【開催報告】「木村蒹葭堂と近世日本文人ネットワーク:デジタル人文学の観点からのアプローチ」2026/01/14

【開催報告】「木村蒹葭堂と近世日本文人ネットワーク:デジタル人文学の観点からのアプローチ」

 

■ 開催日時:2025年12月13日(土)14時30分~16時30分

■ 会場:法政大学市ヶ谷キャンパス 大内山校舎6階 Y605

■主催:法政大学国際日本学研究所

■ 開催方式 対面+オンライン(Zoom)

■ 報告者:鄭敬珍(ジョン キョンジン)(茨城キリスト教大学文学部文化交流学科講師、法政大学国際日本学研究所客員所員)

■ コメンテーター:田中優子(法政大学名誉教授・国際日本学研究所客員所員)

■ 司会:横山泰子(法政大学理工学部教授・国際日本学研究所長)

 

法政大学国際日本学研究所では、デジタル人文学(DH)の手法を用いた日本文学研究の新たな可能性を探るべく、本公開研究会を開催した。今回は、茨城キリスト教大学の鄭敬珍氏を招き、18世紀大坂の町人文人・木村蒹葭堂を中心とした文人ネットワークの構造化と可視化に関する研究報告が行われた。報告は、精読(close reading)と遠読(distant reading)を往還する新たな人文学の地平を提示するものであった。

研究の背景と「文人」木村蒹葭堂
報告者の鄭氏はまず、東アジアにおける「文人」という共通の文化的基盤について概説した。科挙制度を持たなかった日本では、町人など多様な階層が文人の担い手となった点に独自性がある。その象徴的存在である木村蒹葭堂(1736~1802)は、画家、蔵書家、詩人として国際的な交流の中心にいた。

鄭氏は、大坂北堀江で造り酒屋を営んだ蒹葭堂の多面的な活動を紹介した。蒹葭堂は幼少期から狩野派や文人画家に師事し、画家としての才能を開花させる一方、儒者・片山北海の門下で漢学・詩文を学んだ。1758年頃からは文人詩社「蒹葭堂会」を主宰し、1764年には朝鮮通信使との筆談交流を通じて《蒹葭雅集図》を制作するなど、国際的な文人交流の中心的存在であった。

鄭氏は特に、《蒹葭雅集図》が朝鮮の庶孽文人(科挙受験資格を制限された文人たち)にとって「日朝文人交流の象徴的成果」であった点は極めて示唆的であると強調した。また、芥川龍之介が自著『僻見』において、蒹葭堂の「多芸な」文人性を高く評価していたエピソードを紹介し、その多面的な交遊関係を客観的に把握することの重要性を説いた。

デジタル人文学の手法による分析プロセス
本報告の中核は、TEIを用いた『蒹葭堂日記』の構造化と、そこから導かれるネットワーク分析の実装である。鄭氏は1779年の日記をサンプルに、以下の精緻なプロセスを実演した。

・TEIによる構造化と「暗黙的参加者」の補完:
日記テキストに対し、日時(date)、人物(persName)、場所(placeName)、交遊行為(visit、visit_meal、outingなど)をTEI標準に基づきマークアップの内容を紹介した。ここで重要なのは、日記に明示されない「暗黙的参加者」(訪問を受けた蒹葭堂自身)を学術的根拠に基づき補完した点である。これにより、イベント参加者同士の横のつながりを含む「メッシュ型」ネットワークの構築を実現した。

・データの変換と統計分析:
その後、発表では、構築されたXMLデータをRDF形式に変換し、SPARQLというクエリ言語を用いて多様な結果抽出を行った。例えば、複数イベントへの参加頻度や特定の役割(Role)を持つ人物を統計的に抽出することで、当時の文人社会における活動の密度を定量的に把握することが可能となった。

・Gephiによる可視化とSNA(社会ネットワーク分析):
最後に、ネットワーク可視化ツール「Gephi」を用い、1mode分析(人物間の直接関係)および2mode分析(イベントや役割を介した間接関係)を実施した。この分析により、ネットワーク内で重要な役割を果たす「媒介者」の存在や、特定の人物群が形成するクラスターが鮮明に描き出された。

討論と質疑応答
報告後の討論では、各氏より以下の通りコメントと質疑が寄せられた。

・田中優子氏によるコメント:田中氏からは、従来の研究が抱えていた断片的な把握という限界に対し、本研究のような「構造化されたアプローチ」や新たな方法論が資料の解釈に全く新しい解像度をもたらすものであると、その重要性が高く評価された。江戸文学研究、とりわけ、物語研究においてもこのような構造化されたアプローチが資料の解釈にいかに新しい視座をもたらすか、その重要性について高い評価が述べられた。

・染谷智幸氏によるコメント・質疑:先行研究における公開性・再現性の課題に触れつつ、韓国の両班(ヤンバン)ネットワークとの比較について質問があった。さらに、鄭氏の研究が東アジア文人研究に与える影響や、既存の「文芸共和国」理論などの限界を乗り越えられるのではと指摘した。本研究のような実証的データに基づいた新しい文人論が、この学術的議論を次の段階へと進展させる可能性に強い期待を寄せた。

・髙田圭氏によるコメント・質疑:髙田氏からは、デジタル人文学における「再現性」の重要性について指摘があった。特に社会科学的なネットワーク分析で用いられる理論的根拠について質問があり、「中心性指標」を人文学資料にいかに適用すべきかについて議論が交わされた。これに対し鄭氏は、DHにおける再現性とはデータの検証可能性を意味し、社会学的理論に基づく分析によって主観を排した特徴抽出が可能になる点を強調した。また、中国、朝鮮、日本の文人ネットワークにおける共通性として、身分を超えた文人同士のつながりが指摘され、東アジア比較研究の可能性が示唆された。

鄭氏は今後の課題として、日記、書簡、交遊録といった性格の異なる資料群を横断的に統合し、文人ネットワーク全体のダイナミズムをより多角的に推論できる「文人ネットワークモデル」の構築を目指すと結んだ。本研究会は、デジタル手法と文献研究が融合することで、日本の文人研究が東アジア比較研究のハブへと進化する可能性を明示する貴重な機会となった。

【執筆者:鄭敬珍(茨城キリスト教大学文学部文化交流学科講師、法政大学国際日本学研究所客員所員)】


報告者:鄭敬珍氏

司会:横山泰子氏


コメンテーター:田中優子氏

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