【開催報告】2014年度 国際日本学シンポジウム 『<日本意識>の過去・現在・未来』(2014.7.26)報告記事を掲載しました2014/08/08

法政大学国際日本学研究所では、文部科学省私立大学戦略的研究基盤形成支援事業「国際日本学の方法に基づく<日本意識>の再検討—<日本意識>の過去・現在・未来」(平成22年〜平成26年)の最終年度の集大成として、国際日本学シンポジウム「<日本意識>の過去・現在・未来」を開催いたしました。

国際日本学シンポジウム <日本意識>の過去・現在・未来

日  時 :2014年7月26日(土)9:50〜18:40
場  所 :法政大学市ヶ谷キャンパス・ボアソナード・タワー26階スカイホール
総合司会 :安孫子 信(法政大学国際日本学研究所所員、文学部教授)

◆第1パネル:テーマ「儒教・儒学と日本意識」
司会&記事執筆:小林ふみ子(法政大学国際日本学研究所所員、文学部教授)
本パネルでは、古く中国から日本へと移入された儒教・儒学が日本文化のなかで歴史的に近現代にまでどのような役割を担ってきたのか、東アジア的視野で考察した。

大木康氏(東京大学)は「漢学、国学と華夷意識」と題して、日本人として中国文学を研究する立場から漢学史をふり返る報告であった。山崎闇斎、山鹿素行、また本居宣長らを例に、物事を中心—周縁という序列で捉える華夷意識や発想、文献学的方法において儒学の影響を強く受けていることを論じた。現代はいわば他者研究として行われている中国文学や哲学などの研究も、実は20世紀初頭までは外国研究ではなく、自己の血肉となった「漢学」として行われていたことにも触れつつ、いかに日本文化のなかに、思考や発想といったところまで抜きがたく儒教・儒学の影響が及んでいることを提示した。

川田順造氏(神奈川大学)は日本近代を問い直すことの一環として山鹿素行を取りあげた。当初儒学者として出発した素行は武士のあり方を理論化して兵学をうち立てる。赤穂藩に仕え、大石良雄らいわゆる赤穂義士の思想形成に影響を与えた。のちに明治政府が彼らを顕彰して建てた赤穂の大石神社には素行の銅像があること、その建立をめぐって、やはり忠君愛国の象徴とされた楠木正成の湊川神社との結びつきがあることを指摘した。日本こそが「中朝」であると主張する素行の『中朝事実』は乃木希典によって称揚されたことでも知られ、近代日本における素行の象徴的役割が浮き彫りになった。

菱田雅晴氏(法政大学)は、「中国新儒家思想の社会的背景」と題して、現代中国研究という立場からこの問題にアプローチした。超大国となった現代中国で生じている諸問題に対してどのような立場を取るか、「百花斉放」ともいえる現代中国の社会思潮の状況を概観し、そのなかの一つとして、「西側民主主義」を不十分として儒学の復興、さらに共産党の儒化による儒士共同体の実現までも唱える「新儒家思想」が浮上しつつあることを論じた。そこにおいて儒教・儒学は中国にとってのナショナリズムの象徴ともなっているが、国内的にも、また、東アジア全体でも共有される価値とはなりがたいと論じた。こうした背景の下、歴史記憶の一部としての日本像が形作られており、「愛国反日」が記号化し、それを叫ぶ人々の中にも、日本文化を消費し、影響を受けている層がいるという錯雑な状況があることを指摘した。これらを通じて、儒教・儒学の受容が、さまざまな次元で日本に歴史的に大きな影響を与え、それは中国を鏡とする日本人の自己形成において近代・現代にまで揺曳する問題であること、しかしそれが今日、国内的にも対外的にも見えにくくなっていることが明らかになったといえよう。


第1パネル会場の様子(報告者:川田順造氏)
◆第2パネル:テーマ「漢字と日本意識」
司会&記事執筆:王敏(法政大学国際日本学研究所専任所員、教授)
西田如見の『夷通商考』、寺島良安の『和漢三才図会』などの文献に共通した認識の一つが、「漢字を使う国は文明的で、漢字を使わない国は怪物的」という「位置づけ」であった。江戸時代の、おもに知識階層による考えであるが、当然ながら、一般的に識字力が低いレベルにある階層が多く存在している発展段階を前提としなければならない。

だが、東アジアにおける西洋文明との出会いによって、漢字表記の価値が降下の一途を辿った。福沢諭吉は予見した。「儒学を含む漢学は、臨終前の〈中日和〉(残灯の明)に過ぎず、全地球を支配する西洋文明の風は、きっと社会の方向を一にして止むこと」(「漢学の中日和」『全集』第8巻、612頁)がない、とした。
西洋文明との出会い後、「漢字離れ」が徐々に進展してきたが、日本では少なからず、西洋文明との調和、克服の努力がなされてきた。1875(明治8)年生まれの柳田国男はその一人。昭和初年、「全国山村生活調査」を実施した。その成果として1930年代後半、『国語の将来』などによって日本語のあるべき方向を提言した。分かりやすさと使いやすさを第一としたが、これは同時に、日本語の一部になっている漢字の再評価につながり、結果的にその価値を見直す契機にもなると思える。

この漢字見直しは日本語表記における再認識には違いないが、マイナスの面も見逃すわけにはいかない。日本文は仮名だけで表記は可能だが、漢字を取り込んで、仮名混じり、漢字混ざりが、日本文の基本となっている。日本語教育では仮名と併せて漢字も対象となるから、非漢字圏の人々にとって仮名以上に漢字の習得が「障壁」となる面が浮きあがる。ともかく、漢字は一字ずつその読み方(音)が分からなくとも、視るだけでその意味が分かるという以心伝心の「記号」だと知らしめる。アルファベットの英語にはない、漢字文化圏に特有の共有できる表現価値と受け止められる。

日中韓賢人会は今年(2014)秋、808の共通漢字を発表する準備をしている。日本語の一部として漢字力を磨いてきた日本の貢献が再確認されるとなろう。それをフランスのレオン・ヴァンデルメールシュ氏が『アジア文化圏の時代』(大修館・1985年)のなかで次のように示唆した。

「漢字文化圏の筆頭を成す発展国として、日本独自の使命を自覚したならば、かつて唐王朝が古典文化の伝播に果たした輝かしい先例に優るとも劣らない光輝とともに、世界文化再生の先駆者としての役割を、遠からず果たすことができそうである。そのために日本に必要とされるのは、一種の受け入れ精神をもう少し拡大することだけであろう。……漢字文化諸国の間に存在している分断的諸要因は、今や衰微の段階に入ったばかりでなく、むしろ逆の方向へと、強力な統一要因が動いている。それは、経済的発展と文化的均質性の相乗作用(synergie)である。」


第2パネル会場の様子(報告者:山田泉氏)
◆第3パネル:テーマ「米・稲作と日本意識」
司会&記事執筆:星野勉(法政大学国際日本学研究所所員、文学部教授)
「米・稲作と日本意識」をテーマとする第3パネルは、小林ふみ子(法政大学文学部教授)氏の「都市文化としての米食」、濱田陽(帝京大学文学部準教授)氏の「重層的宗教文化と日本意識の開放」、ヨーゼフ・クライナー(ボン大学名誉教授)氏の「日本文化は稲作文化、儒教的集団主義社会で、中国文明の亜流か?」という三つの発表からなる。このパネルでは、日本人の主食とされる米、水田稲作を切り口として、日本社会、日本文化、そして、宗教意識を含む日本意識のあり方を明らかにすることが試みられた。小林ふみ子氏によって、江戸文学における表現から、日本人の主食とされる米食が、日本近世を生きた人々にとって、実際には主食であったというよりは、「米銭」という言葉にも認められるように江戸の都市生活と結びついた富貴の象徴であったことが裏付けられた。これに対して、和歌や狂歌の分析を通じて、米、稲田を「稲作文化国家」というイメージと結びつけることには確かな根拠がないこと、それゆえ、それは近代において「創られた伝統」であることが示された。

もともと熱帯性の多年性植物であった稲が温帯の日本列島にもたらされ、水田稲作が始まったが、この水田稲作のうちに、日本人の宗教意識に連なる他の生物を含む自然との関わりの特性を探り当てるのが、濱田陽氏の発表の主旨であった。稲田は生きとし生けるものとの多様な関わりの場であり、この多様性から国家レベルに回収されない日本人の宗教意識の多様性が引き出される。この点に関して、川田順造氏から、灌漑さえ整えれば連作が可能な水田稲作の特性、および、灌漑のための水路の共同管理というような点に日本社会を考えるうえでの有力な手掛かりがあるのではないか、という発言があった。

クライナー氏によって、外から見た日本文化という視点から、日本文化の説明原理の多様性を概観することを通じて、むしろ、そうした多様な説明原理自体がその背景にある歴史的事情などに相関的であることが示された。稲作を中心とする農耕社会がそのコアであるとする日本文化の共通認識は、柳田国男に由来するが、これも焼畑農業をどう位置付けるかという観点から、柳田国男自身によっても確実視されているわけではないこと、また、日本社会の集団主義、それと儒教との関係も、フロイスとケンぺル、シーボルトとでは見解が異なることが指摘された。そして、日本の大陸文化への依存性と日本文化の独自性をどう考えるかについても様々な有力な見解があるが、説明原理自体の背景、そして、中国、韓国、ヨーロッパとの(単なる依存という意味ではない)関係を勘案することが肝要であることが指摘された。


第3パネル会場の様子(報告者:濱田陽氏)
◆全体討議
総合司会&記事執筆:安孫子信(法政大学国際日本学研究所所員、文学部教授
三つのパネルでの熱した議論を受け、その補いと全体の総括を行うための全体討議が、当日プログラムの最後に、1時間の予定で行われた。途中退席の大木氏を除くすべてのパネリストが揃って登壇し総括の発言を行い、会場から出された質疑やコメントに応答を行った。司会は安孫子が行った。総括発言の主な内容を発言順に記せば以下となろう。まず、1.川田氏は、稲作が集団主義的日本意識の形成に寄与したとして、そのような文化的な力は、米という作物が持つ輪作可能といった自然的性質にそもそも負っていることを忘れてはならないと指摘した。2.菱田氏は、日本意識をただ文化の観点からソフトに語り続ける態度に対して、そこからは未来は出てこない、日本意識は政治的に選び取られ、敢えて提示されるものでなければならないと主張した。3.横山氏は、日本意識が多く文化現象に探られるとしても、それは、かつては中国、その後は西洋に対する日本の辺境性という立ち位置に根ざすもので、先鋭化の強弱はあれ、そもそも政治的なものだと述べた。4.鶴見氏は、日本意識が対外意識であって、内の多様性や可変性に目を閉ざしがちであり、たとえば標準語の視点でしかそれが語られないことに危惧を表明した。5.山田氏は、日本意識の美点が外から多くのものを圧縮して細やかに受け入れることにあるとして、他方でそこには主権者としての人間が決定的に欠如していると指摘した。6.小林氏は、日本意識の形成が政治的直截性を欠き、文化を通じての間接的なものであるとしても、それが外を意識して行われた紛れもない自己形成であることを評価すべきだと主張した。7.浜田氏は、日本意識は誰が、さらには何が持つ意識なのかを改めて問い、それは内だけでなく外が、さらには人間だけでなく他の生物もが日本について持つ、コモンズ的な意識の総体であるはずだと指摘した。最後に、8.クライナー氏は、日本意識はイコール、大和意識なのではなく、それは沖縄にもまたアイヌにも根ざした複線的なものであると指摘した。なおこのような総括を受けて行われた聴衆との質疑応答の中で、聴衆の一人から、今日、日本意識の検討はフクシマを忘れて行われてはならない、との指摘がなされたことも付言しておきたい。

以上の一連の発言は、「日本意識とは何か」をめぐる当日一日の議論の全体を、そこになお残る問題点とともに、それぞれきわめて鋭利にあぶり出すものとなっていて、大変重要なものであった。こうして全体討議から得られたことは、今年度末までという残された時間に、当課題研究が歩むべき道のりは必ずしも短くない、ということである。


全体討論の様子
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国際日本学シンポジウム「<日本意識>の過去・現在・未来」(2014年7月26日)
当日の動画(ダイジェスト版)はこちらから

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