ワークショップ「江戸時代におけるナショナリズムの表現」(2009.9.9-10)
法政大学国際日本学研究所主催
法政大学競争的資金獲得研究「世界における江戸学の現在–18世紀を中心に」
ワークショップ
「江戸時代におけるナショナリズムの表現」
日時 9月9日(水)、10日(木)
10:00〜18:00 問題提起と質疑応答・議論
18:00〜21:00 ディスカッションと懇親
場所 法政大学市ケ谷キャンパス ボアソナード・タワー 25階B会議室
報告者 田中優子、小秋元段、横山泰子、小林ふみ子(法政大学)、
山本丈志(秋田県立美術館)、奈良林愛(岩波書店)、
崔官(韓国・高麗大学)、黄智暉(台湾・東呉大学)、
マルコ・ゴッタルド(コロンビア大学)、李忠澔(東京大学)、
韓京子(韓国・壇国大学)
テーマ ワークショップ「江戸時代におけるナショナリズムの表現」
司会 田中 優子(法政大学社会学部教授)
2009年9月9日と10日の両日、法政大学において、ワークショップ「江戸時代におけるナショナリズムの表現」を開催した。これは法政大学競争的資金獲得助成金を得た「世界における江戸学の現在——18世紀を中心に」の一環としておこなわれたものである。
18世紀の大衆文化ではどのような「日本意識」が胚胎されたかを探るワークショップであった。この時期は中国・欧州から多大な影響を受け、その中で新しい「日本的」なる表現や、複数文化圏を混合した独特な表現が作り出された。その結果「日本」を強調する表現も現れ、一方で国学が発生・発展した。この研究ではテキストや絵画や図版を使い、それがどのような日本意識であったかを考えると同時に、そのような作品をめぐる近現代の言説に内在してきたナショナリズムをも対象化した。
発表は田中優子「張り抜きの富士」、小秋元段「活字版の淵源をめぐる諸問題」、横山泰子「玉藻前をめぐるエキゾチズムとナショナリズム」、韓京子「近松の浄瑠璃にあらわれた日本優越意識」、黄智暉「曲亭馬琴の対外意識」、小林ふみ子「こいつはニッポン—江戸戯作の日本自慢」、李忠ホ「近世文学における楠正成の受容」、奈良林愛「近世人から見た外国語、外国語から見た日本語」、マルコ・ゴッタルド「江戸時代の一般民衆の国家空間意識の形成における旅の役割」、山本丈志「秋田蘭画をめぐる、未着手の文化的背景」、崔官「18世紀をとらえる観点」である。
このように日本、韓国、中国、台湾、イタリアの近世文学・文化研究者が集まり、各方面からの発表と討論をおこなったのである。その過程で、次の課題が浮かび上がってきた。
1、作品に登場する「日本」意識やその表現は後のナショナリズムとは異なり、大量に 入ってきた中国文化や欧州文化の中で生まれた、地域としての日本の特性の発見ではないかと思われる。
2、「日本」意識は、笑いの対象でもあり、非常に多様で豊かな形と意味とニュアンスをもって現れる。
3、外国語習得の必要に迫られるなかで、日本語の特性の発見もあった。実際的な外部への対応が日本意識醸成の契機だったのである。同時に言葉への 意識は江戸語および国内の諸語への意識を生み出し、それが戯作にも反映された。
4、富士山イメージに象徴されるように、今日「日本的」とされるものが近世当時では地域を象徴するものでもあった。地域意識と日本意識とが明確には分離できない形で存在し、そこに日本 意識がアジア圏内での地域アイデンティティの一種として存在した可能性が見える。
5、秋田蘭画に代表される絵画や陶磁器などの変化は、日本文化のイノベーションとして出現した。そこには日本「意識」でなく、日本の「手法」「方法」の発見が見える。
以上のことから今後、近世における「表現された日本意識」「新しく出現した日本的方法」「アジアの中の地域としての日本」という3本の柱を立て、さらなる研究をすすめるつもりである。これらの研究は、いわゆる「日本らしさ」を軸とする日本像を超えて、さらに多様な日本文化を示し、日本の将来像を提起するであろう。とりわけ東アジアの全体の中で、この多様性と可能性の提起は重要なものになる。
【記事執筆:田中 優子(法政大学社会学部教授)】