【開催報告】江戸東京研究センター・国際日本学研究所共催シンポジウム「漢陽と江戸東京 それぞれの暮らし」(2021年2月20日)2021/03/03
法政大学
江戸東京研究センター・国際日本学研究所共催シンポジウム
「漢陽と江戸東京 それぞれの暮らし」
2021年02月20日(土)13:00~18:00 オンライン(zoom)にて開催(参加者100名)されました。
江戸東京の「ユニークさ」を探るうえで国際的な比較が重要であることは論をまたない。とりわけ、漢字漢文の文明を共有し、文物の交流もさかんであった近隣各国の都と較べることで都市としての特徴がみえてくる。そう考えて企画したのが朝鮮王朝時代の首府漢陽こと今日のソウルとの比較研究である。本企画では学者柳得恭(1749~1807)が著した『京都雜志』の「風俗」編を元に著された秦京煥『朝鮮の雑誌―18~19世紀ソウル両班の趣向』(素々の本 2018年)に即し、都市空間のなかでの生活文化がかいま見えそうな4章を取りあげ、発表者でもあった金美眞・鄭敬珍両氏の翻訳によって同時代の江戸との比較を試みた。多くの共通点があることは企画段階で予想はしたが、想像以上の共通点と、それゆえに際だつ両国の文化的志向の違いが浮かびあがってきた。
発表の一つめは「演奏と踊り、そして芝居」の章に基づく、土田牧子氏(共立女子大学)の「18世紀の江戸と漢陽における舞台芸能の諸要素」であった。音楽を中心に近世~近代日本の芸能を見てこられた土田氏らしく、原書の記述、さらに朝鮮の文献や絵画において芸能の様態や楽器をていねいに推測し、その分析に基づいて、それらを広く、能狂言や民俗芸能を含む日本の諸芸能と比較し、共通する要素を指摘された。宮廷か民間かという興行の場や背景の違いの大きさがある一方で、朝鮮で発達した獅子舞が、古く日本に伝来し歌舞伎のなかで大きな発展を遂げたことが論じられた。また共通して都市の芸能が地方の芸能と交流しながらそれを吸収していくさまも窺えた。
ディスカッサントの山田恭子氏(近畿大学)からは、百済伝来の獅子の展開について、大元の中国も含めた総合的な研究が望まれること、さまざまな楽器や人形劇など諸芸能の詳細についての見解が出された。
二つめの発表は「市場にはあらゆる食べ物と詐欺師、そして語り手」の章による金美眞氏(韓国国立芸術総合学校)の「18-19世紀の漢陽と江戸の市場、その中を覗いてみる」であった。近世日本の記録的な文献(随筆)を研究されている金氏は、いずれの都市でも市場で各地の多彩な産物が売られたさまが文献の記述や詩歌、絵画において描かれたことを多角的に提示された。都市の豊穣と繁華を描いて祝福するのは東アジアの都市表象の伝統であるなか、漢陽では店舗に固有名詞が付されないのに対し、江戸では屋号や商標が描きこまれる例が見られるという指摘もあった。一方、漢陽の方には「語り手」(講釈師)とともに客引きや詐欺師の記述もあるが、この点では江戸については今後の課題とされた。[とはいえ、実際江戸の都市風俗の記述にはあまり見られない類の記述か。比較によってそれぞれにおいて、実際にはあっても描かれなかったものも見えてくる。]
ディスカッサントの金谷匡高氏(法政大学)からは、このあと近代以降の政策的な背景に由来する農産物をめぐる状況の変化と市場の移転についての紹介、さらに表の大通りと市場の位置関係について、江戸東京では市場が一本裏に展開するのに対して、漢陽では表通りに店舗が並んでいることが興味深いという指摘があった。
三つめの発表は「花を育て、木を植える」の章による、市川寛明氏(江戸東京博物館)の「園芸文化で比較する漢陽と江戸」であった。かつて大規模な「江戸の園芸」展を企画・担当され、また漢陽の文人の生活を紹介する展示にも関わられた経験をふまえ、両都市においてこの時代に文化として庭園造りや花卉園芸が盛んに行われたことが共通し、その商品化や温室栽培の技術の発達がともに見られることを論じられた。一方で、菊や梅といった中国由来の正統的な文人文化のなかで愛された花に対して、俗化を忌避した朝鮮に対して、日本では接ぎ木や形作りによってそこから大きく逸脱していくという傾向の違いが指摘された。
ディスカッサントの横山泰子氏(法政大学)からは李御寧『「縮み」志向の日本人』(1982)をふまえた質問があった。自然に人為的に手を加えて享受する日本文化に対して、韓国や中国では自然のままを愛するという美学の相違があるとする同書の所論との関わりについての問いで、市川氏からそれに合致する例として日本の庭園における縮景が挙げられた。
四つめは「花見はここで」の章をもとに鄭敬珍氏(檀国大学校)が「江戸、漢陽にみる花見と遊山」と題して報告された。漢陽では桃や杏、ツツジ、柳、蓮をはじめとする四季折々の花や樹木が都城の周縁領域で楽しまれ、それらを詩に詠むことがさかんに行われ、桜とともにそれらも含め江戸東京でも、花見の行為としては同様である。日韓の文人文化比較を専門とする鄭氏は、両国の状況をふまえつつ、宗教色や政治色の濃淡においては相違が見え、とりわけ自然の側に赴こうとする朝鮮の文化と、自然を日常の側に取りこもうとする日本の文化という対照が見られることを論じられた。
ディスカッサントの高村雅彦氏(法政大学)からは、城壁の外側に花の名所が形成された漢陽に対して、江戸では町奉行支配域を示す墨引きと、広義の府内「大江戸」を表す朱引きの間に多くが設けられ、狭義の市中外にあるという共通点を指摘された。さらに北京や蘇州などの中国の例をもふまえ、江戸の場合はそのような地が聖俗の境界域に相当し、花見の場がそこにあるのが一つの特徴で、それぞれに誰がなんのために整備したのかその意図を考えてよいという指摘があった。
最後の総合討論は、依頼していたお二人から、コメントをいただいて時間切れとなった。染谷智幸氏(茨城キリスト教大学)からは、まず、横山氏のコメントや鄭氏の発表を受けて、李御寧著の指摘した自然への向き合い方について実感としてはわかるが、今後の課題として実際、どこまで検証できるのかを考えるべきことが指摘された。また庭園について東アジア的視点で果樹園・菜園から鑑賞のための庭園へと発展するという流れのなかでみることの提案もあった。さらに全体を通して、中国や韓国の知識人には「玩物喪志」を忌む思想性があるのに対して、日本では「志」「実」をどこまで重んじたのかという問題提起もあった。朝鮮通信使と日本の文人が自国の金剛山・富士山をどう称揚したかについての論文を例に、思想性か視覚的な美か、自然をめぐる評価の観点の違いについても朱子学の影響論で片付けることなく考えるべきだという提言である。田中優子氏(法政大学)は、李御寧著、鄭氏の発表のまとめをうけ、自然を取りこむのか(日)・自然の側へ出かけていくのか(朝)という違いは今日の全体に関わる視角としてその重要性を強調された。日本では芝居町が人工的に作り込まれ、園芸が本草という実用から独立し美的な面に特化したこともこれと通底する問題として指摘された。市場については、空間を文字で表す『文選』都市賦から今日俎上に載せた『京都雑誌』、また『江戸繁昌記』に至る系統と、モノをリスト化して行く『本朝食鑑』などの図鑑類の系統が、両者とも中国に由来して行われ続け、絵画でも都市図と、各地を名所として要素化するものとがあり、それぞれにおいて比較文化史が可能となるという指摘がなされた。さらに文化や生活の「治め方」について、根本に儒教的思想があるというだけで終わらせることなく、それぞれがどんな手際で価値観を変容しつつ世を治めたかを考える必要性を唱え、本日の結びとされた。最後に、企画者として、末筆ながら、すべての登壇者はもとより、秦京煥『朝鮮の雑誌―18~19世紀ソウル両班の趣向』(素々の本 2018年)をご推薦くださった鄭炳説氏(ソウル大学校)、また本企画を歓迎してくださった原著者の秦京煥氏に心よりの感謝を表したい。
【記事執筆:小林ふみ子(法政大学国際日本学研究所所員、文学部教授)】