ベトナム・ハノイ学会(2009.10.22-23)

ベトナム・ハノイ学会 報告

Japanese Studies in South East Asia:

The Past,Present and Future

SECOND INTERNATIONAL CONFERENCE OF THE JAPANESE STUDIES

ASSOCIATION IN SOUTHEAST ASIA

・日時 :2009年10月22日-23日

・主催団体 : ベトナム社会科学院 Vietnam Academy of Social Sciences,Hanoi

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2009年10月22日ベトナム社会科学院内にて(1)

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2009年10月22日 ベトナム社会科学院内にて(2)

1.日時:2009年10月22日—10月23日

2.参加会議

(1)名称

Japanese Studies in South East Asia : The Past, Present and Future

SECOND INTERNATIONAL CONFERENCE OF THE JAPANESE STUDIES ASSOCIATION IN SOUTHEAST ASIA

(2)主催団体

ベトナム社会科学院

Vietnam Academy of Social sciences , Hanoi

(3)参加者数:約200名(開会式の人数)

(4)国別参加者数(概算):ベトナム30〜40名程度

フィリピン約20名

日本・タイ約10名ずつ

シンガポール、インドネシア、マレーシア、韓国は3〜5名程度

(5)「東南アジア日本研究学会」のウェブサイトにシンポジウムのプログラムが掲載。

ご参考:http://www.jsa-asean.info/program

3.参加目的

東南アジアにおける日本研究国際会議への参加と本研究所の日本研究のネットワークづくり

4.日本側の参加者

・国際日本文化研究センター 猪木武徳 所長

・国際日本文化研究センター 宇野隆夫 教授

・国際日本文化研究センター 白幡洋三郎 教授

5.代表論文の概要

(1)国際日本文化研究センター 猪木武徳 所長「日本研究の新しい展開」

概要:近年、諸外国における日本研究には外面上の変化が見られる。国際交流基金の調査によれば、研究者の量的・地理的シフト、テーマの変遷、共同研究の進展、研究姿勢のいずれの面でもこれまでとは異なる変化が見られる。日本研究をさらに進展させるためには、社会科学におけるアプローチ・メソッドを批判的に検証し、地域研究の役割・困難さ・限界・期待をそれぞれ考察した上で、具体的な政策上の課題を検討する必要がある。特に、各国において日本研究を目指す博士課程在籍者へのサポート体制の構築や、研究者交流が今後一層重要である。

(2)国際日本文化研究センター 郭南燕「司馬遼太郎のベトナム観」

現代日本の代表的な作家である司馬遼太郎は、取材のために1973年にアメリカ兵撤収直後のベトナムを旅行し、『サンケイ新聞』に連載後『人間の集団について ベトナムから考える』を出版した。司馬遼太郎はベトナム人の「笑顔」と「植物性」に注目し、そこからベトナムにおける戦争を見つめ、ベトナム人の「生死観」や「宗教観」ついて考察した。ベトナム人はイデオロギーによる代理戦争に翻弄され、「共産主義という一種の鎖国主義」を採用して国家が産業を哺育してきた。司馬遼太郎に同行した久保田医師の「民族というのもおかしいです。人間というだけでいいじゃないですか」という一言が象徴できである。

(3)ケントアンダーソン オーストラリア国立大学「急速に増大するアジア中心的世界での日本研究 2つのオーストラリアサミットを通して」

2008年、2009年にオーストラリア国内のサミットに参加した経験に基づき、「日本はまだ重要であるか」という問いについて考察する。日本はオーストラリア及び周辺地域において経済、防衛面で影響力を及ぼし続けると考えられるが、アジア中心的世界が急速に広まる中で、中国、インド研究によって周辺的な存在に追いやられる危険性もある。しかし、単一国家に焦点をしぼったアプローチの仕方が衰えている中で、優先順位のランキングに過度に悩むべきではなく、日本で世界初の「ポスト高度成長社会」として将来的にランキングの新基準となる可能性もある。報告では、日豪関係の歴史を概観した上で、オーストラリアにおける日本研究の過去と現状について概観し、さらに今後の展望について検討した。日本は経済、防衛をはじめ文化面でも現在でもなお重要な役割を担っているので、人間的富を評価する新たなモデルの構築という意味で今後も重要であることを断言したい。

6.ベトナム訪問雑感

【ベトナムにおける日本研究】

ベトナムにおける日本研究は1980年以降に本格化。そのため、研究者は一般的に若く、学科長などの要職も30代―40代が中心となっている。たとえば、Vietnam National University, Hanoi  Faculty of Oriental Studies Department of Japan Studies日本学科長の Phan Hai Linh (華海林)さん、ホーチミン市・ホーチミン社会人文大学(ベトナム国家大学傘下)日本学科長の NGUYEN  TIEN  LUCさん、ベトナム社会科学院東北アジア研究所日本研究センター 副所長のゴ・フォン・ランさんほか、優秀な方々が多い。

若い世代の研究者たちは、グローバル化の中で教育研究を行っているため、イデオロギーなどにとらわれることもなく、交流の心理的な垣根も非常に低く柔軟である。また、ベトナム語・英語・日本語のほかに、中国語を話すことができる研究者もおり、研究者が3,4カ国語を駆使するのが常識となっている。
経済政治研究よりも、文化・教育・社会分野の研究が多い。中でも「文明開化」に関する研究が最も多く、転換期のベトナムにおいて文明開化のモデルが参考になると考えられているようである。
また、日本における漢文訓読とベトナムにおける漢文訓読の研究などもあり、日本とベトナムを同様に「漢字圏」として認識している。
東南アジアを舞台にする日本研究の交流には、東南アジアのみならず、オーストラリアや香港、シンガポール、マレーシアなどの白人研究者も多数参加。新たな広がりを認識した。例えば、香港から参加したアメリカ人女性研究者は復員兵士の研究者、オーストラリアから参加した研究者はベトナム人の養子を育て、専門は在日韓国人の研究。国籍や居住地域に関わらない専門分野の研究者が増えている。

日本の継続的な発展について、建設的に見ている研究者も多かった。文化的・社会的なよ分野で日本の潜在力や生産力に期待する声もあり、景気の悪い日本が勇気づけられると感じた。国力を測る基準はGDPではないと痛感している。

【国際交流基金ベトナム文化センター】

設立からわずか一年半だが、現代アート、ロボット展示などをはじめ、最新の文化交流のイベントを数多く開催している。もっとも注目されるのは、ベトナム人スタッフの主体的な参加により、地域の発展とそれに見合う人材育成にプラスとなる支援となるような体制を構築するという目標のもとに、さまさまな取り組みが行われている点である。

【ベトナムのTV事情】

・一般的なTV放送で、ベトナム語・英語・フランス語・中国語の同時放送が行われている。知識人階層のみならず、一般庶民でも多言語を操る人口が非常に多い。多言語環境は国民的と言えよう。

【ベトナムにおける漢字文化】

・「登科」の伝統が根付いているため、勉学による立身出世の志向が高く、真面目な気質。

・中国語の新聞が発行されている。

・学校では中国語教育、書道教育が盛んに行われている。

7.日本書籍のベトナム語での翻訳出版状況

国際交流基金ベトナム日本文化交流センター調べ
(注:2009年9月14日時点で書店にて入手可能な書籍について調査したものであり、網羅的な調査結果ではない。ベトナムで翻訳された日本の書籍は1990年以前にも多数存在するが、ここでは一般読者が入手しやすい翻訳者の事例として以下に参照する)

(1)翻訳点数 46点

(2)主要作家

村上春樹11点、吉本ばなな6点、村上龍4点、鈴木光司3点、福沢諭吉2点、小川洋子2点、山田詠美2点……

(3)出版年

2009年12点、2008年14点、2007年6点、2006年11点、2005年1点、2004年1点、1999年1年(ベトナムにおける日本書籍の翻訳は、近3年ほどに集中している)

(4)特徴

最も早く1999年に翻訳されたのは、松尾芭蕉『奥の細道』だが、近年では村上春樹や吉本ばななの代表作が相次いで翻訳されている。
東アジアにおける日本研究の会議は第2回目。前回は3年前にシンガポールで開催
シンガポール会議の代表は華人研究者で中国語が堪能。東南アジアの研究者の特徴としては、中国ルーツがあること。
シンポジウムの成功は、発表された論文の本数ではなく、参加者の満足げな笑顔。
報告やコメントを聞き感じたことは、国の面積の大小に関わらず、文化交流においては
それぞれの国が「中心」に成り得るということ。相互に交流の「媒介」となることを忘
れずに、交流の対象として相互に尊重しあう姿勢が重要である。

【記事報告: 法政大学国際日本学研究所 教授 王 敏】