【開催報告】2014年度第8回東アジア文化研究会(2014.12.17)報告記事を掲載しました2014/12/26

「国際日本学の方法に基づく<日本意識>の再検討−<日本意識>の過去・現在・未来」
研究アプローチ(3)「<日本意識>の現在−東アジアから」
2014年度 第8回東アジア文化研究会
     
再考・世界史の中の幕末・維新
日 時: 2014年12月17日(水)18時30分〜20時30分場 所: 法政大学市ヶ谷キャンパス58年館2階
国際日本学研究所セミナー室

報 告: 南塚 信吾(法政大学国際文化学部 名誉教授)

司 会: 王 敏 (法政大学国際日本学研究所専任所員、教授)

 「日本史」「世界史」という二分法で描かれる幕末・維新期は説得的ではない。幕末・維新は世界史そのものの一部として論ずる必要がある。ここでは、いわば「ゴム風船」のように、《世界のどこかの部分で緊張が高まれば、ほかの部分で緊張が緩和される》という関係を意識しながら、考えてみたい。
18世紀の末において、産業革命はイギリス内在的にではなく、世界的関係の中でアジアからの「挑戦」を受けて生じた。この産業革命のための政治的条件の準備がフランス革命に代表される「ブルジョワ革命」であった。こうして19世紀の初めの数十年に「二重革命」の時代を経た西ヨーロッパは、世界各地に資本主義的な侵出を進めた。しかし、対アジア貿易には障害があった。イギリスの綿製品は中国市場にはアクセスできなかった。そこでアヘンが活用された。このアヘン貿易は中国内部での反発を呼び、それが「アヘン戦争」へと発展するのである。
アヘン戦争は、大きく言えば、イギリスを代表とするヨーロッパのアジア進出へのアジアの抵抗の戦争であった。世界全体の緊張関係が「アヘン戦争」に集中した。そして、アヘン戦争の結末は、中国側にとっての深刻な不平等条約であった。このような「アヘン戦争」は、ヨーロッパにおいては「城内和平」をもたらした。列強間のウイーン体制下の緊張が緩んで、1840年代前半のいわゆる「三月前期」の改革期を迎えた。フランス革命後の「市民革命」の原理(ネイションも含め)がヨーロッパに浸透した。
「アヘン戦争」が終結すると、緊張関係は、ふたたびヨーロッパへ移動した。「三月前期」の「矛盾」の帰結として、1848年に大陸ヨーロッパ各地での革命が生じた。この「諸民族の春」には封建制の打破と民族的課題の解決が求められ、農民解放、議会設置、軍隊改革、検閲廃止などが求められた。このようなヨーロッパでの緊張は、アジアでの緊張緩和をもたらした。「アヘン戦争」後に英仏がすぐに日本へ軍事的に迫らなかったのはこうした関係によるのであった。その間に、日本においては、「アヘン戦争」の教訓が速やかに学ばれ、幕府や雄藩での改革が始まり、対外政策の見直しが行われた。対外政策の見直しは、蘭学者、洋学者らによる海外情報の提供と相まっていた。こうして、列強がヨーロッパの事態に専念している間に、日本は世界情勢を知るゆとりを得、その結果が開国交渉に反映する。
1848年革命が抑えられると、世界の緊張関係は、バルカンへと移動し、それが「クリミア戦争」となる。1853−56年の戦争は、ほとんどのヨーロッパ列強が巻き込まれ、太平洋側のロシア極東にも波及した世界戦争であった。この戦争の間に、アジアでは緊張が緩和し列強(英仏)の活動は制約的となる。その間に、中国では「太平天国運動」(1851年—)、日本では「黒船」による「開国」が起こるのである。「開国」について見れば、露英仏は、クリミア戦争のため、本格的な対日交渉はできず、結局、アメリカが中心に「開国」を迫る。幕府はクリミア戦争を巡る事情を理解していて、外交交渉に活用した。
クリミア戦争が終わると、緊張関係はまたアジアへ向かう。戦後、英露の対立がペルシアからインド方面へ移行する中で、インド反乱がおこり、続いてベトナム大抵抗やアロー戦争が起こり、いわば「アジアの大反乱」(1856−68年)の時期を迎える。この「アジアの大反乱」が世界の他の地域での緊張緩和をもたらす。
まずこの時期にヨーロッパでは緊張が緩和されて、経済的には60年代の「創業熱」、政治的にも「混迷の60年代」ないしは「会議外交」の時代を迎える。また、「アジアの大反乱」にヨーロッパが巻き込まれている間に、列強の大きな介入なしに、南北戦争、ロシアの大改革が起こった。他方、日本はこの「大反乱」に側面支援を受けて、「開国」「維新」への道を進む。「開国」交渉は英仏ではなく、米露の主導で進められ、幕府も世界情勢を把握するゆとりを持ちつつ、それなりの開国交渉を行い、外国の重大な武力介入なしに「開国」した。1858年の諸条約は「不平等条約」ではあるが、中国の場合との違いは大きかった。この後、日本は渡米使節団、渡欧使節団、各藩からの留学、そして各種の翻訳活動によって対外認識をいっそう進展させる。このように「アジアの大反乱」の間に、日本は列強の介入なしに「開国・開港」し、同期にアメリカとロシアは大きな変革を実現したのである。
「アジアの大反乱」が終わったところで ヨーロッパの再編の激動、つまり「国民国家」形成が起こる。それは世界史のなかで進むのであり、ヨーロッパ内部の自立的発展の結果ではなかった。そして、このヨーロッパの再編の激動の時期にアジアでは相対的平静がやってきた。そういう中で「明治維新」が実現したのである。

【記事執筆:南塚 信吾(法政大学国際文化学部 名誉教授)】


左より:王敏氏(司会者)、南塚信吾氏(報告者)


会場の様子

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