第14回日中文化研究会 「芥川の『支那遊記』論-章炳麟とのギャップを中心に-」(2007.8.8)

第14回日中文化研究会
「芥川の『支那遊記』論−章炳麟とのギャップを中心に−」

 


  • 報告者 魏 大海 氏(中国社会科学院外国文学研究所教授)
  • 日 時 2007年8月8日(水)18時40分〜20時30分
  • 場 所  ボアソナードタワー25階イノベーション・マネジメント研究センターセミナー室
  • 司 会   王 敏 (法政大学国際日本学研究所教授)

 

中国社会科学院外国文学研究所教授で、中国日本文学研究会秘書長・副会長の魏大海氏をお招きして、第13回日中文化研究会が開催された。魏氏は、以下の9つの論点に整理して、芥川龍之介の「支那遊記」について報告された。報告の概要は以下の通りである。

1.芥川文学及び「支那遊記」の中国語訳 芥川作品は、1921年に魯迅訳で「鼻」「羅生門」が出版されて以来、中国では多くの作品が翻訳されている。2005年には、魏氏と高慧勤氏の監修による中国初の「芥川龍之介全集」(全5巻)が山東文芸出版社から刊行された。この全集では、陳生保氏が「支那遊記」を翻訳している。

2.中国での「支那遊記」論 「支那遊記」に見られる中国蔑視の表現には、中国では根強い批判がある。近年は、当時の中国の社会的背景を考慮して評価すべきであるとの意見や芥川の古代中国の文化と芸術の憧れ(文人趣味)と中国の現実とのギャップが芥川を失望させたことを踏まえて「支那遊記」を論評すべきであるとの見解も出ている。

3.日本の代表的な「支那遊記」論 日本人の代表的な「支那遊記」論として、芥川のジャーナリストとしての能力を評価する佐藤泰正氏の見解、近年の代表的な見解と目される関口安義氏の見解、更に、白井啓介氏の見解の紹介があった。白井氏の論考は、1921年に上海で、芥川が何を見て、何を見なかったかを明らかにすることを意図したもので、芥川が訪問した1921年の上海と芥川の訪問以降の上海では、都市としての発展ぶりに大きな違いがあることを明らかにしている。

4.巴金の反論について 著名な中国人文学者である巴金氏の芥川への反論について紹介があった。巴金氏の芥川への反論は、「鋭い筆鋒、高い教養を持っているが、他に何があるのか。形式のほかに内容があるのか。その全作品は、“虚空”ということばで批判することもできるのではないか」いう厳しいもので、この反論に対する関口安義氏のコメントの紹介があった。

5.中国人読者の、今日でもやりきれない表現 「支那遊記」にある表現(「鶏が油で焼いてあるのやそれから豚を丸の儘で皮を削いで吊り下げてあるのを至るところで見たことであります。支那では古くから各人が自由に動物を虐殺する習慣になって居るのは、宜しくないと思ひます。これは、一般支那人が知らず知らずの間に残忍性を帯びて来ることであります」他)には、中国人読者はやりきれないものを感じるとのコメントがあった。

6.中国文化名士章炳麟との非平等的な会話 芥川と章炳麟氏との上海での会話(「支那遊記」では問答形式で書かれている)について、当時の日中間の関係を背景にした非平等的なものが感じられるとのコメントがあった。

7.日本の政治的・文化的歴史背景 芥川が中国を訪問した当時の日本社会の背景について説明があった。第一次世界大戦を境にして、日本では、資本主義の変貌により経済的余裕が生まれ、帝国主義の無意識的な容認という方向が出てきたという内容であった。

8.中国の危機雑多な社会・歴史情況 「支那遊記」が書かれた20世紀前後の中国の社会・歴史状況について説明があった。日清戦争の敗北による混乱、第一次世界大戦後の中国経済の発展、当時の中国と日本の関係に関わる内容であった。

9.中国文化名人−章炳麟の立場 章炳麟氏の思想について紹介があった。欧米の侵略から中国を守るには、満漢一致して抵抗するよりもまず排満が必要であるという思想である。

結び 魏氏は、「支那遊記」に見られる中国蔑視は、当時の日本人一般にあったもので、日清戦争以来の文化的・歴史的雰囲気や当時の社会・歴史状況に起因するものと考えられること、芥川と章炳麟氏の違い、芥川のジャーナリスト的特性の評価の問題や「支那遊記」にある暗い表現の内在的原因についてコメントと問題提起をされ、報告を終えられた。

報告を聴いて 魏氏の報告をきっかけに「支那遊記」を初めて読み、また、中国人研究者である秦剛氏や張蕾氏の「支那遊記」を巡る論考を読むことができた。魏氏に大いに感謝したい。「支那遊記」は、論じるに値するものを多数内包している。中国旅行により芥川の作風が変わったとも言われ、旅行後、芥川は「桃太郎」「将軍」等を執筆した。日本の植民政策への辛辣な批判を含むと言われる「桃太郎」には、章炳麟氏からの影響があるとの指摘もある。中国旅行が芥川にどのような変化をもたらしたかについて、今後、更に研究が深まることを期待したい。今日、芥川は世界各国で翻訳され、国際作家の感があるようである。世界各国で芥川がどのように読まれ、評価されるかは、日本で生きる者にとっても大いに関心のある事柄である。余談であるが、司馬遼太郎氏と陳舜臣氏の対話集を読んでいたら、近代中国の知日派蒋百里氏が日本人の残忍さとして刺身を食うことを例にあげているという記述に遭遇した。文化間のギャップは至る所にある。

【記事執筆:杉長 敬治(法政大学特任教授)】

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