国際シンポジウム『国家アイデンティティと宗教』(2012.11.2-4)

法政大学国際日本学研究所「国際日本学の方法に基づく〈日本意識〉の再検討−〈日本意識〉の過去・現在・未来」
研究アプローチ(4) 〈日本意識〉の三角測量 – 未来へ」

2012年 アルザスシンポジウム
『国家アイデンティティと宗教』


日 時  2012年11月2日(金)- 4日(日)

会 場  アルザス欧州日本学研究所(CEEJA)

共 催  法政大学国際日本学研究所(HIJAS)

共催  フランス国立科学センター東アジア文明研究所(CRCAO)

共催  ストラスブール大学人文科学部日本学科

共催  アルザス欧州日本学研究所(CEEJA)

1 シンポジウム全体の概要
2005年パリで「日本学とは何か—ヨーロッパから見た日本研究、日本から見た日本研究」と題したシンポジウムを行なって以来、法政大学国際日本学研究所(HIJAS)は、ヨーロッパの日本学研究チーム(とくに現在のフランス東アジア文明研究センター(CRCAO))との共同開催で、年に1回、国際日本学シンポジウムを開催してきている。2012年も「国家アイデンティティと宗教」と題されたシンポジウムを、2007年以来の会場であるアルザス欧州日本学研究所(CEEJA)で、11月2日から4日まで実施した。
今回の主題「国家アイデンティティと宗教」は、HIJASの2010年以来5カ年の研究課題「国際日本学の方法に基づく<日本意識>の再検討−<日本意識>の過去・現在・未来」(文部科学省私立大学戦略的研究基盤形成支援事業採択)によるものであり、この主題の下で、日本内外の視点から、歴史、文化、思想、社会、政治などの諸層を通して、日本の国家アイデンティティを宗教がどのように規定してきたのかを徹底して検討する作業が行われた。
今回のシンポジウムでの報告者は、日本側から9名、欧州側から7名の、合計16名であった。各報告者の論題は以下Table 1の通りである。

クリックすると大きくなります

 

2 各発表の概要
今回の16人による報告の概要は以下の通りである。

(1)王敏(法政大学[日本])/日本の民間信仰における混成性:シルクロードと禹王信仰を事例として
日本の民間信仰の中に見られる中国文化の影響を、日本全国約50か所で確認されている、中国の夏王朝の創始者とされる禹を讃える禹王碑の事例、また、『西遊記』や『アラビアンナイト』に親しみ、作品の中でもそれらに言及している宮沢賢治の事例を通じて検討し、日本人の民間信仰が混成的で、他国の伝承にも開かれたものであることを示した。なお、この報告はスカイプを利用し、法政大学市ヶ谷キャンパスから行われた。

(2)ジョセフ・キブルツ(国立科学研究学院[フランス])/蓮華と菊・花と日本
国家と宗教とが結びついた決定的歴史的事例として、752年の東大寺の建立と1889年の大日本帝国憲法の発布とを、「蓮華」と「菊」というそれぞれのシンボルにも触れて取り上げ、日本における宗教の政治的役割を分析した。前者では聖武天皇によって、仏教による国家の統一が目指され、また後者では明治天皇によって、告文で皇道のあり方が示されたのである。

(3)マチェイ・カーネルト(アダム・ミツキェヴィチ大学[ポーランド])/無国家、無アイデンティティ、無宗教−8世紀の日本
「8世紀の日本における国家アイデンティティとは何か?」と「8世紀の日本における宗教の規制は日本独特の現象か?」という問いを、マイケル・マンの社会に関する分析の枠組みを用いながら考察し、「8世紀にはstateは存在したがnationは存在しなかった」と「国家による宗教の規制は日本独自のものではなかった」という結論を導いた。

(4) 高橋悠介(神奈川県立金沢文庫[日本])/国土観と神仏習合
1370年に作られ、2004年に発見された日本図を手掛かりに、当初は仏教者によって「辺境の小国」として認識されていた日本が、本地垂迹説により、「仏が神の姿を借りて治める偉大な国」として認識される過程が、資料に基づき検討された。

(5) マーク・トゥーエン(オスロ大学[ノルウェー])/江戸後期の武士による宗教と国家
明治時代に起きた廃仏毀釈運動の理論的な背景をなした江戸時代後半の書物『世事見聞録』(武陽隠士、1816年)を中心に、江戸時代における僧侶の社会的地位と、求められたあるべき姿がどのようなものであったかが考察された。

(6) フレデリック・ジラール(フランス国立極東学院[フランス])/鎌倉幕府の為に、新しい寺院の模範が要求された
曹洞宗で根強く支持された玄奘三蔵崇拝と鎌倉幕府の第三代将軍源実朝が見た自らの前世に関する夢の逸話を手掛かりに、13世紀になって日本で流行した禅宗が、中国の禅宗の伽藍の配置を手本に寺院の構造を決定するなど、「新しい時代の新しい宗教のあり方」を示すものであったことが確認された。

(7) ジャン=ピエール・ベルトン(社会科学高等研究院日本研究所[フランス])/ナショナル・アイデンティティを通して見た新宗教
「疑似宗教」、「淫祠邪教」と見なされやすい日本の新宗教あるいは新新宗教を対象に、当初は反政府、あるいは反文明として出発しながら、日本の文明や伝統の保持を掲げる保守的な傾向へと変化している現状、他方で、「日本的なもの」を含んでいるにもかかわらず一部の新宗教や新新宗教が外国でも受け入れられている現状が、それぞれ分析された。

(8) 内原英聡(法政大学[日本])/八重山の御嶽信仰−近世琉球・先島大津波の前後を事例として
1771年に起きた先島大津波を対象に、琉球王府による民間信仰への対応が規制から解放へと至る過程が検証され、さらに、沖縄における民間信仰の重要な形態である御嶽進行を事例とし、信仰と祭祀の関係、すなわち信仰における「かたち」と「こころ」の関係が吟味され、「かたち」が変化すれば、祭祀を取り巻く人間の生活そのものが変化し、「こころ」も変化していくことが示された。

(9) ヨーゼフ・クライナー(法政大学[日本])/琉球王国の宗教体制
沖縄における民間信仰と琉球王府における正統的な信仰のあり方とが、女司祭であるノロの位置付けやニライカナイ、オボツカグラの概念を手掛かりに検討され、村における信仰の実際と王国における信仰の形態とが対比的に明らかにされた。これに加えて、現代の沖縄における信仰の様式も考察された。

(10) フレデリック・ルシーニュ(リヨン大学[フランス])/民俗学は日本のアイデンティティについて何を語るか−名越町のオコナイ行事を事例に
滋賀県長浜市名越町の伝統行事である行内に関する調査結果が紹介され、そこでは、宗教的心性が地域の習俗、家の伝統、個人の信仰の各レベルで別々に、しかもからみ合って存在していることが示された。加えて、日本の民俗学、とりわけ柳田民俗学についての研究のフランスにおける蓄積や動向が紹介された。

(11) 坂本勝(法政大学[日本])/記紀神話の自然観
『古事記』及び『日本書紀』を対象に、上代語における「もの」の観念と、そこに現れた、天孫降臨以前には「荒ぶる自然」の象徴となり、天孫降臨以降には「都市と国家を襲う霊威」として考えられた「「もの」のざわめき」のあり方が、日本人の宗教的心性の起源にあるものとして、実証的に検討された。

(12) 川田順造(神奈川大学/法政大学[日本])/人を神に祀る風習:日本のアイデンティティを考える手がかりとして
東南アジアや欧州の一部にも類似する習慣があるものの、日本ではその数が著しく多い「人を神として祀る」という風習が、数多くの実例に即して検討された。加えて、明治時代までは天皇家と仏教の結びつきが強かったことが確認された。

(13) 鈴村裕輔(法政大学[日本])/清沢満之の真俗二諦論批判
真宗大谷派の僧侶で哲学者であった清沢満之が、教団内で主流となっていた、現世での価値基準に従う俗諦と信仰上の価値基準である真諦とを区別する「真俗二諦論」に対して行った批判を検討し、清沢にとっては、俗諦と真諦とは並行的に存在するのではなく、俗諦が終わったところが真諦の出発点となることが示された。

(14) ディディエ・デーヴァン(国立科学研究学院東アジア文明研究所[フランス])/趣味から自己定義へ:日本に於ける禅の位置の考察
欧米において日本の信仰の代表例として考えられている禅について、禅宗の発祥の地である中国では宗教であった禅が、日本では宗教というより生活実践として広まったこと、そして、欧米が受け入れた禅も、宗教としてというより、生き方の指針を得る方法としての日本の禅であったことが示された。

(15) 安孫子信(法政大学[日本])/近代国家と宗教−西周(1829-97)の宗教観
「哲学」という言葉を生み出した西周を対象に、オーギュスト・コントの哲学に依拠して自らの学問の体系を築き挙げた西が宗教をどのように捉えていたかを検討し、信教の自由と法への服従を要求するとともに、天皇制を擁護しつつも神権的な政治体制を批判していたことが明らかにされた。

(16) 星野勉(法政大学[日本])/無常−日本の風土と宗教意識−
「無常」という概念を手掛かりに、風土と国民性、風土と宗教の関係を検討し、「詠嘆的な無常感が道元によって抽象的な面が捨象され、さらに世俗化することで茶の湯や剣術などが「道」へと展開する契機をなす」という、仏教における無常の概念の日本化の過程が確認された。

以上の各発表の後には質疑応答が続き、また各日とも、全発表終了後には全体討議が行われて、いずれにおいても活発な議論が交わされた。とくに全体討議では以下のような問題が新たに出された。「外来の宗教の土着化の過程」、「‘日本の宗教’や‘日本人の宗教’が外国でも受け入れられる背景」、「宗教における心と国家との関係」、「アジアやアフリカで一般現象である、西洋が進出した19世紀後半以降の新興宗教の多発生の理由」、「仏教が伝来する以前にも認められうる日本人の‘はかなさ’の感情の起源」、「伝来時の仏教が日本人の内面に与えた影響」、「日本における‘人を祀る’と‘ものを祀る’との関係」、「日本本土と沖縄における死者に対する時間的な感覚の相違の問題」、「地理的な国土と宗教のあり方の関係」。これら事項は、今後検討すべき課題となろう。

2 シンポジウムの成果と意義
日本の国家アイデンティティと宗教の問題が、こうして、哲学、歴史学、文学、人類学、社会学、政治学などの多様な観点から、しかも日本の内外の立場から考察されたことは、意義深いことであった。しばしば日本における宗教と政治をめぐる議論が、「国家神道と戦争」や「靖国問題」といった点に限定されがちであることに鑑みるなら、分析の手法の多様性と議論の多層性という点で、問題自身の客観化に、今回のシンポジウムは多大な意義を持つものであったと言えるであろう。
その上で今回のシンポジウムが指し示す、日本における、そして、日本人における宗教の一般像を、敢えて描き出すとすれば、一方で、精緻に体系化され国家や政治の制度と固く結びついていくということもなく、また他方で、個の心や内面性に絶対的に位置づくということもなく、習合現象に見られるように、社会習俗的な場所に絶えず向かっていく傾向にある、といったことになるであろう。こうして、日本で宗教は政治的存在ではない。しかし、そうではないとしても、それはきわめて社会的な存在である。その限りで宗教は、日本のアイデンティティと分かちがたく結ばれたものと言い得るのである。ただ、さらに付言すれば、この宗教的習俗の場所は混成的で、外国からのものもそこには多く流れ込んできているのである。宗教から見た日本のアイデンティティは、こうしてまた、閉じたアイデンティティでもないのである。

以上、学術的成果について一言申し述べたが、これに加えて、昨年から始まったストラスブール大学の日本学専攻の大学院生による聴講が、今回は学部生にも拡大され、3日間の会期中に延べ20人以上の学生が会場を訪れたことも付言しておきたい。学部生の段階から、自らが専攻する日本研究という分野の最新の学問動向に触れることで、学ぶことに対する意欲形成が促進されることは有意義なことである。さらに、今回も現地に在住する、研究者ではない一般の方々からも、聴講参加者を得た。国際日本学シンポジウムは研究促進だけでなく、こうして研究活動の社会への還元という面でも、一定の役割を果たしえているのである。

【報告者:安孫子 信(法政大学国際日本学研究所所長・教授)
鈴村裕輔(法政大学国際日本学研究所客員学術研究員)】

会場の様子

挨拶:福田 好朗 理事(法政大学)

王 敏 教授(法政大学)

マチェイ カーネルト教授
(アダム ミツキェヴィチ大学[ポーランド])

左から:高橋 悠介 氏(神奈川県立金沢文庫)、
左から:ジョセフ キブルツ 教授
左から:(国立科学研究学院[フランス])、
左から:安孫子 信 所長(法政大学)

鈴村 裕輔 氏(法政大学)

主な参加者による集合写真