シェリー・ブラント氏勉強会『歌でつなごう』(2012.7.5)

法政大学国際日本学研究所 文部科学省戦略的研究基盤形成支援事業

「国際日本学の方法に基づく〈日本意識〉の再検討−〈日本意識〉の現在・過去・未来」
研究アプローチ(4) 〈日本意識〉の三角測量 – 未来へ」

2012年度 第1回勉強会
歌でつなごう
—NHK紅白歌合戦における国民の上演—


 

  • 日  時 2012年7月5日(木)18:30〜20:30
  • 会  場  法政大学市ヶ谷キャンパス58年館2階 国際日本学研究所セミナー室
  • 講  師  シェリー ブラント (ロイヤルメルボルン工科大学)
  • 通  訳  パット サベジ ( 東京藝術大学)
  • 司  会  安孫子 信 (法政大学国際日本学研究所所長・文学部教授)

左から:サベジ氏(通訳)、ブラント氏、安孫子所長

講義の様子

会場の様子

去る2012年7月5日(木)、18時30分から20時40分にかけて、法政大学国際日本学研究所セミナー室において、法政大学国際日本学研究所(HIJAS)の「国際日本学の方法に基づく<日本意識>の再検討—<日本意識>の過去・現在・未来」プロジェクト・アプローチ(4)「<日本意識>の三角測量—未来へ」の2012年度第1回勉強会が開催された。今回は、ロイヤルメルボルン工科大学専任講師のシェリー・ブラント氏を迎え、「「歌でつなごう—NHK紅白歌合戦における国民の上演—」と題して行われた。報告と質疑応答は英語で行われ、司会はHIJAS所長で法政大学文学部の安孫子信教授、通訳は東京藝術大学のパット・サベジ氏が務めた。報告の概要は以下の通りである。

敗戦後の日本に文化的なアイデンティティを確立しようと考えたプロデューサーの近藤積は、1945年12月31日にラジオ番組「紅白音楽試合」を制作した。「スポーツ」、「セックス」、「スリル」の「3つのS」を取り入れた番組作りを目指した近藤は、自身が愛好した剣道の紅白試合を手本に、男女が別の組に分かれて対抗するという形式を採用した。「紅白音楽試合」の放送は1945年の一回のみで終わったが、その後継番組として、1951年に男女対抗の形式を踏襲した「NHK紅白歌合戦」(以下、紅白歌合戦)の放送が始まった。当初、紅白歌合戦は正月のラジオ番組として放送されたが、第4回(1953年)から放送日が大晦日に移行するとともにテレビ中継が始まり、第7回(1956年)からは東京宝塚劇場、第24回(1973年)からはNHKホールを舞台とし、現在に至っている。
紅白歌合戦は様々な角度からの分析と考察が可能である。そこで、今回は、「国民の形成」(Nation-building)、「うわべだけの親密さ」(Quasi-intimacy)、「パフォーミングコミュニティ」(Performing Community)の3つの点を手掛かりにNHKが紅白歌合戦で用いている戦略を分析した。
まず、「国民の形成」とは、大晦日という日本にとって大きな意味を持つ日に、「日本のふるさと」、「日本の多様さ」を示す映像によって内部的なエキゾチシズムを醸成するとともに、「日本らしさ」をも強調し、結果的に、視聴者に「離れていても一緒にいる」という一体感、「自分は日本人の一人だ」と思わせる戦略である。
次に、「うわべだけの親密さ」とは、歌手と観客とを結びつけ、親しみの感情を抱かせるためにテレビやラジオでの放送が力を持っているものの、観客が歌手と間近に接することは例外的であるため、抱かれた親しみの感情は仮想性の域を出ない、ということを示す。しかし、その仮想的な親しみの感情こそが、紅白歌合戦の性格を規定しているともいえる。
第三の「パフォーミングコミュニティ」とは、紅白歌合戦に毎年様々なコミュニティに属する歌手が出演する(performing)だけでなく、視聴者に「自分は国民の一人である」という感情を作り出させ、保持させ、それによって視聴者のアイデンティティの構築に働きかける(performing)という、紅白歌合戦の2つの戦略を表している。
このような3つの戦略は、美空ひばりとジェロという二人の歌手を通して具体的に理解される。すなわち、第5回(1954年)から第23回(1972年)まで連続出場し、各組の出場歌手の中で最後に歌唱する「トリ」を13回務めて「トリ」の重要性を確立するなど、美空ひばりは「紅白歌合戦の女王」ともいうべき歌手であった。しかし、暴力団との交際を理由に第24回の出場を辞退して以来、NHKとの関係は冷却化した。だが、1989年に死去すると、没後5年(第45回[1994年])、17回忌(第56回[2005])といった年忌、第50回(1999年)といった紅白歌合戦の節目の年に美空ひばりの曲を出場歌手が歌い、NHKは美空ひばりが紅白歌合戦にとって特別な歌手であることを示している。さらに、第58回(2007年)には小椋桂が美空ひばりの合成画面とのデュエットにより「愛燦燦」を歌い、美空ひばりの神格化とNHKとの関係の完全な回復を印象付けた。このように、NHKは美空ひばりを過去の紅白歌合戦の栄光の象徴、あるいは大いなる遺産として最大限活用しているのである。一方、2008年にデビュー1年目で紅白歌合戦に出場したジェロは、NHKの国際戦略と、紅白歌合戦が現在から未来へと生き延びるための戦略の一環として用いられている。すなわち、「米兵と結婚した祖母」と「紅白に出る、というおばあちゃんとの約束を果たした孫」というジェロと母方の祖母の関係を強調することで、NHKは演歌を「ふるさとのこころを表す歌」とし、紅白歌合戦に世代を超えた繋がりを提供する場という性格を与えようとしたのである。
以上のような分析から、例えば美空ひばりという故人の偶像化を進めることと、ジェロが象徴する「外国出身のスターの日本化」という戦略を進めることで、理想化された存在によって「理想化された日本」を視聴者にもたらし、「失われ、戻れない過去」や「なつかしいふるさと」といった要素と番組を結び付けることで、NHKは、紅白歌合戦を「ひとつの日本」を演出するための道具として用いているといえるだろう。

多くの日本人にとって当たり前ともいえる「大晦日に放映される紅白歌合戦」を対象に、そこに秘められたNHKの戦略を読み解く作業は、大衆文化の意味の再発見という域に止まらない、実験的な取り組みといえる。そして、こうした試みは、国際日本学という研究の研究対象を広げるという点でも、意義のあることであると考えられた。

【記事執筆:鈴村裕輔(法政大学国際日本学研究所客員学術研究員)】