【開催報告】郭沫若・田漢日本留学百周年記念国際研究会議(2016.8.25)報告記事を作成しました2016/09/20
「越境する中国文学・百年来の文学交流―
郭沫若・田漢日本留学百周年記念国際研究会議」開催報告
2016年は中国の文学者郭沫若氏(注1)と、中国国歌を作曲した田漢氏(注2)が日本に留学して100周年という記念の年である。両氏の業績をあらためて評価し顕彰しながら、日本留学という文化現象の歴史的役割を検証するために、国際郭沫若学会、日本郭沫若研究会と法政大学国際日本学研究所は8月25日、法政大学ボアソナードタワー26階A会議室で、「越境する中国文学・百年来の文学交流―郭沫若・田漢日本留学百周年記念国際研究会議」並びに第5回国際郭沫若学会を開催した。
開会式に当たり国際郭沫若学会会長藤田梨那、法政大学国際日本学研究所王敏教授、日本華文文学会会長鈴木華純氏が開会の辞を述べた。基調講演は、魏建氏(山東師範大学教授/中国現当代文学研究所所長)と田偉氏(田漢の姪/歌手/東方文化芸術団団長/田漢文化交流会会長)が、郭沫若と田漢に関する中国における最新の研究を紹介した。
そのあと25人の研究者が発表した。日本・中国・台湾 だけでなくアメリカ・フランス からも参加。発表内容は、基調講演を受けて日本留学と異文化交流を軸に、郭沫若氏の日本留学期間の代表作『女神』に関する研究や、田漢氏と日本の映画・演劇、文学活動などの考察など多岐に亘った。聴講者にも外国人が少なくなく、会場には日中を超える多彩な顔ぶれが集まった。
注1 郭沫若(1892~1987)
中国四川省樂山市の生まれ。本名は郭開貞で、字は鼎堂。中国の近代文学・歴史学の先駆者。1914年に日本へ留学し、第一高等学校予科で日本語を学んだ後、岡山の第六高等学校を経て、九州帝国大学医学部を卒業。在学時から文学活動に励み、1921年に文学団体「創造社」の設立に参加する。この間に処女詩集『女神』を発表、詩人としても輝いた。
注2 田漢(1898年~1968)
中国湖南省長沙市出身の劇作家にして詩人。中国の国歌・「義勇軍進行曲」の作詞者として知られる。1917年から東京高等師範学校に学ぶ。このころ郭沫若と親交を結ぶ。1920年に帰国した後、南国芸術学院を成立させたなど多大な貢献をした。1966年からの文化大革命で投獄され、1968年12月10日、獄中で没した。
【記事執筆:藤田梨那(国際郭沫若学会会長)、王敏(法政大学国際日本学研究所専任所員、教授)】
会場写真(二列左から五人目は藤田梨那氏、右から三人目は王敏氏)
基調講演者の魏建氏