アルザスシンポジウム「日本文化の中の天皇―天皇とは何か?」(2008.10.30~11.1)

学術フロンティア・サブプロジェクト1     異文化研究としての「国際日本学」の構築
アルザスシンポジウム「日本文化の中の天皇—天皇とは?」

 

・主 催::フランス国立科学研究学院(UMR8155)ストラスブール・マールブロック大学日本学部
主 催 :法政大学国際日本学研究所

・日 時: 2008年10月30日(木)〜11月1日(土)

・場 所: アルザス欧州日本学研究所[CEEJA] (フランス・キーンツハイム)

 

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会場の様子

 

国際日本学研究所が主催する「国際日本学」を掲げた国際シンポジウムは,2005年のパリ・シンポジウムから始めて,今回で4回目を数える。日本と日本文化とを内外の二つの視点から同時に照射し,そこにこれまでにない立体的な視像を得ていこうという国際日本学の試みは,これまでは,そのような方法論から生じるであろう原理的・理論的な問題をそのものとして問うことで展開されてきた(「国際日本学とは何か」2005年,「ことばとことばを越えるもの」2006年,「翻訳不可能性」2007年)。そのような基礎作業を踏まえて,国際日本学の方法論を具体的に適用することの第一弾として,「日本文化の中の天皇—天皇とは?」をテーマに行われたのが2008年アルザス・シンポジウムであった。

日本の社会や政治を論じる際に,天皇や天皇制を語らずに済ますことは無論できない。他方で,日本の文化を比較的狭く論じる際にも,天皇および天皇制との関わりを無視することは恐らくできないのである。日本文化は,それが産みだしたものの多くで,天皇および天皇制を様々に扱ってきたし,また天皇および天皇制は,日本の文化が何かを産みだす作業そのものに,潜在的に,様々な影響を与え続けてきたのである。日本の文化的産出力の行く末が世界基準できびしく問われている今日,「日本の文化が文化であること,また文化であり続けていることに,これまで天皇および天皇制はどんな役割を果たしてきたのか,また今後どんな役割を果たしうるのか」をあらためて問うことは無意味ではないのである。

しかも,日本の特殊性のいわば象徴ともされている天皇および天皇制の問題は,内外からの視点をすり合わせる,いわば試金石の位置を占めるものとも言いえよう。天皇および天皇制についての内からの視点に関して言えば,そこで語られることがどこまで客観的・普遍的なものとなりえているかが常に問われうる。他方,外からの視点に関して言えば,そこで語られることがどこまで問題の特殊性に達しえているのかがやはり常に問われうる。

このような問題のむずかしさ,重さに鑑みて,今回はシンポジウムに先立ち3回の勉強会も執り行った。勉強会の個別の報告は別ページでなされているのでここではこれ以上立ち入らないが,それぞれの回に日本史の専門家にお越しいただき,歴史的に見た場合の日本の天皇・天皇制の特徴について,詳しくレクチャーをしていただいた。3回のテーマと講師は以下である.1.2008年6月14日「中世における天皇について」(法政大学 河内祥輔氏),2.2008年7月12日「「王権」研究の現状」(専修大学 荒木敏夫氏),3.2008年9月27日「二つの「密教」と二つの「顕教」−日本憲政史の中の天皇」(東京大学 坂野潤治氏)

さてこのような準備も経ての3日間のアルザス・シンポジウムでは,日本(法政)から参加の8名(小口雅史,王敏,田中優子,ジョゼフ・クライナー,相良匡俊,安孫子信,星野勉,市村弘正)とヨーロッパから参加の7名(Francois MACE[パリINALCO],Bernard SCHEID[オーストリア科学アカデミー],Andre KLEIN[アルザスCEEJA],John BREEN[京都日文研],Josef KYBURZ[パリCNRS],Sepp LINHART[ウィーン大学],Eric SEIZELET[パリ・ディドロ大学])の計15名が研究発表を行い,また各発表後には参加者間で,またフロアーの聴講者も交えて,活発な議論が展開された。

見開きに掲載のプログラムを参照していただきたいが,発表の大まかな内訳を述べれば,時代的には,主に古代天皇・天皇制を扱った発表が2編(小口,MACE),江戸時代のそれを扱ったものが1編(田中),明治の天皇・天皇制を扱ったものが3編(相良,BREEN,安孫子),明治以降昭和までの諸天皇を扱ったものが3編(王,KYBURZ,LINHART),昭和の天皇・天皇制を扱ったものが3編(星野,市村,SEIZELET),通史的であったものが1編(SCHEID),他の王政との比較を行ったものが2編(KREINER, KLEIN)であった。またベースにしている学問領域も多様で,明確な線引きはむずかしいものの,歴史学に基づくものが6編(小口,MACE,KLEIN,相良,BREEN,SEIZELET)、文学に基づくものが2編(田中,王)、社会学に基づくものが1編(LINHARD)、思想史・哲学に基づくものが4編(SCHEID,安孫子,星野,市村)、人類学に基づくものが2編(KREINER,KYBURZ)と一応区分されよう。以上に加えて,発表と討議の言語も多様で,日本語,英語にフランス語が入り混じるといった状態でシンポジウムは進行されていった。

このような細部の報告をするのは,このようなことが,国際日本学の現在の到達点を,具体的に,かつ積極的に示していると考えるからである。これだけ多様な視点やベースから出発し,これだけ多様なテーマを通して,天皇・天皇制が3日間徹底して論じられたのである.そのことで,参加者はほぼ全員がいわば思いがけない仕方で学問的な視野を拡大させ,考察を深化させえたと言いえる。そのことの意味は大きいし,それの成果は各参加者がそれぞれの場所で,近い将来に必ず公にしていくであろう。国際日本学研究所としては,今後は,事前の準備も含めて,このような国際的かつ学際的な学問的エンカウンターの場設定の精度を高め,そのような成果がこのような場で直に,目に見える形で得られるよう,工夫と努力を重ねていきたい。

さて,このような多様な発表が押しなべて扱ったのは,もちろん天皇・天皇制の問題であるが,さらに言えば,それの,現実的(政治的)でありながら,また同時に独特な仕方で聖的(文化的・宗教的)であるという二重の性格である.この面で具体的な議論の簡単な紹介を行えば,以下のようになる。

1.中国皇帝に関するものとの比較で,日本の天皇に関する律令規定を読み解き,日本の天皇に,役割としての神聖性がどこでどのように賦与されていったか,その過程を明らかにしようとしたもの(小口)や,日本の天皇の聖俗の二面性の成立を天武朝の事跡全般の検討を通じて再確認しようとしたものがあった(MACE)。

2.江戸時代の天皇の存続がやはりその二重性のもとにあったと指摘し,「直し」と呼ばれたその際の神聖性の内実がどのようなものかを明らかにしようとしたものがあった(田中)。

3.天皇の神聖性は決して宗教とはならずに一貫して儀式的なものにとどまり続けたとし,それに相応する,神道における,文化的伝統の担い手を自認はするが宗教へは向かわない傾向の確認を行ったものがあった(SCHEID)。

4.日本の天皇の神聖性の特徴を,神聖ローマ帝国皇帝のそれ(KLEIN),また,沖縄王朝王のそれ(KREINER)と比較検討したものがあった。

5.明治天皇の神聖性の確立維持にイメージ(写真・絵)がどのような貢献をなしたか(相良),また逆に,外国(特に戦争相手国)では同じイメージ(絵葉書)が日本の明治以降の天皇の神聖性破壊にどう貢献したか(LINHARD)を,実例で説明したものがあった。

6.明治天皇の内外での神聖性の確立に勲章制度が果たした役割を明らかにしたもの(BREEN),また,お印という制度が日本の天皇に,きわめて独特な神聖性を与えていると指摘したものがあった(王)。

7.神聖性の陰で,それでは天皇の身体・身体性はどう見られ,どう語られてきたかを,明治以降昭和に至るまでの3人の天皇に関して,明らかにしようとしたものがあった(KYBURZ)。

8.それ自身一つの神聖性とも言いえる新憲法での象徴天皇規定が,どのような政治的力関係の下で,どのような過程で導入されるに至ったのかを明らかにしようとしたものがあった(SEIZELET)。

9.たとえば西周(安孫子)や和辻哲郎(星野),さらに丸山真男・藤田省三(市村)といった明治以降現代に至るまでの哲学・思想の主だった担い手たちが,天皇,とくに天皇の神聖性と思想的にどのように戦い,しかしどのように折り合っていったかを吟味したものがあった。

以上の発表は近刊のシンポジウム「報告集」に全文収録の予定である.詳しい議論はそこで確認していただくことができる。今回のアルザス・シンポジウムは,天皇・天皇制問題の大きさと複雑さ,にもかかわらず,国際日本学の方法論の力強さと有効性とを再認識させてくれるものであったと考える。

【記事執筆:安孫子 信(法政大学国際日本学研究所所長、文学部教授)】