2013年度アルザスシンポジウム 『日本アイデンティティとアジア』(2013.11.1-3)

法政大学国際日本学研究所
国際日本学の方法に基づく〈日本意識〉の再検討−〈日本意識〉の過去・現在・未来
研究アプローチ(4) 〈日本意識〉の三角測量 – 未来へ」

2013年 アルザスシンポジウム
『日本アイデンティティとアジア』


 

日  時 :2013年11月1日(金)- 3日(日)

会  場 :アルザス欧州日本学研究所(CEEJA)

共 催:法政大学国際日本学研究所(HIJAS)

共 催:フランス国立科学センター東アジア文明研究所(CRCAO)

共 催:ストラスブール大学人文科学部日本学科

共 催:アルザス欧州日本学研究所(CEEJA)

 

 

1 シンポジウム全体の概要
法政大学国際日本学研究所(HIJAS)は、2005年パリで「国際日本学とは何か—外から見た日本、内から見た日本」と題したシンポジウムを行なって以来、ヨーロッパの日本学研究チーム(特に現在のフランス東アジア文明研究センター[CRCAO])との共同開催により、毎年国際日本学シンポジウムを開催してきた。2013年も「日本のアイデンティティとアジア」と題されたシンポジウムを11月1日から3日まで実施した。開催場所は、2007年以来の会場であるアルザス欧州日本学研究所(CEEJA)であった。
今回の主題である「日本のアイデンティティとアジア」は、HIJASの2010年度から2014年度までの研究課題「国際日本学の方法に基づく<日本意識>の再検討−<日本意識>の過去・現在・未来」(文部科学省私立大学戦略的研究基盤形成支援事業採択)によるもので、この主題の下で、今回はアジア、とくに東アジアの歴史、文化、思想、社会、政治などの諸側面と突き合わせる形で、日本のアイデンティティの‘これまで’と、‘これから’とが議論された。なお、今回のシンポジウムでの報告者は、日本側から9名、欧州側から9名の、合計18名であった。

 

2各発表の概要
今回の18人による報告の概要は以下の通りである。

(1)アンドレ・クライン(アルザス・ヨーロッパ日本学研究所[フランス])/ヨーロッパ、
また日本・アジアにおける20世紀の戦争と和平
第一次世界大戦と第二次世界大戦に象徴される深刻な対立を経験した欧州が、クーデンホーフ・カレルギーらの努力によって現在の欧州連合へと発展した歴史を踏まえ、文化的に共通する要素を有しながら内部での対立を抱えるアジア、とりわけ東アジアが、「ヨーロッパの和解」とはまた別の和解を生み出すことができるかが、今日、世界全体にとっても枢要な課題であることが指摘された.そして、そのことでの貢献においてこそ、日本のアイデンティティが測られるであろう、ということが示唆された。

(2)湯重南(中国社会科学院[中国]、代読:井上亘)/一个中国学者対“日本身份与亚洲”的认识
「日本の民族文化の形成と東アジア」、「近代における日本の民族文化の発展と東アジア」、「日本の民族文化に対する理解」を通して、日本の文化がどのように形成されたのか、日本の文化が近代において東アジアにどのような影響を与えたのか、また、文化の独自性はいかに評価されるのかが考察された。近代日本が中国に与えた大きな影響も公平に評価した上で、それでも文化はそれぞれが特殊なのであり、日本文化のみに「独自性」や「優越性」を言うことは不適切であることが主張された。

(3)フィリップ・ペルティエ(リュミエール・リヨン第2大学[フランス])/極東もしくは日本の中のアジア—メタ地理概念の創生
マテオ・リッチによってもたらされた世界地図が中国を経て日本に移入され、どのように受容され、自国化されたかが語られ、さらにそれと同時に、「亜細亜」、「東亜」、「極東」といったヨーロッパ産の地理概念が、時々の地政学的観点から、むしろ積極的に日本によって用いられていったことが、メタ地理学の手法によって示された。

(4)サミュエル・ゲー(ジュネーブ大学[スイス])/「東洋」から「北東アジア」へ−−日本のアジアへの復帰に向けて
日本における「アジア」と「東洋」の概念の位置付けの変化を手掛かりに、「近代化された日本」と「発達途上の東洋」という20世紀初頭に生まれた考えが、日本を含まない「東洋」、日本を含む「東アジア」、さらにいずれの国も周辺となり中心の位置を占めない「北東アジア」という考えへと変化することが確認された。

(5)カリーヌ・マランジャン(ロシア科学アカデミー東洋写本研究所[ロシア])/アジアにおける日本の役割−ソ連とロシアの解釈
ソ連時代とロシア誕生後の日本研究の特徴を概観し、前者においては通時的、歴史的研究が主で、中国文明の強い影響を認めつつ歴史と文学においては「極東」の文脈で日本は捉えられ、また後者では、共時的、同時代的研究が中心となり、政治的、経済的状況、世界とアジアにおける役割、アイデンティティが日本研究の課題となっていることが示された。

(6) 鈴村裕輔(法政大学[日本])/「日本はアジアの盟主ではない」−−石橋湛山による日本の対外拡張主義の批判と中国に対する理解
石橋湛山が経済専門誌『東洋経済新報』で行った日本の対外拡張主義に対する批判を、石橋の中国に対する理解、1910年代から1930年代にかけての国際社会における日本の立場、そして日本の外交政策に対する石橋の評価の3点から検討し、それが日本を、世界そしてアジアに対して、きわめてふさわしく位置づけるものであったことを示した。

(7) 川田順造(法政大学/神奈川大学[日本]、代読:星野勉)/いま福沢諭吉の脱亜論を読み返す
福澤諭吉の「脱亜論」がどのような自国と他国の理解に由来するものであったのか、そこで「脱亜」の後に目指されたものは何だったのかを検証し、この論が、西洋の進歩観を無批判に受け入れ、明治維新を「成功物語」とみなすことから生じており、その「成功物語」のさらなる追求を外に目指すものであったことを明らかにした。そのような「成功物語」に流されないために必要なこととして示されたのは、福沢自身によっても示唆されている、国家と区別される国民の立場である。

(8) ヨーゼフ・クライナー(法政大学[日本])/日本民族文化の形成におけるアジア諸民族文化との関わり合い−20世紀における日本民族学・考古学の学説を振り返って−
エドワード・モースとヘンリー・フォン・シーボルトによる大森貝塚の発掘に始まる日本の民族学と考古学の歴史を、坪井正五郎、鳥居龍蔵、柳田國男、岡正雄、鈴木尚、金関丈夫、江上波夫、石田英一郎、梅棹忠夫、佐々木高明の日本民族の文化の形成に関する学説を辿りながら検討した。

(9)アリス・ベルトン(フランス国立東洋言語文化研究所[フランス])/国立民族学博物館と国立歴史民俗博物館で日本を展示する:そこでアジアはどう位置づけられているか
1977年に開館した国立民族学博物館と1983年に開館した国立歴史民俗博物館を対象に、日本の文化的アイデンティティを扱うことを目的とする国立の施設である両館の、自国の歴史を他国との交流の中に位置付ける仕方の違いがどのようなものかを検討した。

(10)大貫恵美子(ウィスコンシン大学[米国])/米食・水田はアジア人に共通:アジア人としての日本人の自己意識の誕生から現代まで
『古事記』にも記されたコメの持つ祭祀的な性質を手掛かりに、「外米」に対する敏感な感情と、コメの白さに自らの純粋さを重ね合わせてきた日本人の心性を明らかにするとともに、米食と水田というアジアに共通の要素を持ちながらコメをアイデンティティ確立の手段とした日本人の独自性が考察された。

(11)井上亘(北京大学[中国])/「倭」から「日本」へ:日本のアイデンティティとしての二つの国号
702年に国号が従来の「倭」から「日本」に変更された理由を、7世紀白村江の戦いで敗れた日本が置かれた国際的な状況を通して検討するとともに、その後の歴史的な展開も踏まえることで、国号が古代においては外交上の対外的存在であったのが、中世以降になると国内を統括する政治的存在へと変質していったことが指摘された。

(12)ヴィクトリア・エシュバッハ・サボー(エバーハルト・カール大学テュービンゲン
[ドイツ])/上田万年の国語と現代の日本語
上田万年が博言学から出発して「国語」の確立に寄与した歴史上の事実を通して、「国語」と国家の結び付き、言語とアイデンティティの関係、さらに、標準語の確立と日本人のアイデンティティのあり方が、定量的な側面から検討された。

(13)王敏(法政大学[日本])/禹王からみた日中および東アジアの文化関係—日本における禹王信仰の調査報告を通して—
現在日本全国に約60件あるとされている、禹の事跡を讃える禹王遺跡を対象とし、日本に「禹王伝説」がもたらされた経緯と普及の過程を検討するとともに、「禹王伝説」が後世に与えた影響、そして東アジアにおける日本の立場と東アジア諸国との関係の変化が議論された。

(14)安孫子信(法政大学[日本])/「哲学」は日本を東洋と西洋との間のどこに位置づけるのか—中江兆民・福澤諭吉・西周—
「日本に哲学なし」と唱えた中江兆民は、他方中国にも西洋にも‘世界観’としての哲学は古くからあったとみなした。西洋の哲学の真髄を‘自立心’に見た福沢諭吉は、この点では中国よりも日本のほうが西洋に近く、結果として哲学にも近いと考えた。そして日本に文字通りに哲学を導入した西周は、哲学ということで‘実証哲学’を考えており、そのような哲学は中国にも日本にも未だないとみなした。こうして、日本と中国との足並みが揃いうるのは唯一、西の場合であって、事実、西は自ら造語した「哲学」を、日本と中国との共同作業を行うべき場にしようとしたのである。

(15)星野勉(法政大学[日本])/近世日本思想における儒教の位置
近世初頭に起きた仏法の王法への従属、徳川幕藩体制になって統治原理として活用された朱子学の導入、それら傾向への反発から、江戸時代の知識人たちが、儒教を変容させ、国学を登場させ、精神的に儒学を克服しようとしたことが示された。さらに儒教がそうである外来思想受容排斥の中で、「日本意識」が形成されたことが示された。

(16)上垣外憲一(大妻女子大学[日本])/東亜における「唯識三十頌」の翻訳
世親が著した唯識の思想を要約した30の偈頌で、玄奘三蔵が漢訳した「唯識三十頌」を対象に、漢訳された「唯識三十頌」が東アジアの諸国にどのように伝播し、現在に至るまでいかなる影響を与えているかを、三島由紀夫の小説『豊饒の海』やダライ・ラマの教義、ベトナム仏教などを参考にしながら検討した。

(17)鈴木聖子(東京大学[日本]/パリ第7大学ドゥニ・ディドロ[フランス])/田辺尚雄の「東洋音楽理論ノ科学的研究」:1920年代の日本音楽研究
音楽学者の田辺尚雄は、朝鮮、台湾、アイヌ、沖縄の各地で行った在来音楽の研究を通して「日本音楽の起源」の探求を行ったことで知られるが、その過程が詳しく検証された。田辺は、こうして日本の音楽の起源を求めるとともに、八重山での調査結果から新日本音楽運動に連なる創作活動にも取り組み、音楽を通した日本のアイデンティティの確立を試みたのである。

(18)宮本圭造(法政大学[日本])/能楽は日本固有の芸能か——能楽の起源をめぐる言説の変遷——
明治維新後に最大の支援者である幕府を失ったことで、能楽は衰退する可能性もあったのである。しかし、世阿弥の『風姿花伝』や江戸時代の儒学者たちがすでに行い、明治時代の久米邦武などがその後を追う「起源」に関する議論を通して、能楽は「日本意識の形成」や「アイデンティティの確立」に一定の役割を果たし続けてきたのである。その過程が詳しく考察された。

3 シンポジウムの成果と意義
日本はアジアの一員である。今回のシンポジウムでは、日本のアイデンティティの内でアジアが占めている比重の問題、あるいは反対に、アジアの中に日本をおいた場合の日本のアイデンティティの問題が、思想、歴史、文学、芸術、社会、政治など多様な側面で、しかも内外の立場から、詳しく検討されていった。日本のアイデンティティをめぐる議論がとかく参照枠も明示されずに、「日本人論」や「日本論」といった閉じた形でなされがちであるのに対して、今回はアジアを軸として置いての吟味が行われて、問題の明確化という点で、大変有意義なものであったといえよう。
それでも、日本のアイデンティティとアジア(東アジアに限っても)とは多様な関係を結んでおり、そこでも問題も複雑である。ここで仮の整理を行えば問題はたとえば以下の様にまとめられよう。(a)日本もその一員である東アジアの国々とどのような友好関係を、どのように創出していくのか、その創出力にこそ、日本のアイデンティティは発揮されていくであろうという問題(クライン)。(b)そもそもが文明の周縁に位置する日本文化のアイデンティティというのは、絶対的に独自であるという仕方では存在しえず、多くは他から学びつつ、比較的まれに他の側からの学びの対象ともなるという仕方でのみ存在するのであろうし、この後者の側面をこれまでどう生み出してきたのか、今後どう生み出していくのかという問題(湯、クライナー、大貫、井上、王、星野、上垣外、宮本)。(c)特に近代日本が西洋から全面的に学びつつ、他のアジアに対しては自身が学びの対象となるという捻れのなかで、アイデンティティはどういうものであり得たのか、あり得るのかという問題(ペルティエ、鈴村、川田、サボー、安孫子、川田、鈴木)。(d)さらに最近においては、他のアジアに対しても自身が学びの対象になるということが終息しつつあり、そのときアイデンティティはもはや位置付く場所を持たなくなるのではないかという問題(ゲ、ベルトン)。これらの問題に、今後さらなる検討を加え、未来につながる「日本意識」や「日本のアイデンティティ」の姿形を表出させていかなければならない。
以上の学術的成果に加えて、2011年から始まったストラスブール大学日本学専攻の大学院修士課程の学生による聴講が今回も行われ、3日間の会期中に延べ40人以上に達したことも付言しておきたい。修士課程の段階から、自らが専攻する日本研究という分野の最新の学問動向に触れることで、学ぶことに対する意欲形成が促進されることは有意義なことである。また、さらに、今回も日本研究に従事しない一般の方々の聴講があった。国際日本学シンポジウムは研究促進だけでなく、こうして研究活動の社会への還元という面でも、一定の役割を果たしえているのである。

【報告者:安孫子 信(法政大学国際日本学研究所所長・教授),鈴村裕輔(法政大学国際日本学研究所客員学術研究員)】

報告者:アンドレ・クライン氏(アルザス・ヨーロッパ日本学研究所[フランス])   

 報告者:井上亘氏(北京大学[中国])

報告者:宮本圭造氏(法政大学[日本]) 

質疑: フィリップ・ペルティエ氏(リュミエール・リヨン第2大学[フランス])

 

会場の様子

 

主な参加者による集合写真