【受賞報告】中村和之客員所員が日本文化財科学会第12回論文賞を受賞されました(2018.7.8)2018/07/31

本研究所客員所員である函館工業高等専門学校の中村和之教授が、日本文化財科学会の第12回論文賞を受賞しました。日本文化財科学会は、文化財に関する学術的研究の発達および普及を図ることを目的として1982年に発足した学会で、私も近年は北方世界のガラス玉の成分分析や古文書の紙分析に関わって何度か参加しています。文理融合を目指す新しい研究分野に発展しつつあるところです。

今回の受賞は、同学会が発行している『考古学と自然科学』第75号に、名古屋大学宇宙地球環境研究所の小田寛貴助教との共著で発表した「加速器質量分析法による蝦夷錦の放射性炭素年代測定―「北東アジアのシルクロード」の起源を求めて―」が評価されたものです。受賞理由には、単に炭素14年代測定結果をまとめただけではなく、その意味を掘り下げて自然科学・史学双方の要素を含んで解釈し、北東アジアの中近世の再構築につなげる研究成果を発表したと記されています。

この論文では、アイヌ民族の北方交易の交易品として知られる蝦夷錦という中国製の錦を年代測定した結果が報告されています。北海道・東北の各地、さらにはロシアのサハリンで収集した計34点の資料のうち33点については、17世紀後半以降という年代を示しました。これは、清朝がアムール川流域に展開した辺民支配の体制が安定した年代と対応します。間宮林蔵が記録したように、先住民たちは黒貂の毛皮を朝貢し、清朝は錦を下賜していました。

残る1点は、北サハリンで収集されたニブフ(旧称はギリヤーク)の帽子から取った資料です。この錦は、15世紀初頭の可能性が最も高いという結果になりました。この年代は、明初の永楽帝の時に、イシハという宦官をアムール川の下流域に派遣し、ヌルガン永寧寺を建てた時期に符合します。またこの資料は、14世紀前半のものである可能性もあることがわかっていますが、もしそうだとしたら元朝のサハリン進出と係わるものかもしれません。

これまで、文献史料では14世紀前半から15世紀初頭の時期に、元朝・明朝がアムール川下流域からサハリンに進出して、先住民と交易を行っていたことがわかっていました。今回の研究で、この時期の錦が現存することがわかりました。アムール川下流域からサハリン・北海道を結ぶ交易路は、北のシルクロードともいわれます。その始まりの時期が、これまで考えられてきたより300年ほど早くなることが、錦という資料で立証されたことになります。

本研究所は現在、新しい国際日本学の構築を目指していろんな可能性を探っているところです。北方史研究は、かつて「日本の中の異文化」という、本研究所設立以来の主要テーマでした。これまで築きあげてきた分野の見直しも行っているところですので。今回の受賞はそうした動きにも新しい刺激を与えてくれることと思います。中村教授のますますのご活躍を祈念いたしております。

【記事執筆:小口雅史(法政大学国際日本学研究所所長・文学部教授】

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