第1回みちのくワークショップ(2012.9.21)

「国際日本学の方法に基づく〈日本意識〉の再検討−〈日本意識〉の過去・現在・未来」
研究アプローチ(1)「<日本意識>の変遷—古代から近世へ」

みちのくワークショップ近世篇『東北文学と日本意識』

報告:    横山 泰子 (法政大学理工学部教授)
報告: 小林 ふみ子 (法政大学文学部准教授)
報告: 田中 優子 (法政大学社会学部教授)

日 時 : 2012年9月21日(金) 17:00 – 20:00

会 場 : 法政大学市ヶ谷キャンパス ボアソナードタワー25階B会議室

左から:横山 泰子 教授,田中 優子 教授,小林 ふみ子 准教授

 

1、「只野真葛と平尾魯仙」報告者 横山泰子
東北在住の文人の例として、只野真葛と平尾魯仙をとりあげた。

真葛は江戸出身だが仙台に嫁し、故郷を思いながら『奥州ばなし』や『独考』を書いた。前者には、江戸では聞かれないものとして東北の奇談を集めようとする著者の視点が感じられる。『独考』には、我国人という著者の帰属意識が明らかに認められる。『独考』は個性の強い知識人の著作であるが、近世社会における女性の日本意識の一例として位置づけることができる。「女性の日本意識」という問題も、今後の課題として挙げられよう。

魯仙は弘前の国学者・画人で、江戸に憧れながら故郷にとどまり、北辺で大局を見ようとした人物である。開港直後の箱館に渡って異国人の風俗を絵と文章で記した『洋夷茗話』や、地元の奇談集『谷の響』などの著作がある。異国人に接した魯仙は、率直に自他の違いを書き記している。箱館の経験が彼の皇国意識を高め、平田国学へ傾倒する契機になったと思われる。

真葛も魯仙も、東北で日本と外国との関係を考え、強いナショナル・アイデンティティを持っていた。両者とも国としての日本を考えつつ、地元の伝承というネイティブな物語を収集した点で、柳田民俗学に通じる面がある。

2、「近世の蝦夷イメージ」報告者 田中優子
まず建部綾足『本朝水滸伝』(1773)をめぐって、犯罪者同盟たる『水滸伝』の構造を借りながら、蝦夷をどのように描いたかを述べた。この作品は古代を借りて中央政権側と亡命者側に分け、さらに外側に位置づけられる「まつろわぬ者たち」を描いたのである。さらにそれから時を経て、恋川春町の黄表紙『悦贔屓蝦夷押領(よろこんぶひいきのえぞおし)』(1788)が刊行される。これは義経伝説に基づいているが、同時に田沼時代のロシア(赤蝦夷)を含む蝦夷調査の実態を反映している。ここでは、「蝦夷」が中国人、ロシア人を中心とする外国人イメージの集積場になっている。さらに、作者不明の『織出蝦夷錦(おりだしえぞにしき)』を取り上げた。この作品では実際の蝦夷一揆や島原一揆が描かれ、辺境の一揆に加担する平賀源内が、義経伝説の新たな系譜として書かれた。さらに、菅江真澄のアイヌ記録、『もののけ姫』のアイヌイメージに言及しながら、近世の東北を、蝦夷領域の移動との関係で言及した。近世の蝦夷はすでに北限として北海道から満州、ロシアまで含むものであり、東北は蝦夷の途中経過だったのである。さらに、金時徳『異国征伐戦記の世界』(笠間書院)所収の年表を開示することで、蝦夷問題が朝鮮、琉球への侵略問題と同時に語られるべきことであると指摘した。

3、「みちのくからみる狂歌・狂詩文」報告者 小林ふみ子
狂歌や狂詩文の作品を題材に「みちのく」の文化的異質さは「日本」にとって多様性なのか、他者性なのかという問題を考えてみた。
奥州訛りは、歌舞伎・浄瑠璃などの世界で「他者」として滑稽さの演出の手段となり、現実世界で(なかば芸能者であった)飴売りが「奥州」「仙台」の出自と訛りを滑稽な芸として前面に出す現象を生み、それを「華人」「仙人」という他者として捉える狂詩文『飴売土平伝』の表現を作り出した。
また流行が東北地方にも及んだ狂歌の世界では、当地の狂歌人が「みちのく人」としての自身のアイデンティティを狂名や狂歌に托して表現しようとし、伝統的な東北の歌枕やそれにちなんだ古歌を用いて狂歌を詠んだ。さらに伝統的な和歌の規範に飽きたらず、それへの違和感や新たな土地の風景を詠もうという試みも見られた。それは、他者として扱われがちで、実際に他者たらざるを得なかった「みちのく」の人々が、自らを他者化する規範としての「日本」に依拠しながらも、そこからの離脱を模索する姿としても捉えられるのではないか、と論じた。

【討議】
討議では、まず津田眞弓(慶応大学)氏によって、3.11以後の東北の状況と、芭蕉やセバスチアン・ビスカイノがたどったルートとを重ね合わせる報告がおこなわれた。これによって、歴史的な東北と今の東北とが立体的に見えて来た。さらに大木康(東京大学)によって、危機の時代に出現する中国の華夷秩序、そのもととなる朱子学、そして『水滸伝』後半の体制への帰順が影響していることが、指摘された。華夷秩序から出て来る都鄙概念も指摘され、文化の様式と言語化が都中心に行われるため、そこでは鄙からの発信が抑圧されることも分かってきた。蝦夷概念も問題となった。華夷の「夷」である蝦夷領域は、もともと関東を含むものであり、古代から次第に東北に移動し、近世では北海道、千島列島、ロシアまで含むようになったことが明らかにされ、華夷秩序の空間的移動が日本意識を変化させていることが見えてきた。
今回のワークショップをもとに、さらに「みちのくワークショップ古代篇、中世篇」を続けることが確認された。

【 記事執筆:横山 泰子(法政大学理工学部教授)
記事執筆:小林ふみ子(法政大学文学部准教授)
事執筆:田中優子(法政大学社会学部教授)】