第10回東アジア文化研究会 『日本古代・中世の教育と仏教』(2014.2.26)

「国際日本学の方法に基づく〈日本意識〉の再検討−〈日本意識〉の過去・現在・未来」
研究アプローチ(3)「〈日本意識〉の現在−東アジアから」
2013年度 第10回東アジア文化研究会

日本古代・中世の教育と仏教


日 時: 2014年2月26日(水)18時30分〜20時30分
場 所: 法政大学市ヶ谷キャンパス 58年館2階国際日本学研究所セミナー室
報 告: 大戸   安弘(横浜国立大学教育人間科学部教授)
司 会: 王敏 (法政大学国際日本学研究所専任所員、教授)

 

複雑多様な様相を呈する古代・中世の教育の特質について、仏教との関係を重視ながら理解しようとすることを課題とした。古代教育については、古代仏教の展開において屹立する役割を果たした空海(774-835)の生涯との関わりから検討し、その基本的様相を把握し、中世教育については、仏教信仰を受容した人々、とりわけ中世社会の変動に深く関わることとなった武士と民衆との学びの諸相に注目した。

1.空海の生涯と古代教育
空海は讃岐の地方豪族の家系であり、将来の地方官人として国ごとに設置された官人養成機関である国学で学んだ可能性がある。791年に大学寮に入学。大学寮は唐の高等教育機関である国子学と太学をモデルに創設された中央の官人養成機関。学生に要求されたのは教科書の徹底的な暗記であり、注入式の授業が行われた。このような学校に馴染めなかったのであろう、1年ほどで退学し、仏道修行の道に入った。仏教をめぐる新しい動向のなかで、10年程の間、仏教を中心としながらも儒教・道教との調和を意識しながら研鑽を重ねた。

804年、遣唐使の留学僧として入唐。中国在留中に長安青龍寺の恵果より真言密教を継承する間、民衆教育施設の存在に強い関心を示し、帰国後に同様な教育機関を創設することを決意し、806年に帰国。民衆層にも開放された総合的な私立高等教育機関として綜藝種智院を創建。一般に、宗教家が世俗の教育に関わるようになるのは中世以降のことであったが、仏教の一切無差別の立場から、身分的制約を取り払い、民衆にも同時代の最高水準の学びの場を開いた空海は、「一切衆生本来平等」という大乗仏教の基本に徹した思想家であった。民衆にも開放された綜藝種智院であったが、その現実的な意味についても、久木幸男による3.8?7.2%という8・9世紀頃の民衆識字率試算を示し、検討した。

2.鎌倉仏教の展開と中世教育
中世社会において影響力を持った諸宗派は、平明にして革新的な教義を主として武士・民衆層を中心に説き、その対社会的影響力を強めていったがあ、その根底には強固な理論体系・思想体系を構築していた。したがって、信仰を確立していく過程では、理論的学習が不可欠であり、本質的な理解を深めていくために識字力は重要であった。

『実悟記拾遺』には、蓮如の側近であった下間安芸蓮崇の無名時代の学習階梯を伝える記述が見られるが、それは道場における一向宗一般門徒の学習状況の一端を現している。蓮崇の出自については、越前国の農村の出身であること以外明らかにはならない。一般の無名の門徒だった当初はほとんど読み書きができなかった。しかし、40歳で初めて「イロハ」字の学習を始め、次第に基礎的な識字力を身に付けていった。その後、懸命に経典学習に励むみ、やがて「才学ノ人(学識のある人)」と認められるようになり、教学の根幹を正確に理解した上で、信仰の確立へと向かっていった。

「五箇山衆連署申定」という1552年の一向宗門徒の文書では、85名の門徒のうち39名、約45%が花押を据えていることが注目される。花押を記すには、かなりの程度の識字力を持っていたものと考えられることから、門徒代表の約45%が花押を据えているこの「申定」は、五箇山の門徒が保有していた識字力の状況を推測させる。

僧侶は概ね中世社会における知識人・文化人としてあったが、僧侶が活動している寺院は、武士や民衆の子どもの学びの場として大きな役割を果たしていた。中世社会には、各地域を代表するような大寺院から村落の小寺院まで、諸宗派の寺院が数多く建立されていた。これらの寺院が寺子(世俗の人々の子弟)を受け入れていたが、そこでは周到な識字教育が行われていた。このように寺院で学ぶことが許されたのは、有力な武士層や裕福な民衆層の子弟とは必ずしもいえない。それは村落のごく普通の小寺院においても学ぶ子どもの存在が確認されるからである。

仏教学研究の成果に裏打ちされた壮大にして精緻な理論体系に根差す宗教として仏教はあった。その本質を理解するためには経典学習は多様なレベルで必要であった。学僧から一般の世俗の人々に至るまでの多様なレベルで行われていた経典学習には、それぞれに対応した相当な程度の識字力が不可欠であったといえる。とりわけ中世以降の仏教の広まりは、経典学習の範囲が俗人にまで及び、また、その延長上に多くの人々の文字学習の場を広げ、結果として信徒の学びを多面的に導き出していったことになった。そのような意味で、武士や民衆という従前の被支配層にまで拡がる強固な教育的基盤を生み出していたといえる。

【記事執筆:大戸 安弘(横浜国立大学教育人間科学部教授)】

報告者:大戸  安弘氏 (横浜国立大学 教育人間科学部教授)

会場の様子