第12回日中文化研究会「中国における日中研究の展開-日中関係との関連で-」 (2007.6.20)

第12回日中文化研究会
「中国における日中研究の展開−日中関係との関連で−」報告者  李 廷江氏(中央大学法学部教授)

  • 日 時 2007年6月20日(水)18時40分〜20時30分
  • 場 所 80年館7F大会議室(角)
  • 司 会   王 敏 (法政大学国際日本学研究所教授)

中央大学の李廷江氏をお招きして、第12回日中文化研究会が開催された。李氏は、近現代の日中関係史を、歴史に重点を置いて研究され、歴史の眼から、今後の日中関係をどう進めていくかをテーマにされている。報告の概要は以下の通りである。

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中国の日本研究と日中関係
中国にとって、日本は、非常に重要で、特別な存在であり、複雑な関係をもっている国である。ここ100年の日中関係を整理すると、2つの時期に区分することができる。第1期は日清戦争後から日本の敗戦までの時期で、第2期は戦後から今日までの時期である。この間に行われてきた中国の日本研究は、日中関係に大きく依存している。

第1期(1895〜1945):戦争を中心とする(日中の)敵対と協力
1.中国革命の助産婦(戦争・ナショナリズム・革命)
日清戦争、日露戦争、盧溝橋事件以降、強い日本と弱い中国の戦いが続いた。戦争は、中国に大きな被害をもたらし、中国では、日清戦争後、対華21カ条要求後、日中戦争後にナショナリズムが高揚し、辛亥革命、新民主主義革命が起きた。中国近代史を特徴づけるものは「改革」「革命」と言われているが、日本は、中国革命の助産婦の役割を果たした。

2.忘れえぬ他者(様々な日本イメージ)
明治維新という鏡 日清戦争の敗北を契機に、中国は、近代化を推進するため、多数の人材を日本に派遣した。19世紀末、清朝は30数カ国に外交官を派遣したが、日本に派遣された外交官が一番多く、中央政府に届いた情報の3分の一以上が東京発であった。留日留学生は、1万人とも10万人とも言われているが、留学生が日本で学んだもののインパクトは大きかった。辛亥革命の推進者は、留学生であった。辛亥革命は、明治維新を抜きに語ることはできない。

アジア主義の栄光 日中関係が特別な関係になる上では、アジア主義の栄光、アジア主義があったことが大きかった。アジア主義は、清末から1930、40年代まで、日中関係に様々な要素が入っている源流と考えられる。アジア主義は、近衛篤麿の日清同盟論からシナ保全論に至るまで、日本の中国侵略の武器になった大東亜共栄圏やアジアの解放のスローガンまで、存在、役割を果たした。中国は、清末から様々な分野で日本をモデルにして、日本の協力を得て改革をしようした。孫文にも、アジアは一つというアジア主義の理念があった。孫文は、日本を愛し、信頼していたし、日本には、政界や財界に孫文の支持者がいた。資本論も社会主義も日本から持ち込まれたし、共産党も、日本なしには中国で生まれなかったという一面がある。中国の革命の源流は、日本にあった。

王道と覇道の狭間で 1915年の対華21カ条要求以降、日中関係は大日本帝国主義により破壊され、王道と覇権の狭間にあった。対華21カ条要求以降、日中関係は変わった。盧溝橋事件が起きた1937年から8年間、日本は戦争の罪過そのもので、中国では、侵略・支配への抵抗や人種差別への反感が生まれ、戦争犯罪への批判が行われた。

戦争の代償 1930年以降、日本が敵国になったことから、中国の日本研究者は、売国奴になってしまった。日本はモデルか敵国か、どちらかを選択することが求められた。

第2期(1945〜):3つの日本像
1.軍国主義としての日本
 1972年の国交回復まで、日本には軍国主義というイメージがあり、中国は軍国の亡霊への恐怖を抱いていた。日本は、過去の戦争に対して、経済的な清算(賠償)と政治、道義的な清算をしなかった。

2.近代化モデルとしての日本 戦後の日本経済の発展に衝撃を受け、1970年代以降、中国の改革のために、日本経済を勉強しようという時代が到来した。鄧小平は、日本を見て、中国の改革を決意した。80年代から90年代の前半迄、日本は近代化のモデルであった。

3.パートナーとしての日本 中国の日本研究のテーマは、清朝末には政治、1970〜80年代には経済が中心であったが、現在、中国の課題である「調和のとれた社会を作ること」に関連して、日本を和解社会のモデルとして研究する動きがある。

報告を聞いて
李氏は、報告の後半で、魯迅の「中国の国力が日本と対等になって、日中は理解できるようになる」という趣旨の発言が、現在、よく理解できるようになったと言われた。李氏の報告により、パートナー同士として、日本は、中国を始めとする近隣諸国との歴史を、日中両国の文化的背景に留意しながら、十分検証し、将来に向けて必要な英知を獲得することの重要性を再認識することができたように思う。盧溝橋事件から70年が経過し、日中国交回復から35年が経過した今こそ、パートナーからのまなざしをよく受けとめ、パートナーへきちんとしたまなざしを向ける時期だと思う。李氏の歴史研究に基づく、広い視野からの報告と日中関係の発展への深い思いに感謝と敬意を表したい。

【記事執筆:杉長 敬治(法政大学特任教授)】

〈報告者紹介〉

1954年 中国瀋陽生まれ
1977年 清華大学卒業
1988年 東京大学大学院博士課程終了(学術博士)
現在   中央大学法学部教授

主要著書
「日本財界と辛亥革命」(1994年:中国社会科学出版社)
「近衛篤麿と清末中国人」(2003年:原書房)
「日本財界と近代中国」(2004年:御茶の水書房) など。