・シンポジウム報告会 「江戸人の考えた日本の姿-世界の中の自分たち-」(2013.3.16-17)

「国際日本学の方法に基づく〈日本意識〉の再検討−〈日本意識〉の現在・過去・未来」
研究アプローチ(1) 〈日本意識〉の三角測量 – 未来へ

シンポジウム 江戸人の考えた日本の姿 −世界の中の自分たち−

 

開催期間 : 2013年3月16日(土)17日(日)

会   場 : 法政大学市ヶ谷キャンパス 外濠校舎4階S406教室

司   会 : 田中優子(法政大学教授)

延廣眞治 氏(東京大学名誉教授)による発表

 

このシンポジウムは、アプローチ1 2013年度研究の集大成としておこなわれた。本シンポジウムの特徴は展覧会との同時開催である。
3月16日(土)は、延廣眞治「本居宣長と舌耕文芸」で幕を開けた。延廣眞治氏は落語研究の第一人者である。講演では本居宣長の『在京日記』を取り上げた。宣長は京都で、落語の祖と言われる米沢彦八の噺を頻繁に聞いていた。四条河原で彦八が役者物真似をしたり、五〜六歳の少年が江戸万歳や軽業をするのを、宣長は見ている。また宣長は『新話録』で、後に落語に導入される多くの咄を記録している。これらは、『古今和歌集』の俗語訳である『古今集遠鏡』に生かされた。「大和心」は「漢意(からごころ)」に対する「真情(まごころ)」の意味であったが、宣長の考えの背後にはこのような、日本の俗語の世界があったのではないか、という問題提起である。
長島弘明「上田秋成の異国」は、その宣長と論争を展開した上田秋成に話が拡がった。『胆大小心録』には朝鮮通信使のことが記録されている。『霊語通』では、朝鮮人が話す日本語をが書かれている。実母の姉妹の連れ合いである樋口道与が、寛延元年の通信使の火薬事故のけがを治し、『韓客治験』という詳細な記録を残した。本居宣長と上田秋成の論争において、日本語の音は純正で外国語は不正な音だいう宣長に対し、「発音上の自然」という立場から秋成は反論した。また『呵刈葭』「日神論争」では、秋成は日神は日本の神話として考えればよい、と主張するのに対し、宣長は、世界の日神は日本で生まれたと主張した。この論争は、現代のグローバル化とインターナショナル化の違いに通じる普遍的な議論であったことがわかった。
川添裕「舶来動物からみえる異国・自国」は、「男女和合」が日本のキーワードであったことに言及した。幕末の見世物には「物珍しさ」や「驚き」「わかりやすさ」が求められていたので、多くの人々が共有していたポピュラーな文化表象が発見でき、異国や自国についての伝承も見いだせる。たとえば「攘夷」「神風」「神国」「除魔」「和合」などがそれであった。「イザナキ、イザナミの生人形」では、足下にセキレイがいる。これは「和合」の象徴であった。「和合」は明治以降の国家神道からは排除された。
この日の最後に、法学部の渡辺浩教授をまじえてディスカッションがおこなわれた。渡辺浩氏によって「夫婦別あり」という儒教の教えが日本では理解されず、「夫婦相和し」となったことが述べられた。日本では神道、儒教などと異なる「家」観念を軸とした生活の価値観が柱になっていたからだと思われる。「和合」問題の重要性が指摘された。また、秋成と宣長の論争のなかで、「江戸時代に文化相対主義があったのか」が議論された。
3月17日(日)は、安村敏信「中国を透かして見る江戸の軽みの正体」で始まった。中国南宋の牧谿が長谷川等伯、宗達に取り入れられ、宗達が牧谿の罔両画を達成し、没骨法を完成した。また、狩野永徳による巨木表現を、探幽は軽いものに変えてしまった。それらのなかから、日本独特の余白のある画面が成立した。清の沈南蘋の絵画も広く日本で受け容れられたが、南蘋派の日本人画家たちの絵画は平板で軽く柔らかいものになった。ヨーロッパの遠近法、陰影法を取り入れた中国絵画を導入しても、日本絵画は「深さ」とは無縁であった。この「軽さ」に、日本の特徴があるのではないか、ということが提起された。
板坂則子「曲亭馬琴ワールドの異国と異界」においては、曲亭馬琴の『椿説弓張月』が取り上げられた。この物語は、源為朝と白縫とのあいだに生まれた舜天丸が琉球を治めるという話だが、琉球は魔物が跋扈する国として描かれた。一方『南総里見八犬伝』では、江戸を取り囲む山中が異国ではなく異界として描かれた。『国姓爺合戦』『風流志道軒伝』『夢想兵衛胡蝶物語』など、江戸時代には遍歴譚によって諸国の像が作られていったことが述べられた。
横山泰子「怪物ではない<日本の私>」は、情報が日本の中に入り、図鑑、地図、地理書などが導入されたとき、その中には正確な情報もあったが怪物情報はとりわけ廃れなかったことに注目した。「怪物がいなくてよかった」「周辺諸国にも怪物はいない」という安心感を醸成していた可能性がある。
小林ふみ子「展示より/伝南畝『琉球年代記』刊行事情にみる日本と琉球」は、同時開催された展覧会に基づく問題提起であった。日本における空間概念は中華、近隣諸国、外夷に分かれていた。また「武の国」「和の国」「神の国」という複数の日本像に分かれていることが指摘された。
最後のディスカッションは、これまでの研究とこれからの研究について報告および展望が話し合われた。田中優子よりこれまでの研究が紹介された。大木康東京大学東洋文化研究所教授を中心に、「中華思想」「華夷秩序」について活発な議論があった。漢心(からごころ)批判や中国無視など、日本では常に中国が強く意識される。日本は外国を考えながら自己を定義している。中国は他との関係を考えずに自己完結的である。中華思想は、永遠に「夷」なるものを作り出すシステムで、地理的にフレキシブルである。「華」も中身が入れ替わる。日本にとっての「華」は中国から西欧、米国に変化した。「華」にいる者は自己完結的となり、「夷」にいるものは関係の中でしか自己を規程できない。日本を考えたとき、中華思想的な枠組みからいかに抜け出すか、という問題が突きつけられている。最後に、「裏と表」の研究が必要であることが板坂則子教授より提起された。
ディスカッションの結論としては、華夷秩序の構造研究とともに、草紙類や春画春本類に見られる華夷のあいだをほぐす裏の文化、笑いの文化、そして「和の国」イメージなどが、さらに研究すべき問題として浮かび上がってきた。

【記事執筆:田中優子(法政大学教授)】

 

 

長島弘明 氏(東京大学教授)による発表

川添裕氏(横浜国立大学教授)

安村敏信 氏(板橋区立美術館館長)

板坂則子 氏(専修大学教授)

ディスカッションにて左より : 小林ふみ子氏、横山泰子氏、大木康氏、田中優子氏