【開催報告】国際日本学研究所-新しい「国際日本学」を目指して(5)米・舎利・宝珠-中世日本の密教における米粒のエージェンシーとネットワーク(2018年11月7日)2018/11/22
■日時:2018年11月7日(水)17:00~19:00
■会場:法政大学市ヶ谷キャンパスボアソナード・タワー19階D会議室
■報告者:スティーブン・トレンソン(早稲田大学国際学術院准教授)
■コメンテーター:高橋 悠介(法政大学国際日本学研究所客員所員,慶應義塾大学附属研究所斯道文庫准教授)
■司会:小口 雅史(法政大学国際日本学研究所所長・文学部教授)
【実施報告書】
中世日本の仏教では、米または籾をめぐってほかのアジア仏教の地域に見当たらない独特な信仰が流布されていた。インドまたは中国の仏教においては米が仏舎利と結びつけられていて、宗教的に重要な意義を持っていたが、仏典などを通じて日本にも伝わったこの信仰は、興味深い発展を遂げていた。たとえば、中世日本の密教では籾が木造の小塔に納入され、あるいは舎利法において舎利に代わって本尊として据えられていた。この場合の米の宗教的使用は仏典の教義に基づいていて、大陸の仏教にルーツを持っている現象であるが、その新規的作法からは、中世日本における米への注意の高まりがうかがえる。さらに、同じく舎利・米の信仰に踏襲しつつも、中世日本では仏典に還元できない奇妙な宗教形態が見られる。その中では、飯を構成要素の一つとする“仏供塔”、鉢に飯を盛って舎利と瞑想する“飯鉢観”、あるいは“淫籾”、つまり、淫をなして衆生の生命を存続させる籾の概念、または筆者が仮に“籾珠”と呼びたい中世神道の神宝が特に注目される。
本報告では、以上の日本独特の米・舎利信仰を解明し、それぞれの信仰がおそらく孤立しているのではなく、一つの思想的体系を形成していたと論じた。そして、各自の信仰のルーツを大陸の仏教に辿りつけられても、本報告で論じた思想的体系そのものが日本宗教固有のものとして評価できると提示した。また、本報告では米の“エージェンシー”にも注意した。それは米または籾が“アクター”として、つまり、複雑な観念的ネットワークの一つのノードとして多くの中世日本特有の信仰を生み出す力を秘めるものであるとともに、ほかのノード(観念)をも含有していたものであったという発想である。そのような“米”は、華厳仏教の因陀羅網の宝玉のように多くの概念や信仰を含みながら独特な信仰を生成させて、中世日本宗教の特殊性を代表する“玉”の一つであると言える。
報告後に司会・小口先生とコメンテーター・高橋先生をはじめ多くの参加者の方々と活発的な議論が行われた。時間制限のために十分に対応し展開させることができなかったが、重要な指摘をされ、今後の中世日本宗教学の一つの指針となるべきところがある。議論の最も重要な論点をまとめれば次の通りである。まずは、米・舎利・宝珠の信仰と言えば、祈雨法や龍神信仰の歴史的ネットワークが重要な課題となってくるが、高橋先生は、法隆寺関係の中世資料に農業や稲妻(龍神)を連ねる言説が見え、その重要性を裏付けているという建設的な意見を述べた。また、報告者は『倶舎論』の内容の改変によって淫をして生命を存続させる籾の信仰が生じ、その影響で、釈迦如来の遺骨(舎利)が父母の赤白二滴の混淆物から成長したという信仰も展開したと論じたが、高橋先生より、それに似たような信仰が中世神祇書にもイザナギ・イザナミについて散見され、より幅広い範囲に影響力を及ぼした信仰だったという指摘があった。また、ある参加者の先生から次のコメントがあった。報告者は、舎利と宝珠の結びつきがおそらく中国で初めて重要な信仰となったという意見であるが、その意見に対して、その意見を取るならば中国における道教の内丹の文化を見逃してはいけないという重要な指摘をいただいた。さらに、中世日本の米信仰の“出口”をも考慮に入れるべきで、その辺りについて、平田篤胤などの書物や近世の農学書が重要な課題かもしれないという意見もいただいた。つづいて、ほかの参加者の先生は、米飯で仏塔を作る習慣が現在でもスリランカで行われているという事実に注意すべきであると述べた。最後に、司会・小口先生は、中世の十種神宝の裏に籾の信仰が潜んでいるという説を取る場合、死という概念と結びついている「死(反)玉」と生命の源である「籾」の関係をどう見るべきかという問題に注目させた。以上のコメントは、いずれも貴重な指摘であり、今後、より広い範囲で米の信仰を考察すべきであることを明らかにしている。報告者は、上記のコメントについてすでにある程度まで考察したことがあっても、まだ十分に検討することができず、今後の課題にしたいという気持ちが強い。だが、一人の研究者の視点のみで解決しきれない問題であると痛感しており、共同研究という形で取り組まないといけないとも感じた。
最後に、本報告の中心的な問題であった“ネットワーク”と“エージェンシー”についてであるが、参加者の先生方からの質問から、その点についての発表者の論が不十分だと分かった。そもそも、“ネットワーク”と“エージェンシー”は斬新な理論で、今後多くの新しい視点を開くだろうと予想するが、かなり複雑な理論であり、複数の見方やアプローチを可能にしている。報告者はその問題をやや単純化させて、歴史的なネットワークと概念・信仰上のネットワークの二つを構想し、その二つのネットワークが絶えず交差しており、研究者がある文化的現象を考察する時、この二つのネットワークの動きや変遷に注意すべきであろうという意見である。しかし、それがそれだけで十分なのか、あるいはどこまで成果を得られるのかについては疑問である。ただ、このような視点は、とにかく日本文化の特殊性がどこにあるのかという問題を考える場合には重要であるかもしれない。本発表でも明らかになったように、中世日本で形成した米や籾の信仰の多くの側面がそれぞれインドや中国の宗教まで遡るということは事実である。日本とインドや中国の宗教との思想的連綿さを意識することが大事である。と同時に、インドまで遡及する歴史的なネットワークを経て日本に流入した各自の思想や信仰は、中世日本では、独特な概念・信仰上のネットワークの中で独自な歴史的ネットワークの時間的進展とともに展開していたのである。その中世日本の概念・信仰上のネットワークにおけるノードの構成やコンフィグレーションはとにかくインドや中国宗教のそれと異なるもので、それこそ中世日本の米信仰の特殊性を意味しているのではないか。ただ、その概念・信仰上のネットワークにおける一つのノード(概念・信仰)に絞ってほかのノードから切り離して論じる場合、時々そのノードがほかの文化圏にも存在することが分かってしまう。それは諸文化圏の間の連綿さを認識する上で大変重要なことであるが、それと同時に、そのノードがたとえば中世日本の場合、異なる構成やコンフィグレーションを見せる独特な概念上のネットワークの中に位置を持っていたということも忘れてはいけないと考える。これもかなり複雑な問題であるが、今後、国際化が進展する今日、各地域の連綿さと独自性を論じる場合には重要な課題の一つであろう。
【記事執筆:スティーブン・トレンソン(早稲田大学国際学術院准教授)
報告者:スティーブン・トレンソン
コメンテーター:高橋 悠介
司会:小口 雅史