【開催報告】アプローチ(1)2014年度第5回研究会(2015.1.30)報告記事を掲載しました2015/02/07

「国際日本学の方法に基づく<日本意識>の再検討−<日本意識>の過去・現在・未来」
アプローチ(1) 「<日本意識>の変遷−古代から近世へ」
第5回研究会

  女が歴史を詠むとき
—近世女性歌人と日本意識—

期 間  : 2015年1月30日(金) 18時30分〜20時30分

 報 告 者  : 田中 仁(学習院大学文学部日本語日本文学科 助教)

会  場  : 法政大学市ヶ谷キャンパスボアソナードタワー19階D会議室

司 会 者  : 小林ふみ子(法政大学国際日本学研究所所員、文学部教授)

 江戸時代に活躍した女性歌人の多くは男性の国学者や歌人に師事するという形で歌の詠み方を身につけ、実作に臨んでいた。例えば、江戸時代中期に活躍した賀茂真淵は、女性の門人に宛てた書簡において、「古今より源氏までの間のもの、古今六帖・大和物かたり・三十六人歌仙家集など御覧候て御よみ候へかし。必後世の題歌のみあつめ候を御覧候而は歌になり不申候」(「某月某日森繁子宛書簡」(年代不明))とか「すべて歌てふものは、打となへたるさまやすらかに、け高きをよしとし、巧みのおもしろきをば次とす。(略)ただ古今歌集を朝夕に見て、それが中にもなだらかにて、ことわりの明らかなるさまを、われもかく様によまんとねがひて、よみうつし給へ。」(「御かたがたの君たちへ書簡」(年代不明))などと作歌指導をしている。「後世の題歌」に対して否定的な意見を述べつつ、『古今集』や『源氏物語』の引歌などを手本にするよう勧めているのである。
一方、真淵門下から出た江戸派の歌人たちは、『古今集』を尊重し、題詠にも積極的に取り組むようになるが、みやびを志向したこの時期の女性歌人の和歌において目立った形での日本意識の反映は見られない。とくに和歌において日本意識が先鋭化し始めたのは江戸時代後期の詠史和歌が流行し始めた時期であると考えられる。当時、歌壇では、歴史上の事件や人物を題材とする詠史和歌がさかんに詠まれるようになり、江戸派、鈴屋派、桂園派などの歌風・門流による派閥を越えた全歌壇的な流行現象となっていた。古学が浸透したことで自国の歴史への関心が高まったこと、そして、当時の人々が海外の国々に意識を向けるようになったことなどがその要因として挙げられるだろう。大田垣蓮月、高畠式部、若江薫子などをはじめとして、幕末の激動期を生きた女性歌人たちも詠史和歌を詠んでいるが、それらの内容はいずれも君臣間の忠誠を褒め称えたり、大義のための戦いで壮烈な最期を遂げた人物に同情共感したりするような詠嘆的なものであり、そこに同時代の男性が詠んだ詠史和歌と内容的にはほとんど差異は認められない。ただし、みやびの要素が背景化するとともに、日本意識がより強調される傾向にあることは注目される。
明治維新以降、明治天皇が和歌をこよなく愛好したことは夙に知られている。明治宮中における和歌とそれに関わる職掌・儀礼などがより一層重要な位置を占めるようになり、明治2年6月以降は正月御会始とは別に、月次歌会が催されるようになる。また、明治天皇は毎日のように近侍する人々に題を与えて、四季題のみならず詠史題の和歌も詠ませたとも伝えられる。明治天皇が詠史和歌に関心を持つきっかけを作ったと思われるのが、幕末から明治にかけて活躍した桂園派歌人・渡忠秋(1811〜1881)である。師の香川景樹の没後、桂園派歌壇の発展に尽力した忠秋は、維新後は自身が仕えていた三条実美の庇護を受けつつ高崎正風ら薩摩藩の桂園派歌人とも親しく交流した。さらに明治7年4月から明治9年9月まで宮内省歌道御用掛として出仕し、明治天皇に対して講書始や和歌指南などを担当している。また、忠秋は日頃から詠史和歌を好んで詠んでおり、自作の詠史和歌を集めた『読史有感集』(明治6年刊)を、明治天皇に献上していることにも注目しておきたい。同書の特徴としては「魯西亜 伯徳?(=ピョートル大帝)」や「仏朗西 那勃列翁(=ナポレオン)」といった西欧の歴史上の人物とその事績を和歌に詠んでいる点が挙げられる。それまで中国の人物を詠んだ詠史和歌は存在したが、西欧の人物が和歌に詠まれるのは極めて稀であった。
その後、明治宮中で詠まれた詠史和歌を編集した『内外詠史歌集』(税所敦子編、明治28年刊)や明治36年刊行の『明治才媛歌集』(下田歌子編)には「拿波崙(=ナポレオン)」、「華盛頓(=ワシントン)」のほか、「如安(=ジャンヌダルク)」、「徐世賓(=ジョセフィーヌ)」などの西欧の女性を詠んだものも収録されている。とくに、後者の編者である下田歌子は女官時代には昭憲皇后から和歌の才を高く評価され、その後は女性教育の分野でも活躍した人物である。『明治才媛歌集』の場合、単に詠史和歌を集めただけでなく、和歌ともにそれぞれの人物に関する略歴や逸話も付記されており、そこに道徳的・歴史的教育の効果をも期待しているものと考えられる。
詠史和歌は幕末の政情不安と尊王攘夷思想の高まりとともに流行の最盛期を迎えたが、明治の文明開化にともなって物心両面の西欧化が進むと、西欧の歴史上の人物とその事績までその題材が拡がりを見せることになる。とくに明治の女性歌人たちは西欧の歴史上の女性を歌に詠むことによって、自らが「日本」の「女性」であることを再認識(あるいは相対化)する視点を獲得したとも言えるのではないだろうか。


         【記事執筆:田中 仁(学習院大学文学部日本語日本文学科 助教)】


報告者:田中 仁氏

 

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