ヘレナ・ガウデコヴァ氏勉強会『ナープルスティック博物館(プラハ)の日本コレクション』(2012.7.18)

 「国際日本学の方法に基づく〈日本意識〉の再検討−〈日本意識〉の現在・過去・未来」
研究アプローチ(4) 〈日本意識〉の三角測量 – 未来へ」
「欧州の博物館等保管の日本仏教美術資料の悉皆調査とそれによる日本及び日本観の研究」
プロジェクト

合同勉強会
ナープルスティック博物館(プラハ)の日本コレクション
—日本の伝統芸術に対する中央ヨーロッパの視点—

日  時 2012年7月18日(水)18:30〜20:30

会  場  法政大学市ヶ谷キャンパス58年館2階
国際日本学研究所セミナー室

講  師  ヘレナ ガウデコヴァ
(ナープルステック・アジア・アフリカ・アメリカ文化博物館学芸員)

通  訳  鈴村 裕輔 (法政大学国際日本学研究所客員学術研究員)

司  会  安孫子 信 (法政大学国際日本学研究所所長、文学部教授)

 

講師:ヘレナ ガウデコヴァ氏

 

 去る2012年7月18日(水)、18時30分から20時40分にかけて、法政大学国際日本学研究所セミナー室において、「国際日本学の方法に基づく<日本意識>の再検討—<日本意識>の過去・現在・未来」アプローチ(4)「〈日本意識〉の三角測量—未来へ」及び「欧州の博物館等保管の日本仏教美術資料の悉皆調査とそれによる日本及び日本観の研究」プロジェクトの合同勉強会が開催された。今回は、ナープルステック・アジア・アフリカ・アメリカ文化博物館学芸員のヘレナ・ガウデコヴァ氏を迎え、「ナープルステック博物館(プラハ)の日本コレクション-日本の伝統芸術に対する中央ヨーロッパの視点」と題して行われた。報告と質疑応答は英語で行われ、司会はHIJAS所長で法政大学文学部の安孫子信教授、通訳はHIJASの鈴村裕輔が務めた。報告の概要は以下の通りである。

ナープルステック博物館の名称は、創設者であるボイタ・ナープルステック(1826-1894)の名にちなんでいる。ナープルステックはウィーン大学で東洋学を学び、1848年革命の余波を避けるため10年間渡米した後に帰国した。帰国後はチェコの社会の発展に尽力し、工業の近代化を目的として工業博物館を設立した。また、チェコの政治的、文化的な指導者たちの組織化を図り、自宅を会場とした懇親の集いを催した。ナープルステックの自宅は、現在、ナープルステック博物館の中心部として用いられている。1860年代になるとナープルステック夫妻はチェコの探検家や旅行家を積極的に支援するようになった。そして、探検家たちは、支援への返礼として、訪問先で入手した様々な品をナープルステック夫妻に寄贈した。これらの寄贈品は、現在、博物館の所蔵品の中心を形成している。1880年代にナープルステックは自宅を改築し、工業製品や民族誌に関連する常設的な展示を行う三階建ての博物館とした。これが、ナープルステック博物館の始まりであった。
現在、ナープルステック博物館は正式名称をナープルステック・アジア・アフリカ・アメリカ文化博物館といい、自然史博物館、歴史博物館、音楽博物館とともに、チェコの国立博物館の一つとなっている。博物館全体としては約10万点の所蔵品があり、プラハの本館に保管所と展示室を保有している。また、プラハ北郊40kmに位置するリビェホフ城にもアジア美術の常設展を行う別館を持っていた。しかし、2002年のエルベ川の大洪水の被害によって展示場所を失ったため、アジア美術の常設展を行えないでいる。アジア部門の収蔵品の数は約4万8千点であり、国別にみると日本が約2万点、中国が約1万8千点であり、残りはイスラムの装飾美術、韓国、印度、インドネシア、ベトナム、ラマ教の美術品となっている。
開館以来、多数のチェコ人がナープルステック博物館に寄贈を行った。その中で最も重要な人物が、作家、旅行家、収集家であったジョー・ホロウハ(1881-1957)であった。ホロウハは1906年と1926年の2度にわたって来日し、大量の美術品を購入した。また、1908年には、プラハで行われたオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の即位60周年記念博覧会で日本の茶室を出展し、好評を博した。この成功により、ホロウハは著名な実業家で、後のチェコ大統領の祖父であるバーツラフ・ハベルの誘いを受け、プラハの中心部にあるルツェルナ宮殿に喫茶店「ヨコハマ」を出店した。「ヨコハマ」はチェコ人の女給が日本髪を結い、着物を着用し、壁には日本語で書かれた碑銘や飾りが置かれるなど幻想的ともいえる雰囲気を作り出し、利用客からも高く評価された。ホロウハは第1次世界大戦後に店を手放したが、「ヨコハマ」という名称と日本的な内装は1924年まで利用された。
ホロウハは1924年にプラハ郊外のロズトキーに別荘を購入し、建物を日本風に改築したほか、1924年と1925年には日本の花見に倣った「花の祭典」を催した。特に1925年は、「花の祭典」の来場者のために、プラハとロズトキーの間を往復する特別列車と汽船が仕立てられるほどの人気であった。しかし、1926年に日本を訪問するため、ホロウハは別荘を売却している。1926年に来日したホロウハは多数の文物を購入し、帰国後の1929年にはプラハの見本市宮殿で厳選された所蔵品を公開した展覧会を行い、「日本美術の収集家」としての名声を不動のものとした。1955年、ホロウハは全ての所蔵品を国有資産にすることでチェコスロバキア政府と合意し、所蔵品の目録を作成した。現在、ホロウハの所蔵品はナープルステック博物館の日本コレクションの中心をなしている。
ところで、ナープルステック博物館では、浮世絵、肉筆画、写真、紙細工といった美術品から、織物、民芸品、甲冑や刀剣、鍔、金物細工、陶磁器、木彫、根付、置物、印籠、玩具などを収蔵している。収蔵品の大部分は江戸時代に作られたものであり、刀剣については、制作が室町時代初期であることが確認されている古刀を所有している。
先年、ナープルステック博物館はCD-ROM形式の目録を刊行した。これは、目録の利用者に日本の芸術や生活様式、あるいは歴史に関する基本的な情報を提供し、日本の芸術と社会に関するより詳細な検討の結果を示すとともに、日本の美術に興味を持った人のために高解像度の画像を提供することを目的とした出版であった。
ナープルステックは、19世紀の日本をチェコの産業の近代化の手本と捉え、日本の工業製品の収集に努めた。その後、ホロウハのように日本の美術に崇拝的な感情を抱いたチェコの知識人たちの努力により、日本の美術品や芸術品が多数寄贈された。その結果、ナープルステック博物館は今日のヨーロッパにおいて最も豊かな日本コレクションを持つ博物館の一つとなっているのである。

今回の報告では、ナープルステック博物館の来歴とそこに携わった人々の事跡を辿ることで、一つの博物館がいかにして成り立ち、どのような目的と意図が存し、日本がどのように理解されていたのかが明らかにされた。これは、博物館という一つの場を対象にした、意義深い取り組みであると考えられた。

【記事執筆:鈴村裕輔(法政大学国際日本学研究所客員学術研究員)】

 

司会:安孫子 信 所長(教授)

 

通訳:鈴村 裕輔 氏

 

講義の様子