【開催報告】アプローチ(1)2014年度第4回研究会(2014.12.12)報告記事を掲載しました2014/12/17

「国際日本学の方法に基づく<日本意識>の再検討−<日本意識>の過去・現在・未来」
アプローチ(1) 「<日本意識>の変遷−古代から近世へ」
第4回研究会

江戸時代の女性の稽古事

期 間  : 2014年12月12日(金) 18時30分〜20時30分

 報 告 者  : 谷村 玲子(国際基督教大学 アジア文化研究所研究員)

会  場  : 法政大学市ヶ谷キャンパス58年館2階
国際日本学研究所セミナー室

 司 会 者  : 横山 泰子(法政大学国際日本学研究所所員、理工学部教授)

明治以降からは女性の諸芸・稽古事に関しては、既にいくつもの大きな成果が上がっている。ところが江戸時代の女性の芸能に関しては、身分によって文化が違うこと、そして女性の実際の活動についての史資料が非常に少ないことから、総括的な論議は難しいと言わざるをえない。
一七世紀半ばから幕末に至るまで、女訓物や往来物といった様々な女性用刊行本が出版された。同じ本でも豪華装丁本と廉価本が出版されることもあり、また本文の中でも「りゃくぎにては」(『女諸礼集』)、「中人より以下は」(『女用智恵鑑』)、「それそれのほどにまかせて」(『女重宝記』)と、読者層に幅をもたせる例がいくつもある。刊行本の多くが、町人、豊かな農民、武士の身分を超えた広い読者を想定し、著者の「こういう女性であれかし」を述べたものだったと言えよう。発表では女性用刊行本の諸芸に注目し、手習、琴(琵琶)、詠歌、たち・ぬい・つむぐ・うむ、学文、香、貝合(貝覆)に関する記述を時代別に紹介し、その上で茶の湯と三味線稽古に言及した。
女子の手習い−読み書き−の奨励は、早くも寛永一四年(一六三七)頃に刊行された『女式目』に見られ、その後も「読み書きできなければ”盲”のごとし」という表現は幕末まで続く。少なくとも平仮名に限れば、江戸時代にはかなりの数の女性が読み書きできたと考えられる。諸芸の中でも琴は、江戸時代を通して女性にふさわしい芸能であり続けたが、幕末近くには「糸竹の道」(音楽)の挿絵に、琴ではなく三味線を載せる本もあった(『新増女諸霊綾錦』)。また一八世紀の『女中庸瑪瑙箱』や『女用文色紙染』では、琴の制作者を中国の蒙帖、神農と記述するが、天保十二年(一八四一)年の『女今川益鏡』では神代の宇次女尊の逸話に変わる。こうした国学の影響は様々な箇所で見られ、例えば歌学に関しても、天保三年(一七三八)の『女式目鑑草』では、「真淵のうひまなび(注「宇比麻奈備」)などをよく心得さすべし」とある。時代の変化は、たち・ぬい(裁縫)・つむぐ・うむ(紡績)の記述にも見られる。裁縫・紡績は奨励され続けたが、しかし『女重宝記』の元禄版(一六九二)と弘化版(一八四七)を比べれば、うみ・つむぐ(紡績)が、一般的な女性の技能でなくなっていたことは明らかである。刊行本からは、時代によって女性の諸芸が変化していることがわかる。
刊行本の記述と現実に大きな隔たりがある芸能は、三味線(音曲)である。三味線については、すでに寛文元年(一六六一)刊行の『比売鑑』に「辻・盲目・遊女・乞丐の手慰」と差別的な表現が見られ、一方で既に万治三年(一六六0)の『女用訓蒙図彙』には、女性の身の回り品として三味線の図がある。その後も多くの刊行本は三味線を「淫乱」「淫声」と嫌ったが、特に町人・富裕な農民の娘達は三味線音曲の稽古に精を出した。天和元年(一六八一)の『都風俗鑑』から幕末の『守貞謾稿』に至る様々な書が述べるように、武家の間では三味線を「淫声」と蔑みつつ、高位の武家達は奥女中志望の娘達に対し、三味線音曲の技能を望んだからである。
刊行本で茶の湯への言及の最も早い例は、元禄版『女重宝記』である。しかし飲み方を簡単に記述するだけである。ところが宝暦三年(一七五三)の『女朗詠教訓歌』では、「立ち居ふるまいもしとやかに見える」、「薄茶点前をたしなみ習え」と茶の湯稽古を勧め、さらに「宮仕えの身はまなびおくべし」とある。幕末に至るまで、刊行本の茶の湯の項目には「しとやかさ」の強調と共に、「宮仕え」への言及が見られる。武家の教養である茶の湯は、点前のみならず娘達が稽古を通して得る何気ない動作・所作を含め、「宮仕え」(武家の奥女中奉公)の際に有利な芸能であった。
武家奥女中奉公の実態は、時代によって若干の変化はあるものの、娘の勤めは給金を目的としたものではなかった。森鴎外は『渋江抽斎』の中で、「女学校へ行くようなもの」と表現した。親は奉公によって娘が武家文化に身近に接し、世間的には箔が付き、奉公後の良縁に繋がることを願った。
武家奉公には、武士・町人・近郊富裕農民の身分の異なる娘達が集まった。『浮世風呂』には、何年かの奉公の間に、町人の娘のしぐさや話し方がすっかり武家風に変わってしまった話がある。江戸時代の女性の文化は身分によって異なるものの、武家奉公は本来の身分を超えた、理想的な女性の話し方・教養・文化を身につける場所であった。
女性用刊行本は身分を超えた読者に理想の女性を語り、理想的な女性に近づく具体的な諸芸と技能の情報を提供した。そして現実の社会でその読者と考え得る女性の多くは、武家奥女中奉公を目指して諸芸の稽古に励んだ。武家奥女中奉公という場は、各身分に共通する、すなわち理想的な「日本」女性の形成の場としても機能していたと言えよう。

  【記事執筆:谷村 玲子(国際基督教大学 アジア文化研究所研究員)】


報告者:谷村 玲子氏

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