」やいわゆる流宣図など刊行されたものを中心に、北方がゆがんでいたり曖昧であったりする地図がたんなる知識や興味の対象として継承されたいっぽうで、実用に耐える行程の詳細なものまでさまざまな図が併行して出され、幕末には蝦夷図刊行のブームが訪れるなどの現象が見られつつも、中央から辺境を見るという枠組みには変化がなかったことが指摘された。
講演者:米家志乃布氏
つぎの小林ふみ子「規範と実感と-奥州人による奥州の狂歌」では、江戸を中心として十九世紀には全国的に流行が拡大した狂歌に参画した奥州人の残した歌を手がかりとして、その人びとの共有した奥州・蝦夷地像を探った。和歌の伝統のなかで歌枕の数多い辺境の地として位置づけられてきたことを逆手にとって、正統性の根拠としての統治の歌枕を題とした狂歌集を、江戸を含む他国の狂歌人にも呼びかけて編纂する動きがあったことを論じて、そこで一時的な〈中心〉になりえていたこと、その狂詠には刊年を超えた当地性の反映がみられ、未知なる道の奥イメージは払拭されていたことを述べた。そのなかで当地の気候の反映として特徴的な大雪の歌が数多く詠まれ、奥州人の狂歌の特色として江戸の狂歌判者からの期待の書簡も送られていたことも紹介した。
講演者:小林ふみ子氏
3つめの真島望「近世中期諸国説話集と「東国」」では、「東国」を冠する通俗的な地誌・説話集『東国名勝志』(宝暦12・1762年刊)、『東国旅行談』(天明9・1789年刊)が分析された。いずれも先行書の情報や記述を再利用するかたちで編まれ、とりわけ大坂の書肆吉文字屋市兵衛が自ら編集にあたった前者では、記述・挿絵ともに西鶴編の地誌『一目玉鉾』(元禄2・1689年刊)を巻1を中心に全面的に利用していること、こうした書物が出された背景に東国の情報についての知的欲求の高まりがあったことが論じられ、さらに中世以来の東国観を引きずったかたちで出されたこれらの書物が流布し続けた結果として古い認識が温存され続けた面もあることにも触れられた。
講演者:真島望氏
4つめの伊藤龍平「「辺境」に生き、「辺境」を語る-会津の奇人と近世説話」では、近代の昔話は語り手の年代を考えるとほぼ近世説話とみなしえることを前提として、『会津怪談集』などで知られる通称「蔵のおんつぁ(おじさん)」こと安倍佐市(1888~1972) が焦点化された。佐市の編んだ説話集等を分析し、かつて学んだこともある井上円了を「中央=近代」の象徴とみなし、自らを「前近代=地方≒辺境」として対置していらだちに近い対抗意識をもっていたこと、当地の伝説や史話を語るにあたって大きな(中央の)歴史と結びつけようとする傾向がみられることが述べられた。さらに、そうした語りを可能にしたのは佐市自身、純粋な地方人ではなく、知識があり東京で暮らした経験があることを指摘したうえで、「中央」/「辺境」という枠組みから逃れることは可能かという問題提起がなされた。
講演者:伊藤龍平氏
最後の横山泰子「青森の異才が描く北方イメージ-建部綾足と平尾魯仙の場合」は、伝統的に境界と認識された外が浜という場所が、旅人や江戸在住の文学者ら外側の視線と、当地にゆかりの文学者による内側の視線によって、どのように見られ描かれたかを検討した。当地の様子は近世の様々な文献によって記録されており、例えば山東京伝は熱心に文献調査を行って北方を舞台とした作品を書いたが、中世以来の古い場所イメージにひきずられている観がある。その点で、建部綾足と平尾魯仙は現地の情報を持っていただけに、作中の描写に現実味が認められる。
講演者:横山泰子氏
5つの発表には互いに重なり合うところもあり、大きくいって共通する近世日本人の抱いた〈北方〉像が浮かびあがってきたと考えている。すなわち、当時すでに奥羽のみならず蝦夷地も含め、具体的な往来、人的交流、また物産の流通もあって十分な当地の情報が〈中央〉にも伝わっていた。そのことによって中世までの何が起こるかわからない未知の辺境という印象は克服されてよいはずであった。しかし、地図や文学作品の表現を見る限り古い<北方>イメージがひきずられたまま、近世の現実的な北方像が上書きされることなく近代をむかえてしまったということではないかというものである。近世の〈北方〉をめぐる言説や絵地図などまだまだ検討すべき資料は数限りなくあるが、ひとまず本企画で得られた仮説として記しておきたい。
会場の様子
【執筆記事:小林ふみ子(国際日本学研究所兼担所員、文学部教授】