【開催報告】国際日本学研究所 鼎談会-新しい「国際日本学」を目指して(3)「改めて問う、「国際日本学」とは何か?」(2018年10月28日)2018/11/08

■日時:2018年10月28日(日)14:30~17:30

■会場:法政大学市ヶ谷キャンパス ボアソナード・タワー25階 B会議室

■鼎談者:

星野 勉
(法政大学国際日本学研究所第2代所長)

安孫子信
(法政大学国際日本学研究所第3代所長)

ヨーゼフ・クライナー
(法政大学国際日本学研究センター顧問[2002年度設立当時]・法政大学国際日本学研究所客員所員)

■聞き手:
小口 雅史
(法政大学国際日本学研究所第4代所長)

 

【鼎談会の概要】

国際日本学研究所は文部科学省「私立大学学術高度化推進事業」、「21世紀COEプログラム」に採択されたのを機縁に今から16年前の2002年に設立されたが、「国際」と「日本学」を接合した「国際日本学」研究所を当初立ち上げるにあたって、最初に突き付けられた問いは「国際日本学とは何か」というものであった。そこで、この「国際日本学とは何か」という問いを改めて受け止めつつ、今後の国際日本学研究所の未来を展望するというのが、この鼎談会開催の主旨であった。

まず、星野から、㈠「日本研究」の国の内外における前史(国内の国学の系譜、国外の「日本学【Japanology】」と「日本研究【Japanese Studies】の系譜)、㈡ 戦後日本における二回の「国際日本研究」ブーム(経済の黄金期とクール・ジャパン現象)、㈢「国際日本学」とは何か(内外の日本研究を繋ぐ「プラットフォーム(platform)」の形成と方法論の確立)、㈣ 国際日本学の今後(日本研究の国際化)、という四部分からなる基調報告がなされた。

クライナー氏から、ヨーロッパの日本研究の系譜について詳細な説明があった。まず、16世紀のイエズス会宣教師から始まるヨーロッパの日本研究がケンペル(1651~1716)、シーボルト(1796~1866)以来ヨーロッパにもたらされた日本文献についての「文献学」として継承されてきた経緯が、「日本学【Japanology】」の成立に絡めて説明された。また、海外の日本研究は、戦中から戦後にかけて、特に英語圏を中心に社会科学的な「日本研究」へと変貌を遂げるとともに、ヨーロッパでも研究対象が文献からヴィジュアルなものへと転換しつつある事情(visual turn)について触れられた。

安孫子氏からは、日本における欧米文化の受容の仕方はアフリカの発展途上にある国からも高く評価されていることが紹介され、今後日本研究の成果の発信の必要性とそれをどう発信したらよいかという問題が提起された。

今後の展望については、当日鼎談会に出席された田中総長からの発言も含めて、次のようにまとめることができる。㈠ 国際日本学における学際性をさらに生かしていく。そのさい、人文学を超えて社会科学にまでどう広げていくかが一つの課題となる。㈡ 内外の「日本研究」を繋ぐ「プラットフォーム(platform)」を今後も維持していくと同時に、研究成果を海外に発信していく。そのさい、英語を共通言語とする。㈢ 方法論を確立し、それを前面に押し出す。そのさい、文化比較、視点の比較という意味での比較をその中枢に据える。そのさい、「ずらす」と「楔を外す」という二つの意味をもつ、フランソワ・ジュリアン(F. Jullien)の「デキャレ(décaler)」という考え方が参考となる。㈣ 外来文化を積極的に取り入れながらおのれ自身を失うことのなかった日本の文化受容に認められる「デュアル・スタンダード(dual standard)」を、均質ではない多様な世界を可能にする一つの「オールターナティヴ(alternative)」として発信する手立てを考える、などである。

最後に、日本の国際社会における経済的プレゼンスの低下にともなう、海外の日本研究の衰退をどう受け止めるかということが大きな課題として残されていることを、付け加えて置きたい。

【記事執筆:星野 勉(法政大学国際日本学研究所所員・文学部教授)】

 鼎談者:星野 勉

 鼎談者:安孫子信

 鼎談者:ヨーゼフ・クライナー

 聞き手:小口 雅史

 

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