国際シンポジウム(2011.7.16-17)

法政大学国際日本学研究所「国際日本学の方法に基づく<日本意識>の再検討—<日本意識>の過去・現在・未来」プロジェクト アプローチ(1)「<日本意識>の変遷—古代から近世へ」
2011年 国際シンポジウム『日本意識と対外意識』 開催報告

アプローチ(1)「<日本意識>の変遷—古代から近世へ」
2011年 国際シンポジウム『日本意識と対外意識』

日 時  2011年7月16日(土)、17日(日)

会 場  法政大学市ヶ谷キャンパス外濠校舎S405教室(7月16日)、S305教室(7月17日)

司 会  田中 優子(法政大学社会学部教授)

         司会: 田中優子 教授                会場の様子

       記念講演:ロナルド・トビ教授         パネルディスカッションの様子

国際シンポジウム『日本意識と対外意識』

 去る7月16日(土)、17日(日)、法政大学市ヶ谷キャンパス外濠校舎において、法政大学国際日本学研究所の国際シンポジウム「日本意識と対外意識」が行われた。

第1日目の会場は外濠校舎S405教室であった。まず、シンポジウムの責任者である田中優子氏(法政大学)による趣旨説明の後、石上阿希氏(立命館大学、大英博物館)と岩崎均史氏(たばこと塩の博物館)による研究発表、小林ふみ子氏(法政大学)によるこれまでの研究のまとめ、そして討論が行われた。また、第2日目には、ロナルド・トビ氏(イリノイ大学)による記念講演、タイモン・スクリーチ氏(ロンドン大学SOAS)、大木康氏(東京大学)、川村湊氏(法政大学)による研究発表、渡辺浩氏(法政大学)によるコメントと発表者との質疑応答、そして場内からの質疑応答が行われた。シンポジウムの概要は以下の通りである。

 第1日目の最初の発表者である石上氏の論題は「春画をめぐる対外意識—春画を作る、見る—」であった。具体的には、平安時代には偃息図と呼ばれる性的な題材を描く絵が存在しており、その頃から「性器の極端な強調」という特徴を備えていること、「男性を天、女性を地とする」という考えがあったこと、『黄素妙論』の利用やその他漢籍の引用などによって「中国に起源をもつ」ということを強調することで春画の正統性を示そうとする、という日本の春画の特質が、資料に基づき明らかにされた。
江戸時代には、印刷技術の発展によって春画を鑑賞する層が支配階級から庶民へと広がる中で、神の和合によって始まった国として男女の和合を神の道に叶うものとする言説が行われ、幕府による取り締まりが行われたものの、春画そのものは人々にとって恥ずべきものではなく珍重されるべきものであったことが指摘された。それが明治時代になると春画が猥褻物となり、現在に至るまで日本においては公的な美術館、博物館が「春画展」を行うことが難しい、という状況も報告された。
続く岩崎氏の発表は「近世庶民に於けるアルファベット受容の傾向〜ABCD(アベセデ)の魅惑」と題して行われた。江戸時代におけるアルファベットとの「出会い」は17世紀末のローマ数字を漢数字に置き換える作業から始まり、その後、アルファベットの筆記体風の図柄を衣装として用い、あるいは「いろは四十七文字をアルファベットで表記する」といった、「ごく僅かのアルファベットを読める人には作者の意図が分かり、大部分のアルファベットを読めない人には異国風という印象を与える」という「仕掛け」により、アルファベットは江戸時代の日本人の一部の人の間で享受されるようになったことが紹介された。
しかし、後代になると、アルファベット受容の初期に見られた「正確な模写」に代わり、「異国の雰囲気を出す」ということが主な目的となり、アルファベットの表記が不正確になって「異国風」というイメージのみが残る、という状態が明治時代を迎えるまで続くことになった、という事実も示された。
「春画」と「アルファベット」という二つの要素を通して、近世の日本人にとって中国と西洋は同次元にはないことが示されたことが、この日の発表の成果であった。
 第2日目は外濠校舎S305教室を会場として行われた。
この日は、まずトビ氏による記念講演「日本中・近世の異国・異邦人」が行われた。「「日本」を認識するためには、まず非「日本」として表象された他者を認識しなければならない」という観点に基づき、最初に外との関わりを示す日本の神話を外に出て何かを持ち帰る「桃太郎型」と外から歓迎されざる他者が来航する「白楽天型」の二つの類型に分類し、倭寇や蒙古襲来、キリシタンの来航などが「白楽天型」に属することが論じられた。次に、絵画を対象として、古代から中世あるいは前近世までは、日本の絵画には唐土の風景を描く作品はあるものの、日本の地に異国の人物を描くのは例外的であることが示された後、南蛮人の渡来以降は長崎や京都において異国人が往来することが日常的になったため、絵画の中に唐以外の異国の人物が多く登場するようになり、この点に日本における対外意識の変化の一端が現れている、という指摘がなされた。
これに続き、南蛮人の登場が「本朝、唐、天竺」という伝統的な三国世界観にいかなる影響を与えたかが検討された。その結果、当初、日本の人たちはヨーロッパから渡来した人々を三国世界観に当てはめて「天竺人」として捉えたが、マテオ・リッチの『坤輿万国全図』などが紹介されることで世界が「本朝、唐、天竺」ではなく「万国」からなるという認識が生まれたため、16世紀末から17世紀になると、「三国」ではない「万国」の人が絵画に登場するようになったことが紹介された。また、後には、日本の人々が「月代、髭なし」を強制されたことの反映として、異国人を描く際には髭が強調され、それが「非日本人」としての特徴となったこと、そのため異国人相互の区別はかなり曖昧であったことが指摘された。
こうした日本の自己認識の変化が、他者としての異国の認識に変化をもたらしただけでなく、「他者があっての自己認識、異国があっての日本意識」という構造が成り立つことが、今回の講演であらためて確認されたのであった。
午後に行われた3件の研究発表の最初はスクリーチ氏の発表「メメント・モリと吉祥画の出会い」であった。この発表では、江戸時代において吉祥画とメメント・モリが比較されるような接触を持った3度の機会を取り上げ、吉祥画とメメント・モリとの相違が検証された。取り上げられたのは、(1)大目付井上政重が明暦の大火(1657年)で所有していた絵画を失った将軍家のためにオランダ商館に絵画の制作を発注した事例、(2)徳川吉宗がオランダ商館に「ヨーロッパで一番有名な画家に絵を描いてもらいたい」という依頼を出し、5点が献上された事例、(3)江戸に滞在していたオランダ商館長の快気祝いの席に掛けられた絵を巡る日本人との問答を記録した司馬江漢の記事の事例、であった。
これらの具体的な事例により、「死を忘れないため」にメメント・モリを用いる西洋人と、「死を忘れるため」に吉祥画を用いる日本人との間に存する絵画に対する理解と態度の違いが指摘された。その中で西洋絵画の公開が身分や階層を強く意識して行われたことが明らかにされたのも興味深い。
大木氏の発表は、「江戸時代人の対中意識—「漢」と「唐」をめぐって—」と題して行われた。漢文や漢籍といった「古典としての中国」を「漢」、「同時代的、具体的な中国」として「唐」の言葉を用いる江戸時代の通例に基づき、「唐」が江戸時代の人々にどのように捉えられていたかが、言語、絵画、音楽の三点から分析された。その結果、江戸時代の人々が同時代の中国語としての「唐話」に触れる主な機会として、(1)黄檗宗、(2)禅宗の語録、(3)朱子の発言をまとめた『朱子語類』、(4)古文辞学、(5)岡嶋冠山らの『唐話纂要』などによる唐話学、(6)白話小説の受容、(7)明清交替時に日本に亡命した知識人との接触、が挙げられた。また、「唐人の寝言」という表現が意味不明の言葉を指して用いられたり、遊びとして「唐言」が行われたりなどと、「唐話」が「非日本語」としてさまざまな形で享受されたことが紹介された
また、絵画の場合には、同時代の中国の人々の様子が版本として広く流通したことが提示され、音楽については、明清楽が知識人の間で流行し、日清戦争の頃まで月琴の師匠が月琴の教授で生活が出来る程度に需要があったことが示された。
このように、江戸時代の人々にとって「唐」的な世界は比較的深く浸透していた。本居宣長のいう「漢意」が外在的な中国そのものではなく、日本において千年間にわたっておこなわれた読書の蓄積によって内在化された抽象的な存在としての中国であったことが示すように、「漢」と「唐」という二分法による中国認識は、江戸時代における「日本人」が「相手をどのようにみるか」という意識であり、それは鏡としての「日本意識」そのものであるといえること、そして、「日本意識」の鏡として「中国」が存在したことが指摘された。
「神国日本・震災日本」と題して行われたのが、川村氏の発表であった。「くらげなす漂へる」という『古事記』の冒頭の一節や、高天原からみたときに中つ国が禍々しいところであった、という記述が示すように、「不定型で危ない国」としての日本という認識は、神話における「国生み」や「国寄せ」という考え方が「震災や災害のさきわう国」の含意であり、江戸時代の鯰絵も「日本は災害のある国」という自己認識に基づいていることが示された。このような自己認識は、現代においては小説や漫画という形式を取って表現され、具体例として井伏鱒二の『青ヶ島大概記』、『ジョン万次郎漂流記』、『黒い雨』、あるいは村上春樹の『神の子どもたちはみな踊る』といった小説、望月峯太郎の『ドラゴンヘッド』や永井豪の『バイオレンスジャック』、あるいは大友克洋の『AKIRA』などの漫画が取り上げられた。
このように、『古事記』から現代の『ドラゴンヘッド』に至るまで、「日本は災害の多い国」という日本人の自己認識は比較的正しいものであるが、「科学的に安全」という態度が「震災日本」という事実を等閑視させることになったのであり、3月11日に起きた東日本大震災を契機として、われわれは改めて日本に対する自己認識を適切に抱く必要がある、という指摘がなされた。
17時5分からは、田中優子氏(法政大学)を司会者、渡辺浩氏(法政大学)をコメンテーターに迎え、発表者に対する質疑応答が行われ、最後に会場の参加者からの質問や意見とそれに対する回答がなされ、2日間にわたる国際シンポジウムは閉幕となった。

この2日間を通して、学際的な国際日本学において「日本意識」を対象とした研究を行うにあたって、「日本意識」だけではなく、他者としての「異国」あるいは「世界意識」を常に念頭に置くことが不可欠であり、それによってより多層的、複眼的な研究がなされうることがあらためて示されたといえるであろう。

 

【報告者:鈴村裕輔(法政大学国際日本学研究所客員学術研究員)】