「張之洞と中国近代化」国際学術シンポジウム(2009.9.18-20)

国際学術シンポジウム「張之洞と中国近代化」

日時2009年9月18日-20日

主催武漢大学中国伝統文化研究中心、中南経政法大学経済史研究中心、江漢大学城市研究所

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     会場風景          左:馮天瑜教授、中:張之洞曽孫張厚玟 右:筆者

中国・辛亥革命発祥地の武漢で日本留学の立案者を記念する国際会議

1.日時:2009年9月18日―20日

2.参加会議

(1)名称

「“張之洞と中国近代化”国際学術シンポジウム」

(2)主催団体

武漢大学中国伝統文化研究中心、中南財経政法大学経済史研究中心、江漢大学城市研究所

(3)会議の概要・目的

2009年は張之洞の逝去100周年にあたり、十余年来編纂を行われてきた『張之洞全集』が出版されるなど、中国内外における張之洞研究が盛んになっている。武漢会議では、張之洞研究の発展(特に中国近代化に与えた影響を中心に)と研究者相互の交流を促進するために開催された。

(4)張之洞について

1)張之洞の人物像

張之洞(1837‐1909年)は清末の政治家。洋務派官僚として中国の近代化と経済の発展に重要な役割を果たした。曽国藩李鴻章左宗棠と並んで「四大名臣」とも称される。19世紀末の変法運動に対し著書『勧学篇』で「中体西用」を示し、急進的すぎる改革を戒めた。近年になってから張之洞は再評価され、2006年には張之洞記念館が設立された。日本に関連されている研究は、中国から日本への最初の留学の立案者であることから、近代化の過程における留学生政策と文化交流においては多大な功績があるとされている。

2)中国における研究成果

張之洞については洋務派官僚としての経済政策に関する研究が主流であったが、近年では近代化の全般に関して、特に社会発展と文化構築の面での功績が再認識されている。

(5)今回の会議における報告の概要:論文本数、代表的なテーマ

1)シンポジウムで発表された論文数は54本

2)代表的なテーマ

張之洞の清流党から洋務派への変遷、張之洞と洋務運動、張之洞と清末新政、張之洞と湖北の近代工業、張之洞と晩清の財政、張之洞と湖北の近代教育、張之洞と湖北の新軍、張之洞と戊戌の変法、張之洞と辛亥革命、『勧学編』研究、張之洞の教育思想研究、張之洞の外交思想研究、張之洞の政治思想研究、張之洞の軍事思想研究、国内における張之洞研究概説、香港・マカオ・台湾の張之洞研究概説、国外における張之洞研究概説他。

(6)会議の特徴

1)アメリカ、日本、韓国、台湾からの参加のはかに、張之洞の子孫及び生地の文化人、中国各地からの参加者数は約200名。提論文によってまとめられた論文集は読み応えがある。

2)会議事務局は中国の歴史、伝統文化専攻の院生中心に運営されており、人文系の若手育成の意識が高いことが示されていた

 

3.王敏報告概要

報告概要:

法政大学略史、法政大学における中国人留学生受け入れの歴史、清国留学生法政速成科の成立と留学生受け入れ事情、1905年当時法政における清国留学生は合計295名で全国第三位、宋教仁をはじめ、主要な留学生の略歴、1911年武昌蜂起の活動家のうち多くは日本留学経験者、同盟会・孫文と梅屋庄吉との交流、法政大学の国際交流の現状。

資料1.武漢大学中国伝統文化研究センター概略

武漢大学中国文化研究院を基礎に1999年に設立され、2000年に教育部より高等教育機関の人文社会科学重点研究基地として批准される。さらに、2005年には教育部より「985中国伝統文化現代転型創新基地」に認定される。センターには学科の枠を超えた中国伝統文化研究機関として文学、史学、哲学科と中国伝統文化総合研究室、中国伝統文化と現代化研究室、荊楚文化研究室、『人文論叢』編集部があり、22名の専任研究員(教授20名、副教授1名、講師1名)、学内兼職教授8名が教育と研究を行っている。

資料2.伝統文化研究主任の馮天瑜氏の紹介

(1)略歴

1942年生、武漢大学中国伝統文化研究中心主任、武漢大学人文社会科学教授、博士課程指導教授。専門分野は明清文化史。主要著書に『中華文化史』、『中華元典精神』、『明清文化史散論』、『張之洞評伝』、『“千歳丸”上海行――日本人1862年的中国観察』他多数。

日本語論文:「『僑詞』の帰順と近代日中文化の相互作用――『衛生』、『物理』、『小説』を例に――」

(法政大学国際日本研究所『国際日本学研究叢書9 中国人の日本研究――相互理解のための思索と実践』2009年)。

【記事執筆:王 敏(法政大学国際日本学研究所 教授)】